2019年2月16日 更新
「みんなと共に世界へ」親友がくれた闘争心、船井龍一選手!
ガチンコファイトクラブに魅せられてボクシングの門を叩いたシャイな目立ちたがり屋、船井龍一選手。30歳を過ぎて、努力を継続する力とは別の勝つために必要な「闘う」力を身に纏った第39代日本スーパーフライ級王者、次なる高みは世界!ここまでのボクサー人生について船井選手に伺って参りました。
1981年から続くボクシングの名門ワタナベボクシングジム。
2018年時点の同ジムのパンフレットによれば世界、東洋太平洋、日本、男女合わせて15人の王者が在籍。複数タイトルを持つチャンピオンもいるため、その保有タイトル数は12を数えます。
ボクシングの名門「ワタナベボクシングジム」
同ジムに所属する船井龍一選手(1985年8月31日生まれ)もその一人。第39代日本スーパーフライ級王者(2017年3月22日戴冠)にしてWBOアジアパシフィック・スーパーフライ級王者(2018年6月14日戴冠)です。
次なる高みは世界戦!
ミドルエッジ編集部(ミド編)は船井選手にインタビュー。
真面目な印象の船井選手に、その変わらぬボクシング愛を伺いました。
きっかけは「ガチンコファイトクラブ」
-船井選手は33歳。ミドルエッジの読者層からすると若い世代ですがボクシング選手としては長いキャリアでいらっしゃいます。ボクシングを志したのはいつ頃からだったのでしょう。
「ボクシングを始めたのは高校1年の夏でした。当時は高校生になってボクシングを習う人が多かったように思います。僕は中学3年生の時に”ガチンコファイトクラブ(TBS)”を見たのがきっかけです。
番組はヤンキーがプロボクサーになる内容でしたが僕はプロボクサー=世界チャンピオンと思い込んでて『そんな簡単になれるのか?』って思いながら番組を見てました。見ながら『あ、プロボクサー=世界チャンピオンじゃないんだ』と気が付きましたけど(笑。
竹原慎二さんの広島弁怖いな~って思いながらボクシングというスポーツを知ったんです。しばらくして、畑山隆則さんと坂本博之さんの日本人同士の世界戦があって
※2000年10月11日 WBA世界ライト級タイトルマッチ 畑山隆則(王者)×坂本博之(挑戦者)
それを見て『ああ、ボクシングってカッコいい!』と思うようになりました。」
畑山隆則 vs 坂本博之 WBA世界ライト級タイトルマッチ 2000年10月11日
「小学校ではバスケットボールをやっていたんですが団体戦がすごく苦手で。集団の中でどう動いていいかわからなくてレギュラーにもなれず悔しい思いをしていた時に、スケートボードを趣味で始めたんですよ。」
-スケボー!バスケットにスケボーというと、当時のアーバンな若者を思い出しますね(笑。
「バスケットする人ってスケボー好きな人も多かったんです。僕も仲間と一緒に始めました。そしたら複数でやるバスケットより個人でやるスケボーの方が居心地がよくて。
『個人スポーツの方がいいな』って思っていた時にガチンコファイトクラブを見て、ボクシングにすごく興味が出て。高校に入ったらアルバイトでお金をためてボクシングジムに入りたいと思うようになったんです。
都立港工高(現・都立六郷工科高)に入ったらたまたまボクシングをやっている同級生がいて、その同級生に相談したんです。そしたら彼が『お前ん家の近くにワタナベボクシングジムがあるよ』と教えてくれたので、高校1年からワタナベボクシングジムに通うこととなりました。」
ワタナベボクシングジムに通い始めてからはボクシング一色の生活となった船井選手。
プロデビューは高校卒業後、19歳の頃でした。
-プロになる前、船井選手はアマチュアでも8戦を戦いました。アマチュアでオリンピックを目指す、プロになる。いずれに進みたいという考えがあったんですか?
「いやそれがそういう訳ではなくて。元来、自分自身に自信が持てず積極性も無い、そんな劣等感があったんですよ。だからボクシングは『強くなりたい』一心で始めたんです。」
「きっかけはガチンコファイトクラブですが、別にヤンキーだったわけでもなくて高校3年間はボクシングに打ち込みました。アマチュアでの8戦ですが戦績は4勝4敗、弱かったんですよ(笑。最初はただ興味があって始めたくらいですから体も細くて、でも『強い人になりたい』という憧れがあったから続けられたんです。」
ターニングポイントとなった高校卒業後の一年間
-高校1年からボクシングを始めて高校3年間はボクシングに打ち込み、19歳で見事プロデビューしました。
「実は高校卒業後に一度就職したんです。本当に弱かったし、自分に自信もなかったので…。」
「はい。ボクサーとしてチャンピオンになれる人はほんの一握りだし、自分なんか絶対に無理だと思っていました。高校卒業後は就職するか調理師専門学校に行くかで悩んでいたんです。でも、自分の周りにいるみんなが就職すると言うので、その流れに身を任せてしまったところがありました。」
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-WBOアジアパシフィック・スーパーフライ級王者