嗚呼!バラ色の珍生!! 概要
日本のテレビ番組。日本テレビ制作のバラエティ。放映は1994年10月~2001年3月。出演:島田紳助。略称は「バラ珍」。依頼された人物の捜索を行い、「涙のご対面」をするコーナーが人気となる。略称は「バラ珍」。
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1990年代の人探しバラエティ・公開捜査の元祖とも呼べる番組。
毎回、生き別れになった肉親や家族、大事な人を捜してほしいと視聴者が番組に依頼し、半年単位でスタッフが探し、見つかった際には感動のご対面が行われるという、前述の番組群とほぼ同じ流れで進行していた。
放送当初の半年間は、それ以降とは番組の内容が全く異なり、出演した素人の不幸話VTRに対し、徳光和夫らパネラー陣が(後にフジテレビ系で放送された『トリビアの泉』の「へぇボタン」と同じ要領で)席のボタン(得点を加算するプラスボタンと減算するマイナスボタンの2種類)を押して評価するというものであった。
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番組内容を一新後、人気番組に!
前半は主に苦手だったことを克服するなどのチャレンジャーを追うドキュメンタリーコーナーを放送、後半は生き別れの家族などを捜索する(後半のコーナーのように、テレビを通じて捜査協力を呼びかける、いわゆる「公開捜査」のスタイルは、テレビ朝日系『奇跡の扉 TVのチカラ』などでも使用されている)コーナー、および同局系『それは秘密です!!』『ルックルックこんにちは』「小金治の涙のご対面」コーナーを引き継ぐ形で涙のご対面のコーナーとなった。
この涙のご対面が好評で、次第に人気番組に駆け上がり、2時間スペシャルでは番組丸ごとをご対面に使ったり、レギュラー放送でも2組のご対面を行ったこともある(通常は1組)。
また、この形式のヒューマンバラエティーが当時人気を博していたため、この時期は他局でもそれぞれ違う曜日に19時台にこのタイプの番組を放送していた。涙のご対面は過去183組が果たしている。
番組は最高視聴率25.0%(関東地区)という人気番組に成長した。
名台詞が涙を誘った!特に徳光さん!
徳光和夫がよく、あそこまで泣かんでも。。。って位ぼろぼろに泣いてました。
生き別れの再会などがメインで、決め台詞は「我々スタッフが、一生懸命探しました・・・・○○さん(身内)見つかりましたよ!!!!」」
コージー冨田にこの名調子をモノマネされたり、徳光さんの泣きの場面も番組を象徴するものとして名物になりましたね。
あの語り口を真似する友人が結構いました。ただ、島田紳助のように流暢に語れていませんでした!
さすがプロは違いますね!
あの語り口を真似する友人が結構いました。ただ、島田紳助のように流暢に語れていませんでした!
さすがプロは違いますね!
視聴者の感想
島田紳助さんのあの名台詞キラキラ
何とも言えない間ってゆうかあの溜めがドキドキするんだよね(笑)
感動の場面で使用された曲
感動の再会直前に流れていた重厚な音楽がありました。
暗いような、力強いような曲でした。
そこに島田紳助の名調子が加わり、なんとも言えない雰囲気を助長していました。
暗いような、力強いような曲でした。
そこに島田紳助の名調子が加わり、なんとも言えない雰囲気を助長していました。
Joe Hisaishi- Two of us - YouTube
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作曲は久石譲
もとは大林信彦監督の映画『ふたり』で使われていた
音楽です。
音源としては『ふたり』のサントラ、久石譲さんのソロアルバム『My Lost City』や宮崎監督や北野監督の音楽の集大成といった『WORKS1』などに”Two Of Us”というタイトルで収められています。
ハンカチ必須の動画集
ドキュメント涙のご対面17(固い絆の友と涙の再会編5) - YouTube
シベリアに抑留時の親友との再会。
離れ離れになりながらも、お互いずっと探し続けた男の絆を感じる回。
はっきり言って、泣きます!
離れ離れになりながらも、お互いずっと探し続けた男の絆を感じる回。
はっきり言って、泣きます!
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