西から登ったおひさまが。
東へ沈む (あっ!大変!)
まさにこの時期に小学生だった私は、「こんな歌が流行っているようだけど、逆だから。」
と先生から注意された記憶が鮮明に残っています。
テストに出た時には、歌が「西から」と言ってるから、太陽が登るのは東から!と考えて
ウキウキと正解を導き出したのを覚えています。
今なら、「西日」って言葉も知っているし、もう間違えませんが、
当時は混乱した小学生もいたかも知れないですね。
ところが平成30年に、この歌をきっかけに、三平方の定理や三角比、
理科の知識を駆使して答えを導き出した中学生が現れたのです。
一般財団法人理数教育研究所が主催する「算数・数学の自由研究作品コンクール」中学校の部の最優秀賞に輝いた!
地上で一度沈んだ太陽。でも、50秒で地上350メートルの展望台に到達する東京スカイツリーのエレベーターで展望台に登れば、まだ沈んでいない太陽が見られる。
つまり「西から太陽が登ったかのように見える!」という事を数学や理科の知識を使って証明したそうです!
東村山音頭
志村けん版の「東村山音頭」
狭山茶どころ なさけが厚い
東村山四丁目 東村山四丁目
での公開生放送での人気コーナー「少年少女合唱隊コーナー」でのことだったそうです。
新潟にちなんだ歌として「佐渡おけさ」を全員で歌い、その後にゲストやドリフターズのメンバーの故郷の歌をそれぞれ歌うという趣向だったそうです。
そこで志村さんは地元の「東村山音頭」を披露することになり、制作段階でリメイクを施して4丁目が完成。
これに手応えを感じ、さらにリーダーのいかりや長介さんが3丁目を作詞・作曲。
志村さんが作詞・作曲した1丁目が加えられて、この3曲を本番でまとめて歌ったのです。
すると大評判になりました。
元歌の「東村山音頭」
作詞の土屋忠司氏は、当時、東京都武蔵野市水道部長だったそうです。
歌はキングレコード専属の歌手三橋美智也さんらを起用し、振り付けは日本舞踊家花柳徳兵衛さんが担当したそうです。東京郊外の町がこれほどの規模で実現できた背景には、パン食の普及で当時需要が急増していた小麦の出荷により東村山町農協に莫大な収益があったためだそうです。
大ブレークしたので
授業が始まってもみんな興奮冷めやらない様子で、
ハイテンションのまま授業に突入なんてこともしばしば。
学校も混乱しました。
志村さんの「東村山音頭」は東村山市の知名度向上にも大きく寄与したそうで、
1976年7月当時の東村山市長の熊木令治氏から感謝状が贈られたそうです。
この時に西武鉄道・東村山駅東口の交番前に、感謝状授与記念と志村さんへの激励の証として
3本のケヤキが植えられたそうです。通称「志村けんの木」というそうですよ。
カラスの勝手でしょ?
志村けんさんが「カラスなぜなくの、カラスの勝手でしょ」
と歌い、大流行しました。
学校でもみんなが歌っていましたね。
帰りの会では、この替え歌を歌いたいために
「七つの子」を歌いたい!と大騒ぎして先生に叱られていました。
当時、PTAからの苦情が番組へ多数舞い込んだそうです。
先生も親御さんたちまで巻き込まれて大騒ぎになるほど流行りましたね。
作曲 渡辺岳夫