2017年1月19日 更新

不良!悪童!愛甲猛!高校時代のあだ名はあんぱん!打者転向の影に落合あり!

1980年の甲子園優勝投手だった愛甲猛。ロッテと中日で打者として活躍。悪さをし尽くした高校時代や知られざる落合博満との関係等、エピソード満載で愛甲猛を振り返る!また、ドーピングにも手を出していたという事実も!

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ロッテと中日で活躍した愛甲猛!

80~90年代のプロ野球選手。

右投左打、ポジションは投手→一塁手、背番号は1→9番。
1962年8月15日生まれ。神奈川県逗子市出身。

横浜高校のエース投手として1978年、1980年と夏の甲子園へ出場、1980年には優勝に導いた。
1981年、ドラフト1位でロッテオリオンズに入団。
1983年、打者に転向し、1984年~1989年までフルイニング出場を記録した。
1996年、無償トレードで中日ドラゴンズに移籍。
移籍後は代打の切り札として活躍。

2000年、現役引退。
ロッテ時代の愛甲猛(あいこう たけし)

ロッテ時代の愛甲猛(あいこう たけし)

535試合フル出場!ゴールデングラブ賞も獲得!

打撃では勝負強いバッティングを武器に主軸を打っており、1988年から3年連続で2ケタ本塁打を放つなどしたが、21本を放った1990年は低打率だったため、それ以降は安打性のバッターに変わった。

守備は一塁手を中心に外野手もこなした。1989年にはゴールデングラブ賞を獲っている。股関節が柔らかく180度開脚して送球を受けることができた。

かつては頑丈な選手としても知られ、535試合連続フルイニング出場のパ・リーグ記録を持っている。
1987年 野球カードの裏面

1987年 野球カードの裏面

甲子園の優勝投手だった愛甲猛!

小学校のころに野球を始める。体が成長し始めた中学時代は身体能力の高さからバレーボールやバスケット、水泳などにも誘われるほどだった。

横浜高校では1年生から左腕エースとなり、1978年の第60回全国高等学校野球選手権大会に出場。
エースで3番打者を務めた3年時の1980年の第62回全国高等学校野球選手権大会では決勝戦でアイドル的な人気を得ていた早稲田実業のエース、荒木大輔に投げ勝ち優勝。
横浜高校時代の愛甲

横浜高校時代の愛甲

出典 ameblo.jp
決勝の対戦投手・荒木大輔は1年生ながら、決勝まで無失点に抑えてきたエースであった。
しかし、この決勝では愛甲と荒木は連投の疲れもあってか、打ちこまれてしまった。
地力に勝る横浜高校がリリーフの好投もあり、勝利した。

この後の荒木は、当時甲子園のアイドルだった愛甲をも超える人気を獲得していく事になる。
甲子園で対戦した愛甲(左)と荒木大輔(右)

甲子園で対戦した愛甲(左)と荒木大輔(右)

高校で野球漬けの日々を送る中で、一時野球から離れた事もあった愛甲(詳しくは後述)。
甲子園で念願の優勝を決め、主将として優勝旗を受け取った愛甲は「優勝旗がこんなに重いなんて…。場内を一周するとき、手が震えました。野球をやめないでよかった」とコメントしている。
1980年 夏の甲子園で優勝を決め、喜ぶ横浜高校のナイン

1980年 夏の甲子園で優勝を決め、喜ぶ横浜高校のナイン

「悪童・愛甲」 高校時代の不良伝説!

高校時代は彫りの深い端正な顔立ちと野球の実力を兼ね備えたことから、特に女性の間で絶大な人気と知名度を誇った「甲子園のアイドル」だった一方、悪童としても知られた。

中学時代から不良の道にも精を出し始め、タバコ、女、シンナー、万引き、暴走族など、悪いと言われる事は全てやったという。

横浜高校へは授業料免除の特待生で、寮生活の野球漬けのはずが、高校2年まではタバコ、女、シンナーをやっていた。しかし、3年の時に本気で甲子園での優勝を目指してタバコ以外は断った。
高校時代のあだ名は「あんぱん」であったという。

高校卒業間際には暴行事件が発覚。愛甲はチームメイトや関係者らに謝罪したが、横浜高校はこの一件が原因で対外試合禁止処分を受け、春の大会に出場できなかった。
甲子園優勝投手の暴行事件として反響を呼んだ。
「甲子園アイドル」には裏の顔があった!

「甲子園アイドル」には裏の顔があった!

想像を絶する横浜高校野球部の「シゴキ」

当時の横浜高校野球部内でのイジメ、シゴキについて、「他の学校は知らないけど、自分の時代は、1年生はゴミ、2年生は人間、3年生は神様だから。
周りには3年生から『コーラ買って来い』と言われ、平仮名で『せんえん』って書かれた紙キレを握りしめて買いに行ったヤツもいた。砂利の上に正座させられての説教なんて日常茶飯事。

自分が入学する前の出来事だと、コーラの王冠を後輩の頭の上に乗せて、王冠目がけてシューズでパッカーンと殴る先輩も」と語る。

当時の野球部のモットーは『根性とハッタリでは負けるな』。遠征試合の時は全員が“ドカン”っていう太いズボンをはいて行く。
試合前の挨拶で両校が整列する時は『相手よりあとに集合して、相手が引き揚げるまで帰ってくるな。相手からは絶対に目を離すな』と言われていた。

余りの練習の辛さにバーベルを自らの足に落とし骨折させ練習を休む者、2階から飛び降りて両足を折り、練習を休もうとする人など、故意に怪我をする人間が多発したという。
悪そうに見えてくる・・・。

悪そうに見えてくる・・・。

上記のような「超体育会系」だった横浜高校の野球部。当時は不良校としても有名だった。
その中で一年時から頭角を現し、エース扱いをされた愛甲に対して、上級生から向けられる視線は非常に冷たい物だった。その妬みに耐えられなった愛甲は野球から離れてしまう。

ここまででも充分、ぶっ飛んだエピソードを持つ愛甲。しかし、まだまだ悪童・愛甲のエピソードは終わらない!!

野球から離れた愛甲を救った渡辺監督!

1年生だった1978年、初めて出場した夏の甲子園から戻った後に大スランプに陥る。
1年生の左腕エースとしてマスコミに騒がれ、自分を見失った。
上級生の妬みを買ってしまい、合宿所から出て行ったのだ。

その愛甲を救ったのが横浜高の渡辺元(元智)監督の慈愛だった。
しばらくして、ボールの感触を忘れかねて部に戻って来た愛甲を自宅に引き取り、自分の家族と一緒に暮らさせた。
心にまで痛手を受けていた愛甲は、これでよみがえった。

さらに渡辺監督は、「あいつと心中する。愛甲が中心にならなければ強くならない」とキャプテンに抜擢、大バクチを打った。これが見事に成功することになる。
横浜高校・野球部監督を務めた渡辺元智氏

横浜高校・野球部監督を務めた渡辺元智氏

愛甲は5歳の時に両親が離婚し、母子家庭で育った。
早く母親を楽させたいと考えていた愛甲を見事復活させたのが渡辺監督だった。

ちなみに、愛甲は渡辺監督宅の電話を毎晩遅くまで利用し、月の電話代が何倍にも膨れ上がったが、「それで愛甲が立ち直ってくれるなら」と黙認してもらっていたそう。
渡辺監督は愛甲のプロ野球球団との交渉にも出席!

渡辺監督は愛甲のプロ野球球団との交渉にも出席!

高校生ながら「ソープ」に接待されていた!

甲子園での優勝後は、「優勝パレードの翌日にスナックで酒を飲んでたら、知り合いの社長が来て、一緒に堀之内のソープに行った。あの時は待合室にお姉さんたちが集まって、サイン会になった」とういう。

甲子園で優勝した後は周りの扱いが変わって、授業中に別室に呼び出されて色紙にサインを書かされた。お茶やお菓子を出されて、なんならタバコも吸うかと言われた。
学校通いと風俗通いを両立!

学校通いと風俗通いを両立!

出典 ameblo.jp

プロ野球球団からもソープを接待された!

ドラフト前にはプリンスホテルや西武の関係者と接触を持っていた。 小遣いとして毎回10万円をもらい、ソープなどの接待も受けたという。

社会人チームであるプリンスホテルからは異例の4000万という支度金を提示されたが大洋を希望していて、大洋でなければプリンスホテルと考えていた。

ロッテに1位指名されたが大洋を希望した事もあり嫌な表情を浮かべ、ロッテ関係者が挨拶に来た日には女との先約があったのですっぽかしたそうである。
プロ球団に指名される左腕エース!ご本人は女性を逆指名!

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≪高校時代を振り返った愛甲のコメント≫

愛甲:甲子園で優勝したあとの話だけど車のおねえさんが学校の前で「家まで送ってあげるから」というんだ
怖いなと思ったけれど「いいや、家まで帰れるから」と思って乗ったらスナック経営してるお姉さんで「うちの店においで」と連れて行かれたら店に真っ白いスーツの人たちがいた(笑)

そこで「スーツの背中にサイン書いてくれ」といたわれたんだけれど
そんなとこ書けないじゃないですか
それで「背中にかけるほどの人間じゃないんで」と袖に書かせて貰って解放されました
そのあとも組長の誕生日に呼ばれたりした(笑)

プロ入り後は未勝利!落合の一言で吹っ切れた!

高校卒業後、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団し、1981年4月6日にプロ初登板を果たす(8回から登板し、2回4失点)。
しかし、期待された左腕はプロでは一勝も出来ずに、4年目の1984年に打者へと転向した。

投手としての3年間の成績は、一軍登板が61試合。主に使われ方はリリーフで、1983年にはリリーフとして48試合に登板。通算0勝2敗、防御率6.70だった。
3年目のオフに自ら打者(野手)への転向を球団に申し出た。

愛甲本人は1年目のキャンプ時点で「プロに入った以上はゼニの稼げる男になる。それが投手であっても打者であってもどちらでも構わない」とコメントしていた。
ロッテオリオンズ時代

ロッテオリオンズ時代

落合に一喝され、甲子園優勝投手のプライドを捨てた!

チームの主砲落合博満に弟子入りして打撃技術向上に取り組む。

落合に受けた自主トレはスパルタ教育そのもので、余りの厳しさに愛甲がつい「これでも甲子園優勝投手ですよ」とこぼすと、落合は「そんなに甲子園がいいなら甲子園に帰ればいい」と一喝。
愛甲はこれでプライドを捨てる事ができたという。

落合は厳しい指導の反面、愛甲を可愛がり、行動を共にすることが多かった。
打者転向に一番大きな役割を果たしてくれたと愛甲は自著『球界の野良犬』で語っている。
三冠王・落合博満

三冠王・落合博満

ロッテオリオンズでの練習時。愛甲(左から2番目)と落合...

ロッテオリオンズでの練習時。愛甲(左から2番目)と落合博満(左から4番目)

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