「ベトちゃんドクちゃん」の愛称で呼ばれたお二人
結合双生児となった理由として、ベトナム戦争時にアメリカ軍が散布した枯葉剤の被害の可能性があるのではとの報道がありました。
母親はベトナム中部高原のコントゥム省で生まれましたが、この地域がベトナム戦争下で枯葉剤が多量に散布された地域であったことに拠ります。
ただ、実際の原因は不明のままとなっています。
母親はベトナム中部高原のコントゥム省で生まれましたが、この地域がベトナム戦争下で枯葉剤が多量に散布された地域であったことに拠ります。
ただ、実際の原因は不明のままとなっています。
日本では「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が発足
お二人の姿は日本でも大きく報道され、当時はただ衝撃を受けてしまっていました。
日本国内では大規模な支援活動が起こり、1985年6月2日に「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が福井県敦賀市で発足。募金を募って車椅子を贈ることが出来ました。
日本国内では大規模な支援活動が起こり、1985年6月2日に「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が福井県敦賀市で発足。募金を募って車椅子を贈ることが出来ました。
via stat.ameba.jp
1988年10月4日、分離手術が行われました
兄のベトさんが急性脳症から意識不明の重体に。
お二人とも死亡してしまう事態を避けるため、10月4日に分離手術が行われました。
この手術は日本赤十字社が支援し、ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての17時間に及ぶ大手術は無事成功。
ベトさんには左足、ドクさんには右足がそれぞれ残され、ドクさんには日本から義足が提供されました。
お二人とも死亡してしまう事態を避けるため、10月4日に分離手術が行われました。
この手術は日本赤十字社が支援し、ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての17時間に及ぶ大手術は無事成功。
ベトさんには左足、ドクさんには右足がそれぞれ残され、ドクさんには日本から義足が提供されました。
【あの人は今】1981年ベトちゃん・ドクちゃんは今どうしてる・・・
via www.youtube.com
分離手術後のお二人は
弟のドクさんはコンピュータプログラミングを学び、病院の事務員となりました。と同時にボランティア活動も行っています。
兄のベトさんは重い脳障害を抱えて寝たきりの状態が続くこととなりました。
2006年12月16日、ドクさんはボランティア活動の際に知り合ったグエン・ティ・タイン・テュエンさんと結婚。
結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語り、結婚後には兄のベトさんを引き取り夫婦で介護していました。
兄のベトさんは重い脳障害を抱えて寝たきりの状態が続くこととなりました。
2006年12月16日、ドクさんはボランティア活動の際に知り合ったグエン・ティ・タイン・テュエンさんと結婚。
結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語り、結婚後には兄のベトさんを引き取り夫婦で介護していました。
2007年10月6日1時、兄のベトさんは腎不全と肺炎を併発し、26歳の若さでお亡くなりになりました。
2009年10月25日、ドクさん夫妻に男女の双子が誕生。
それぞれ富士山と桜にちなみ、男児はグエン・フー・シー、女児はグエン・アイン・ダオ名づけられました。
2009年10月25日、ドクさん夫妻に男女の双子が誕生。
それぞれ富士山と桜にちなみ、男児はグエン・フー・シー、女児はグエン・アイン・ダオ名づけられました。
「ベトちゃん、ドクちゃん」のドクさん双子の父に(09/10/25)
via www.youtube.com
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