【訃報】前人未到の400勝投手、金田正一さん死去。
日本のプロ野球投手唯一の400勝投手にして、引退後はロッテ・オリオンズの監督を務めた「カネやん」こと金田正一(かねだ・まさいち)さんが、敗血症のため都内の病院で亡くなりました。86歳でした。
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— 日刊スポーツ (@nikkansports) October 6, 2019
国鉄スワローズの顔として活躍!
金田さんは1933年、愛知県生まれ。高校時代に国鉄スワローズにスカウトされ、1950年に入団。翌1951年には大阪タイガース戦でノーヒットノーランを若干18歳35日で達成し、最年少記録を樹立しました。その後も昭和生まれ初の沢村栄治賞受賞、1957年の完全試合の達成、1958年4月の開幕戦で長嶋茂雄から4打席連続三振を奪うなど、国鉄の顔として1964年まで同球団でプレーを続けました。
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1964年、巨人に移籍。400勝を達成!
そして1964年12月に読売ジャイアンツに移籍。その後も着実に勝利を重ね、1970年に引退するまで通算400勝、通算4490奪三振、通算365完投など、前人未到の記録を続々と打ち立てました。金田さんの巨人での背番号「34」は、永久欠番に指定されています。
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ロッテの監督に就任、日本一へと導く!
現役引退後の1973年より、ロッテ・オリオンズの監督に就任。1974年には同球団を日本一に導くなど、特定の本拠地球場を持たずに運営を行っていた当時の「ジプシー・ロッテ」人気に貢献、名物監督として1973年から1978年、および1990年から1991年にかけて監督を務めました。
監督として珍プレーを連発!
ロッテ 金田監督 珍プレー、乱闘
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解説者、名球会の初代会長も務める!
監督をしていない間は野球解説者として日本テレビなどで活躍。そして1978年には王貞治、長嶋茂雄、野村克也らとともに日本プロ野球名球会を設立し、初代会長を務めました。1988年には、これまでの功績が称えられ野球殿堂入りするなど、昭和のプロ野球界を代表する投手であった金田さん。その訃報には、多くの悲しみの声が寄せられています。ご冥福をお祈り申し上げます。
巨人のユニフォームを着用した金田さん(写真中央)