川島郭志 裏庭ジム出身のアンタッチャブル 誰も彼に触れることはできない
2016年11月25日 更新

川島郭志 裏庭ジム出身のアンタッチャブル 誰も彼に触れることはできない

「志は、気の帥なり(孟子)」 世界王者が生まれる条件は、トレーニングの環境ではなく、スピリッツである。川島郭志はサンドバッグと腹筋台だけの(自宅の)裏庭ジムから世界チャンピオンになった。その高いディフェンス能力は「アンタッチャブル(触ることができない)」と呼ばれた。

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川島郭志

【プロボクシング】挫折からの挑戦 チャンピオン川島郭志 - YouTube

WBC世界ジュニアバンタム級チャンピオン 川島敦志のトキュメンタリー。 エリートボクサーの歩んだ、挫折と世界タイトル獲得。
川島郭志(かわしまひろし)
165cm
第13代WBC世界スーパーフライ級(現Jバンタム 級、~52.16kg)チャンピオンを6度防衛
ニックネーム:アンタッチャブル(触ることができない、打たせずに打つ)
川島ボクシングジム会長

3歳からボクシング

海部川 川島郭志は、この土手を走っていた

海部川 川島郭志は、この土手を走っていた

川島郭志は
3歳の時には
グローブをはめサンドバッグを叩き
自宅周辺を走って脚を鍛えていた
練習は1日2回
16~17時
19時30分~21時過ぎまで
この日課は高校を卒業し上京するまで続いた

裏庭ジム

裏庭ジム  母親である志津子さんと

裏庭ジム 母親である志津子さんと

via お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著
川島郭志の父:郭信は
理髪の修行で上京し
1人の4回戦ボクサーと知り合い意気投合
一緒にランニングするようになった
地元、徳島県海部郡海陽町に帰り「東京理容室」を開業
翌年、母:志津子と結婚した
やがて5歳上の兄:志伸が生まれると父は母にいった
「子供はボクシングで育てるつもりや
それについては一切わしに任せてほしい
必ず世界チャンピオンにしてみせるから
お前はとにかく子供に優しいお母さんになってくれ」
(父:郭信)
via お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著
そして父はボクシングジムをつくった
自宅兼店舗の裏庭に
サンドバッグを吊って腹筋台を置いただけだった
父は「海部ボクシングジム」と名づけていたが
息子たちは「裏庭ジム」と呼んでいた
普通、理髪店は21時頃まで営業するが
父は18時になるとサッサと店を閉める
兄弟は
学校から帰ってきて
サンドバッグと縄跳びをして1時間くらいして
17時から食事
17時30分から18時までテレビをみて
19時まで宿題
そして19時になると裏庭のジムで練習が始まる
腕立て伏せ、腹筋、縄跳び、シャドーボクシング、ミット打ち、サンドバッグ
ジムワークが終わるとランニング
園児の頃は1500m
小学低学年のときは3000m
高学年では4000m
これを毎日タイムを計って走る
低学年だった弟は母と小回りコースを走り
兄は父と4000mの大回りコースを走った
どちらのゴールは自宅だった
弟がゴールまであとわずかというとき
兄が後ろから迫ってきた
「ヒロシ、お兄ちゃんが来た
逃げろ、逃げろ」
母にいわれ弟は必死にスピードを上げた
ランニングが終わる頃は21時を回っていた

父:川島郭信

 (1630083)

ボクシングに対する情熱と愛はすごかった
自身、42歳にして初めてアマチュアボクサーとして国体予選に出たほどである
このことは最年長ボクサーの挑戦として地元新聞が取り上げた
ボクシングの世界チャンピオンという夢の実現に向けて
強引に自分の信念を貫き通した
ボクシングにプラスになると思われることは徹底的にやる
そうでないものはやらない
そういうシンプルな考え方だった
だから息子に「勉強しろ」といったこともなければ成績が悪くても怒らない
だが走るタイムが遅いと平手で殴った

恐怖のマラソン大会

 (1630087)

だから父にとって
小学校のマラソン大会は重要だった
大会前日コースを試走しタイムをチェックする
そして当日
みんな長袖長パン
川島郭志だけはランニングシャツに短パン
靴も校則で決められた白靴ではなく軽量ランニングシューズ
そして1~4年はずっと1位
しかし5、6年では2位だった
「とろこいやっちゃなあ!」
と父は怒った
「マラソン大会で負けることは許されませんでした
小中、通じて1位、2位以外なったことはなかったものの
2位のときは父に怒られました
走る前はプレッシャーで
その緊張感は言いあらわせません」
(兄:志伸)
via お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著

注射禁止

 (1630090)

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