【ロベルト・ペタジーニ選手】ゴジラ松井に打ち勝った「最強助っ人」の一人
2016年11月25日 更新

【ロベルト・ペタジーニ選手】ゴジラ松井に打ち勝った「最強助っ人」の一人

1998年に来日したヤクルトたぺタジーニ選手は、来日1年目から松井秀樹と壮絶な本塁打王争いを繰り広げる。松井選手が大リーグに行った後は読売ジャイアンツ、晩年はソフトバンクに在籍。3球団で活躍した彼の球歴を振り返る。

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韓国・LGツインズ時代

韓国・LGツインズ時代

その後、ペタジーニ選手はシアトル・マリナーズ(マイナー契約)、メキシカンリーグのメキシコシティー・レッドデビルスでプレーした後、2008年に韓国・LGツインズの4番打者として2年間プレーします。

日本球界に復帰

2010年シーズンが始まった4月にソフトバンクが、2009年限りで韓国・LGツインズを退団していたペタジーニ選手の獲得を突如発表し、ペタジーニ選手は6年ぶりに日本球界に復帰します。全盛期は過ぎていたものの、指名打者不在の状況で加入により6番指名打者に定着。時折見せる勝負強い打撃で、チームのリーグ優勝に貢献しました。

ソフトバンク時代

この時2位西武とはゲーム差なしの激烈な優勝争いでした。ポストシーズンでロッテの「下克上」を許し、日本シリーズに進出できなかったソフトバンクはチームの若返りとペタジーニ選手の衰え(81試合出場で打率2割6分1厘、10本塁打)を理由に契約延長はせず、この年限りでペタジーニ選手は現役を引退します。

NPB在籍通算7年間で233本塁打を放ち、松井選手に打ち勝って2度の本塁打王を獲得したペタジーニ選手はまぎれもなく、最強の外国人助っ人選手の一人と言えるでしょう。
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