【河野博文投手】ミスターに「ゲンちゃん」と愛された中継ぎエースの現在地。
2016年11月25日 更新

【河野博文投手】ミスターに「ゲンちゃん」と愛された中継ぎエースの現在地。

1988年に最優秀防御率賞を獲得した河野投手はその後、FAで日本ハムから巨人に移籍する。1996年シーズン、首位に最大11.5ゲーム差をつけられてからの大逆転優勝(メークドラマ)に大きく貢献した。長島監督から「ゲンちゃん」と呼ばれた中継ぎエースは引退後波乱の人生を送ることになる・・・。

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先発でも、リリーフでも(日本ハム時代)

河野投手は駒沢大学卒業後、1984年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズに1位指名されて入団。入団一年目から一軍に定着し、8勝(13敗)を挙げます。その後、先発投手として使われている間は一度も「貯金」を作る事は出来ずに(1勝10敗、4勝6敗)不本意な成績が続きました。
ファイターズ時代

ファイターズ時代

ところが、1988年、「先発・リリーフ兼任」として使われると、防御率2.38の好成績を挙げて「最優秀防御率」賞を獲得しました(6勝5敗9セーブ)。その後も、河野投手は先発もリリーフも両方出来る貴重な投手として活躍していきます。

「中継ぎエース」(巨人時代)

河野投手は、1995年オフにフリーエージェント権を行使して読売ジャイアンツ(巨人)に移籍します。この年の序盤こそ河野投手は2軍にいましたが、リリーフ専任として一軍に呼ばれると「中継ぎエース」として、7月の月間MVPにも選ばれる活躍をみせます。
巨人時代

巨人時代

1996年シーズン、巨人は首位に最大11.5ゲームと離されて優勝はほぼ絶望的な状況でした。ところが、河野投手が「中継ぎエース」として活躍しだすと共にチームは快進撃を見せます。後に「メークドラマ」と呼ばれる大逆転優勝は、この年から創設された「セ・リーグ初代最優秀中継ぎ投手」に選ばれた河野投手の活躍なしには成し得なかったと言えるでしょう。(6勝1敗3セーブ)
胴上げされる長島監督

胴上げされる長島監督

ちなみに、長島監督は河野投手の登板を球審に告げる時、「ピッチャー・ゲンちゃん」と言い続け、これに対し、審判が「河野投手ですね」と確認を取っていたという逸話が残っています。
※この「ゲンちゃん」は日本ハム時代からの河野投手の愛称。風貌が北京原人に似ていることから。

1996 日本シリーズ 河野投手対イチロー選手

出典 youtu.be
オリックスが相手となった1996年の日本シリーズ。延長までもつれた第一戦でも河野投手は登板。迎えた相手はイチロー選手でした。この一打で勢いに乗ったオリックスに巨人は敗れる事になります。

野球人生を終えてから…

日本シリーズで敗戦投手になりましたが、その後もリリーフの貴重な戦力として登板していった河野投手。ですが、巨大戦力・巨人の宿命なのか、若手投手が台頭していくにつれて徐々に登板機会が失われていきます。

河野投手の投球(1999年時)

出典 youtu.be
上の動画にある1999年を最後に巨人を戦力外になった後、千葉ロッテに移籍したものの2000年シーズンを最後に現役を引退。その後激動の人生を歩む事になります。
「群馬ダイヤモンドペガサス」コーチ

「群馬ダイヤモンドペガサス」コーチ

引退後は、2008年から2009年まで、独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスでコーチを務めた河野投手ですが、この2009年に最愛の奥様が乳癌で他界。チームとも契約が切れた河野投手は、元西武ライオンズの選手の駒崎幸一氏から「農業をやってみないか」と誘われたのを機に農業の道へと進みます。
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河野さんは現役時代、料理などで健康管理に気を使ってくれた奥様への思いを胸に「無農薬で安心安全な食品を作ろう」という思いを胸に慣れない農業に取り組みます。そして2013年、栽培しているタマネギを使用した餃子などの食品加工会社「げんちゃん」を群馬県前橋市に設立。
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