2019年7月2日 更新
女子プロレス界のレジェンド、『デビル雅美』は筋金入りの職人だった!
女子プロレスの歴史が長いことはほとんどの方はご存知でしょう、しかしその中で記憶に残るレスラーというのは数限られていますよね。星の数ほどデビューしたレスラー達、記憶に残っていてもその中で「レジェンド」と呼ばれるレスラーはまた絞られてきます。今回はレジェンドの中から「デビル雅美」選手についてご紹介していきましょう。
【パワーボム職人】
とにかく映像をご覧頂くと分かるように、重量感いっぱいのパワーボムはデビルさんの代名詞でもありました。相手が強ければ強いほど連発することが対戦相手へのリスペクトの表れだったのかもしれませんが、それにしても受ける方はたまったものではなかったでしょう。更にあの「獣神サンダーライガー」選手の得意技である「ライガーボム」を先にやったのはデビルさんだったんですが、当時は技の名前に拘らずやっていたので、あの技の事をデビルさん曰く「ズン」と呼んでいたそうです。
【歌って戦えるマルチ職人】
デビル雅美 サイレント・グッバイ ~たとえ悲劇でも~
「女子プロレス」と言えば、ハーフタイムショーみたく歌の時間がありましたよね。「ビューティーペア」や「クラッシュギャルズ」などが印象的で、会場内は若い女の子が多かったですよね。
そんな中でヒールやベビーフェイスの枠を越えてデビルさんも歌手デビューしたんですね。
1985年8月にリリースされた「サイレント・グッバイ~たとえ悲劇でも~」は「渡辺典子」さん主演のドラマ「赤い秘密」の主題歌にもなりました。実はデビルさんの歌唱力は歴代女子レスラーの中でも随一と言われています。
デビル雅美の現在
現役時代、40半ば頃から「集中力が欠け、次にやるべきことをするにも一瞬の間が出来てしまい、お客さんの期待に応える動きが出来なくなってきた」この時からデビルさんの心の中では、カウントダウンが始まっていたのかもしれません。そして遂に引退し地元の北九州へ戻ります。ある時スーパーで働いていたデビルさんに声を掛けてきたのが、北九州では有名な漬物屋さん「糠蔵」の経営者の方でした。来る日も来る日もぬか床をかき混ぜ、糠の状態を確認しなければいけません。2011年には店長に抜擢されましたが、デビルさんは「プロレスもぬか漬けも、大切なのは日々同じことを繰り返すこと」と言います。もともと料理好きなデビルさん、加えてプロレスで鍛えた重労働にも耐えられる体力と精神力、そしてお客さんに喜んで頂くサービス精神と全てが備わっています。デビルさんの第2の人生は、140年という代々受け継がれてきたぬか床を守るという大仕事でした。
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