プロ野球に新風を吹き込んだ外国人監督
2022年11月7日 更新

プロ野球に新風を吹き込んだ外国人監督

1リーグ時代から2リーグ分立後早々までは、ハワイ生まれの日系選手が監督を務めたこともありましたが、本格的な外国人監督時代の到来は1970年代以降になります。これまで、中日の与那嶺要監督からDeNAのラミレス監督まで、9人の外国人が監督となりました。今回は、2000年までに活躍した外国人監督に関するご案内です。

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与那嶺要監督(中日)1972~77年

「与那嶺野球で打倒巨人」No.945_1 #中日ニュース

アメリカ国籍の与那嶺要(よなみねかなめ)、監督通算成績は6年間で780試合388勝349敗43分となっています。ウォーリーという愛称で親しまれ、ウォーリー与那嶺と表記されることもありました。外国籍を有する監督としては、NPB史上初めてとなります。巨人のスタープレーヤーだった与那嶺は、引退後コーチ歴を経て中日の監督に就任します。普段は穏やかな人柄で笑みを絶やさない人物でしたが、胸の内は誰よりも熱い監督でした。

中日ナインの中にあった巨人コンプレックスを払拭した与那嶺は、72年から2年連続で巨人に勝ち越し、74年には悲願のリーグ優勝を果たして巨人のV10を阻止したのでした。

ルーツ監督(広島)1975~75年途中

ジョー・ルーツ - Wikipedia (2470825)

ジョー・ルーツ監督の通算成績は、1年で15試合6勝8敗1分となります。75年に広島の監督に就任したのがジョー・ルーツ、選手としてメジャー・リーグでプレーし、インディアンスでコーチも務めたという経歴の持ち主で、当時の日本球界では異色の存在でした。このルーツ監督が、純粋外国人監督の第1号でした。広島の打撃コーチを務め監督に昇格したルーツが、まず試みたのは選手たちの意識改革でした。

ところが球審に激しく抗議した際の球団側の対応を不服として退団。わずか15試合で日本を去ることになりました。その後、古葉監督が率いた広島ナインは、ルーツの遺産となる戦う姿勢を前面に出して、見事も球団創設26年目で初のリーグ優勝を果たします。まさに常勝赤ヘル軍団の誕生でした。

ブレイザー監督(阪神、南海)1979~80年途中、81~82年

ドン・ブラッシンゲーム - Wikipedia (2470827)

ドン・ブレイザー監督の通算成績は、4年間で416試合180勝208敗28分となります。南海で二塁手としてプレーし、引退後は野村克也兼任監督の懐刀としてヘッドコーチを務めたのがブレイザーです。南海を退団したブレイザーは、元同僚だった古葉竹識率いる広島にコーチとして就任した後、79年に阪神の監督となりました。

野村監督の「ID野球」を支えたシンキング・ベースボールの頭脳を持つブレイザー。その就任1年目に、あの江川事件で小林繁が巨人から移籍してきます。その小林の活躍で、前年度に大きく負け越した巨人に17勝8敗と圧倒的に勝ち越し、虎党を大いに喜ばせました。

バレンタイン監督(ロッテ)1995年、2004~09年

2005年6月ロッテ・バレンタイン監督インタビュー

ボビー・バレンタイン監督の通算成績は、7年間で966試合493勝450敗23分となります。NPBで監督になった、初めてのメジャー監督経験者ですね。バレンタインの下でチームは躍動し、10年ぶりのAクラスとなる2位に躍進するのですが、広岡GMとの確執が表面化し、バレンタインは1年で退団してしまうことになります。

帰国後はメッツの監督となったバレンタイン、2000年にはなんとワールド・シリーズに出場を果たすのです。そして、2004年に重光オーナー代行に請われてロッテ監督に復帰。復帰後のロッテは、セパ交流戦で初代王者になり、2位でシーズンを終えます。そしてプレーオフで見事に31年ぶりのパ・リーグ王者に輝いたのです。更に日本シリーズでは阪神を4タテし、通算の在任が7年という長期政権を築いたのでした。

2000年以降に就任した外国人監督

【ブラウン監督退場!】ベース投げ!ベース埋め!

・レオン監督(オリックス)2003年途中~03年
レオン・リー監督の通算成績は、1年で120試合41勝76敗3分となります。かつてロッテなどで活躍したレオン・リー、オリックスの打撃コーチを経て監督に就任しました。

・ブラウン監督(広島、楽天)2006~10年
マーティ・ブラウン監督の通算成績は、5年間で719試合318勝382敗19分となります。現役時代は広島でもプレーしたブラウン、マイナー・リーグの監督を務めた後に、広島の監督に就任します。退場処分を受けた際にベースを引き抜いて放り投げるパフォーマンスを覚えている人も多いでしょう。

・ヒルマン監督(日本ハム)2003~07年
トレイ・ヒルマンの通算成績は、5年間で683試合349勝320敗14分となります。選手・指導者としてメジャーの経験がなかったヒルマンですが、マイナー・リーグで監督を11年間務めた実績がありました。3年目の2006年には、1位でシーズンを終え、プレーオフも勝ち切りリーグ王者に。日本シリーズでも中日を撃破して日本一に輝いています。

・コリンズ監督(オリックス)2007~08年途中
テリー・コリンズ監督(オリックス)の通算成績は、2年間で193試合83勝105敗5分となります。NPBでは、2人目のメジャーの監督経験者です。オリックス退団後の2011年には、メッツ監督としてメジャーに復帰し、2015年にはワールド・シリーズに進出しています。

・ラミレス監督(DeNA)2016年~2020年
アレックス・ラミレス監督の通算成績は、5年間で692試合336勝337敗19分となります。現役時代はヤクルト・巨人・DeNAで活躍し、外国人として史上初の通算2000安打を達成しています。就任1年目の2016年には、クライマックスシリーズを勝ち上がって、日本シリーズに進出しています。就任4年目には日本国籍を取得し、日本人監督になった変わり種の監督ですね。

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