異常な孤独感から遂には精神を病んでしまったヴィヴィアン・リーに纏わるよもやま話
2018年10月30日 更新

異常な孤独感から遂には精神を病んでしまったヴィヴィアン・リーに纏わるよもやま話

私の知り合いで日本に住んでいる米国人については、先日ちょろっと口を滑らせてしまったが、またまた彼のリクエストにより、今回はヴィヴィアン・リーを話題にして見ようと思う。ちなみに、私が若い頃は彼女のことを「ビビアン・リー」と表記していたような記憶があるが、今は”V”の発音をいつの間にやら”ヴ”と表記しだしていたんですね?!

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『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役以上の波乱万丈人生!!!

ヴィヴィアン・リーと言えば、誰が何と言おうと『風とともに去りぬ』の主人公であるスカーレット・オハラ役で出演し、アカデミー主演女優賞を受賞したことだろう。映画ではスカーレットという女性の波乱万丈の半生を描いている訳であるが、それを演じた女優のヴィヴィアン・リーの実半生がスカーレット以上の波乱万丈なものであった。
『風とともに去りぬ』に出演した頃のヴィヴィアン・リー

『風とともに去りぬ』に出演した頃のヴィヴィアン・リー

ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh, Lady Olivier、1913年11月5日 - 1967年7月8日)は、英国の女優。1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と、1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役でアカデミー主演女優賞を受賞した。彼女はわずか全14映画作品にしか出演(主演・共演)していないのにも拘わらず、アカデミー主演女優賞を2回も獲っており、他の女優と比べれば、かなりの高確率と言わざるを得ない。

本名 ヴィヴィアン・メアリ・ハートリー(Vivian Mary Hartley)
生年月日 1913年11月5日
没年月日 1967年7月8日(53歳没)
出生地 英国領インド帝国・西ベンガル州ダージリン
死没地 英国・ロンドン・ベルグレイヴィア
国籍 英国

ヴィヴィアンの両親は”超”が付くセレブであった!!

ヴィヴィアンの母親と

ヴィヴィアンの母親と

ヴィヴィアン・リーは英印軍騎兵隊将校ではあったが、本は富裕な株式仲買人である父親アーネスト・ハートリーと母親ガートルード・メアリ・フランセスとの間に、1913年11月5日に英国領インド帝国ダージリンのセント・ポール・スクールの寄宿舎で一人娘としてこの世に生を受けた。彼女はヴィヴィアン・メアリ・ハートリーと名づけられた。
母親のガートルードは敬虔なローマ・カトリック教徒であり、自身の家系はアイルランドとアルメニアを祖とすると信じていたが、旧姓「ロビンソン・ヤーチ(Robinson Yackje)」のYackje(Yackjeeとも表記)から、インド人との混血である可能性が指摘されており、また、それがヴィヴィアンの東洋的美貌の理由であるとも言われている。
お気に入りの飼い犬と(1917年頃)

お気に入りの飼い犬と(1917年頃)

6歳のときにヴィヴィアンは母ガートルードの意向でインドを離れて、それまで通っていたダージリンの学校からロンドン南西部のローハンプトン (en:Roehampton) のカトリック女子修道院付属学校(現在のウォルディンガム女学校 (en:Woldingham School)) に転入した。かなりの”教育ママ”だったのね!?。
その後ヴィヴィアンは父アーネストのヨーロッパ旅行についていくかたちで修道院付属学校を退校した。ヴィヴィアンは父に従ってヨーロッパ各地の学校を転々とし、アーネストとヴィヴィアンがイギリスに戻ったのは1931年のことだった。
”ベッピン”に成長した頃

”ベッピン”に成長した頃

実は若い頃に演劇を心ざしたこともあった父の影響もあったのだろうか、ヴィヴィアンは修道院時代に舞台への憧れを育んでいき、18歳の時に両親の許可を得て、一年限りのイギリス王立演劇アカデミーに入学するようになる。

イギリス王立演劇アカデミーに入学を許可させる裏取引!!

実は両親は、俳優・女優と言う経済的に不安定で不規則な生活になることを危惧して結婚することを薦めていたのだった。しかし、ヴィヴィアンがまったく関心を示さなかったため、父が1年間限りの条件で、イギリス王立演劇アカデミーへ入ることを認めたのだった。
ヴィヴィアンの結婚式

ヴィヴィアンの結婚式

ヴィヴィアンは女友達から紹介された13歳年上の青年弁護士ハーバート・リー・ホルマンと付き合うようになり、彼のプロポーズを受け入れ、知り合って半年後の1932年12月20日、ロンドン、セント・ジェームズ寺院で結婚式を挙げる。
ヴィヴィアンは王立演劇学校を退学し、1933年10月12日に一人娘のスーザンを出産している。ちょうど彼の父との約束を果たした恰好になる訳だが、この時、ヴィヴィアンは19歳であったことも注目に値する。

だが、演劇への情熱は消えぬどころか・・・

恵まれた結婚生活を手に入れたものの、当時の因習の強い英国の旧家で主婦として暮らすことになるが、演劇への情熱は衰えるどころか、3ヶ月後には夫の許しを得て再び王立演劇学校へ通うようになる。結局、女優になる夢は捨てきれなかったのだ。それに彼女の夫はヴィヴィアンが子どもと家庭に身を捧げるには彼女の才能(能力・容姿・若さ)があまりにも勿体無いと考えたようで、ヴィヴィアンが映画に出演することを認めざるを得なかったのだろう。
ヴィヴィアンは友人たちの勧めで、1935年の映画作品『探しだされるもの』(Things Are Looking Up)に出演し、この作品の端役で女優としてデビューした。
ヴィヴィアンは、夫ハーバートのミドルネームの「リー」をラストネームに借用し、さらに自身のファーストネーム「ヴィヴィアン(Vivian )」の綴りの「a」を「e」に変更して「ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh)」という芸名を名乗ることを決めたというエピソードが残っている。
その後、映画・舞台など着実に演技力を磨いて、実力と人気を兼ね備える女優に成長して行くことになる。

『無敵艦隊』(Fire Over England) - Trailer

イギリスの俳優ローレンス・オリヴィエとヴィヴィアンは、初めての共演となる1937年の映画『無敵艦隊』で恋人同士を演じた。当時のリーはハーバートと結婚しており、オリヴィエも女優ジル・エズモンドと結婚していたが、オリヴィエとリーは不倫関係に陥っていったそうだ。あまりこういう話題には触れたくはないのだが、超有名な話なので・・・!!。

さて、肝心の彼女が出演した秀逸の映画は??

その1.『風と共に去りぬ』(1939年)

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『風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、原題: Gone with the Wind)は、1939年に製作された米国映画。カラー製作、スタンダードサイズ。監督はヴィクター・フレミング。日本での初公開は戦後の1952年。

監督 ヴィクター・フレミング
脚本 シドニー・ハワード
原作 マーガレット・ミッチェル
製作 デヴィッド・O・セルズニック
出演者 ヴィヴィアン・リー
    クラーク・ゲーブル

1940年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞(ハティ・マクダニエル・黒人俳優初)、脚色賞ほか特別賞を含め9部門を受賞した。
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