ファイティング原田
via youtu.be
ボクシングドリーマー
ファイティング原田は生まれた年
日本軍はガダルカナルの攻防に敗れた
そしてカミカゼ特別攻撃隊を投入したが
東京にB-29で爆弾が大量に落とされた
このとき2歳のファイティング原田は兄に背負われ逃げた
やがて戦争が終わり
ファイティング原田が小学校6年生になったとき
白井義男が日本人初の世界チャンピオンになった
ファイティング原田の父は植木職人だったが
仕事で木から落下し大怪我をして働けなくなったため
中学生から近所の米屋で働き出した
そして白井義男のようになりたいと笹崎ボクシングジムに入った
白井義男が世界タイトルを失った後も
ボクシング人気は衰えず
自分がタイトルを取り戻してやると野望を持った若者が多くいて
ファンもスターの誕生を持っていた
ファイティング原田は白井義男と同じフライ級(50.8kg)だった
日本軍はガダルカナルの攻防に敗れた
そしてカミカゼ特別攻撃隊を投入したが
東京にB-29で爆弾が大量に落とされた
このとき2歳のファイティング原田は兄に背負われ逃げた
やがて戦争が終わり
ファイティング原田が小学校6年生になったとき
白井義男が日本人初の世界チャンピオンになった
ファイティング原田の父は植木職人だったが
仕事で木から落下し大怪我をして働けなくなったため
中学生から近所の米屋で働き出した
そして白井義男のようになりたいと笹崎ボクシングジムに入った
白井義男が世界タイトルを失った後も
ボクシング人気は衰えず
自分がタイトルを取り戻してやると野望を持った若者が多くいて
ファンもスターの誕生を持っていた
ファイティング原田は白井義男と同じフライ級(50.8kg)だった
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槍の、鬼の笹崎
笹崎ボクシングジムの笹崎たけし会長は
「槍の笹崎」といわれた名ボクサーだった
特に「拳聖」ピストン堀口との対決は話題になった
そして指導者としては
「鬼の笹崎」と呼ばれるほど厳しい練習を課した
「槍の笹崎」といわれた名ボクサーだった
特に「拳聖」ピストン堀口との対決は話題になった
そして指導者としては
「鬼の笹崎」と呼ばれるほど厳しい練習を課した
via youtu.be
原田は学校が終わると精米店で働き
その後、ジムに行きトレーニングを積むという毎日を送り
ボクシングを始めて2年後、プロとなった
デビュー戦では
ひたすら前に出てパンチを打ちまくり4RKO勝ちした
このファイトスタイルは引退するまで変わらなかった
デビュー2ヶ月で5連勝(2KO)
デビュー3ヶ月後
米屋をやめて笹崎ジムの近くで寝泊りしながらボクシング1本の生活に入った
朝起きると近所をロードワーク
ジムに戻って縄跳び、シャドーボクシング、サンドバッグ、スパーリング
午後は少し休んでから
夜にまたジムで練習した
その後、ジムに行きトレーニングを積むという毎日を送り
ボクシングを始めて2年後、プロとなった
デビュー戦では
ひたすら前に出てパンチを打ちまくり4RKO勝ちした
このファイトスタイルは引退するまで変わらなかった
デビュー2ヶ月で5連勝(2KO)
デビュー3ヶ月後
米屋をやめて笹崎ジムの近くで寝泊りしながらボクシング1本の生活に入った
朝起きると近所をロードワーク
ジムに戻って縄跳び、シャドーボクシング、サンドバッグ、スパーリング
午後は少し休んでから
夜にまたジムで練習した
via ameblo.jp
斉藤清作(タコ八郎)
ファイティング原田は
東日本新人王決定トーナメントを順当に勝ち上がっていった
準決勝では同じジムの斉藤清作(タコ八郎)とぶつかることになった
2人は仲がよく
お互い正々堂々と戦おうと思っていたが
笹崎会長は斉藤清作(タコ八郎)に棄権させた
斉藤清作(タコ八郎)は片目がみえなかった
プロテストの視力検査は記号を暗記してパスしていた
片目で距離感がないため
ノーガードでわざと打たれ
片目がみえないことを悟られないようにしつつ
乱打戦に持ち込んだ
そんな危険なスタイルで日本チャンピオンになった
その凄惨な戦いのため引退後は重いパンチドランカー症状に悩まされた
同時代にファイティング原田、海老原博幸がいなければ
世界に挑戦することができたかもしれない男だった
東日本新人王決定トーナメントを順当に勝ち上がっていった
準決勝では同じジムの斉藤清作(タコ八郎)とぶつかることになった
2人は仲がよく
お互い正々堂々と戦おうと思っていたが
笹崎会長は斉藤清作(タコ八郎)に棄権させた
斉藤清作(タコ八郎)は片目がみえなかった
プロテストの視力検査は記号を暗記してパスしていた
片目で距離感がないため
ノーガードでわざと打たれ
片目がみえないことを悟られないようにしつつ
乱打戦に持ち込んだ
そんな危険なスタイルで日本チャンピオンになった
その凄惨な戦いのため引退後は重いパンチドランカー症状に悩まされた
同時代にファイティング原田、海老原博幸がいなければ
世界に挑戦することができたかもしれない男だった
via www.boxing.jp
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海老原博幸
東日本新人王決定トーナメントの決勝は
ファイィング原田と海老原博幸の戦いとなったが
判定で原田が勝った
原田は1Rと2Rにダウンを奪った
海老原は生涯で72戦し
その中には世界戦6戦あるがKO負けは1度もない
そしてダウンもこのときの原田戦の2度だけだった
「アルバイト募集」
海老原がトンカツ屋に張ってあったのをみて入ってみると
それは元プロボクサー金平正紀が引退後開いた店だった
金平は海老原に縄跳びをさせた
そしてすぐにトンカツ屋をたたんでボクシングジムをつくった
会長1人選手1人の2人3脚で世界を目指した
これが後の名門協栄ジムとなった
ファイィング原田と海老原博幸の戦いとなったが
判定で原田が勝った
原田は1Rと2Rにダウンを奪った
海老原は生涯で72戦し
その中には世界戦6戦あるがKO負けは1度もない
そしてダウンもこのときの原田戦の2度だけだった
「アルバイト募集」
海老原がトンカツ屋に張ってあったのをみて入ってみると
それは元プロボクサー金平正紀が引退後開いた店だった
金平は海老原に縄跳びをさせた
そしてすぐにトンカツ屋をたたんでボクシングジムをつくった
会長1人選手1人の2人3脚で世界を目指した
これが後の名門協栄ジムとなった
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ポーン・キングピッチ1
2年目も全勝し25連勝(10KO)
そして世界チャンピオン:ポーン・キングピッチから試合のオファーがきた
ファイティング原田は日本ランキング2位
日本チャンピオンでさえない
完全に格下と思われていた
「ナニクソ!」
とファイティング原田は死に物狂いで練習した
チャンピオンが来日し
羽田空港に迎えにいったとき
挨拶して
握手をしようと手伸ばした
チャンピオンは無視した
(なめやがって
この野郎に絶対に勝ってやる)
そして世界チャンピオン:ポーン・キングピッチから試合のオファーがきた
ファイティング原田は日本ランキング2位
日本チャンピオンでさえない
完全に格下と思われていた
「ナニクソ!」
とファイティング原田は死に物狂いで練習した
チャンピオンが来日し
羽田空港に迎えにいったとき
挨拶して
握手をしようと手伸ばした
チャンピオンは無視した
(なめやがって
この野郎に絶対に勝ってやる)
via boxrec.com
試合当日
リングでコールされたファイティング原田は笑っていた
「苦しい練習を積み重ねてきて
それをやっと発散できるんだ
楽しくないはずないじゃないか」
11R
狂った風車のようなラッシュでKO勝ちした
日本で2人目の世界チャンピオンだった
プロデビュー後、2年半
19歳だった
リングでコールされたファイティング原田は笑っていた
「苦しい練習を積み重ねてきて
それをやっと発散できるんだ
楽しくないはずないじゃないか」
11R
狂った風車のようなラッシュでKO勝ちした
日本で2人目の世界チャンピオンだった
プロデビュー後、2年半
19歳だった
via youtu.be
ポーン・キングピッチ2
3ヵ月後
ポーン・キングピッチとのリターンマッチが行われた
タイのバンコクは敵地だった
会場は満員でリングまでの50mに30分かかった
リング下までビッシリだったのでセコンドはリングのエプロン(縁)に立った
8R
ファイティング原田が連打でポーンをダウンさせ
なんとか立ち上がったポーンを攻め込もうとしたときゴングが鳴った
このゴングは3分より早く鳴らされている
(ショートラウンド)
またこのダウンをレフリーはスリップと判断している
9R、
再びダウンを奪うがスリップの判定
結局15Rを戦い抜き判定で負けた
ファイティング原田は今でもあの試合は負けたと思っていない
わずか3ヶ月での王座陥落だった
ポーン・キングピッチとのリターンマッチが行われた
タイのバンコクは敵地だった
会場は満員でリングまでの50mに30分かかった
リング下までビッシリだったのでセコンドはリングのエプロン(縁)に立った
8R
ファイティング原田が連打でポーンをダウンさせ
なんとか立ち上がったポーンを攻め込もうとしたときゴングが鳴った
このゴングは3分より早く鳴らされている
(ショートラウンド)
またこのダウンをレフリーはスリップと判断している
9R、
再びダウンを奪うがスリップの判定
結局15Rを戦い抜き判定で負けた
ファイティング原田は今でもあの試合は負けたと思っていない
わずか3ヶ月での王座陥落だった
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ジョー・メデル1
この後
ファイティング原田はバンタム級に転向し
5ヶ月の間に4連勝(2KO)
6ヵ月後には世界ランキング4位にランクされた
そして世界チャンピオンへの挑戦権をかけて
世界ランキング3位で「ロープ際の魔術師」と呼ばれるジョー・メデルと戦った
5Rまでは一方的に攻めたが
6R、メデルのカウンターで3度のダウン
初めてのKO負けだった
ファイティング原田はバンタム級に転向し
5ヶ月の間に4連勝(2KO)
6ヵ月後には世界ランキング4位にランクされた
そして世界チャンピオンへの挑戦権をかけて
世界ランキング3位で「ロープ際の魔術師」と呼ばれるジョー・メデルと戦った
5Rまでは一方的に攻めたが
6R、メデルのカウンターで3度のダウン
初めてのKO負けだった
via youtu.be
ニックネーム:狂った風車
日本人2人目の世界チャンピオン
世界フライ級・バンタム級の2階級制覇
海外でも「歴代最も偉大なボクサー」として名前を挙がる
ファイティング原田ジム会長(第10代)
日本プロボクシング協会の会長
プロボクシング・世界チャンピオン会最高顧問