松下電器が94年に発売したゲームハード『3DO』
2018年4月9日 更新

松下電器が94年に発売したゲームハード『3DO』

米国・3DO社のライセンスビジネスとして、松下電器が日本国内における製造・販売を請け負ったゲーム機・3DO。豊富なタイトルがリリースされ、当時としてはハイクオリティなグラフィックを搭載しながら、わずか2年あまりでゲーム市場からの「敗退」を余儀なくされたこの悲劇のゲーム機について振り返ります。

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スーファミとプレステの谷間にリリースされた悲劇のゲーム機・3DO

1990年11月21日に発売され、日本を、いや、世界を虜にしたファミリーコンピュータの後継機・スーパーファミコン。売上台数は国内だけで1700万台以上。世界規模では5000万台近くを売り上げ、ゲーム市場を席巻しました。しかし、当時のゲーム業界は、ハードが次から次へと乱発された時代。あれだけ隆盛を誇ったスーファミも、1994年12月に発売されたPlayStationにわずか数年でシェア率を抜かされてしまったという事実が、その競争の凄まじさを物語っているというものです。

さて、このPlayStation発売の約9ヶ月前に、一つの次世代ゲーム機が松下電器から発売されました。ハードの名前は『3DO』。スーパーファミコンとプレステ・セガサターンの谷間にリリースされ、わずか2年あまりでソフト供給がストップし、競争からの敗退に追い込まれたその不遇な軌跡を追っていきます。
Panasonic 3DO REAL

Panasonic 3DO REAL

エレクトロニック・アーツ社の版権ビジネスだった

そもそも、『3DO』とはどういった特徴のあるゲームハードだったのか、まずはここから説明していきましょう。

『3DO』は、『FIFA』『シムシティ』『テーマパーク』など、日本でもお馴染みのゲームシリーズを発売する、世界屈指のゲームソフト開発会社『エレクトロニック・アーツ社』の創始者トリップ・ホーキンスが、ゲームハード開発を目的として設立した会社『3DO社』により提唱されたマルチメディア端末規格。なお、同社はゲーム機そのものの製造を行ったわけではありません。

ライセンスを提供した電機メーカーにハードの製作・リリースを請け負わせ、ハードおよびソフトが売れるたびにロイヤリティを徴収するという、フランチャイズのようなビジネスモデルを展開していました。そのため、『3DO』はさまざまな企業から販売され、日本においては松下電器が担当することになったというわけです。
パナソニック本社(大阪府守口市八雲中町)

パナソニック本社(大阪府守口市八雲中町)

54,800円と高額だった

正式なゲーム機の名前は、『3DO REAL』。アインシュタインのCG(当時としてはかなり精巧な)が印象的な発売前のテレビCMでは、「54,800円(ゴー・ヨン・パー)です!」とことさら値段をアピールしていました。

54,800円…。

他の第5世代ゲーム機でも、プレイステーションの初期価格が39,800円、セガサターンが44,800円、NINTENDO64が39,800円というのを踏まえると、かなり割高。にも関わらず、声高に、まるでお値打ち価格のように喧伝していたのは、もともとは79800円ともっと高額な希望小売価格になる予定だったからです。松下電器の企業努力と英断によって、なんとか5万円台にセーブしたのでしょうが、それにしても高すぎます。

3DO REAL 発売前&後CM

『メタルギア3』が3DOで発売される予定だった?

1994年10月には三洋電機からも『3DO TRY』が、『3DO REAL』と同価格の54,800円で発売。
国内大手電機メーカー2社がこのライセンスビジネスに参入したのには、たしかな勝算があったからに他なりません。その勝算の一つがエレクトロニック・アーツ社からソフト供給を受けられることです。

現に『スター・ウォーズ レベル・アサルト』『ウィングコマンダー』など、同社からのソフトはかなり充実。他にも、『スーパーストリートファイターIIX』(カプコン)、『クレヨンしんちゃん パズル大魔王の謎』(バンダイ)、『信長の野望・覇王伝』(光栄)ゲームクリエイター飯野賢治氏の代表作『Dの食卓』(三栄書房)など、さまざまなゲームが3DO用にリリースされ、活況を呈していました。

また、沢尻エリカの元夫でハイパーメディア・クリエイターの高城剛氏がソフト制作を手掛けたり、ゲームクリエイター・小島秀夫氏も『メタルギア3』の提供を画策していたりと(結局、未遂で終わりましたが)、逸話に事欠きません。

CM パナソニック 3DO REAL 新作ソフト

2003年に3DO社は倒産…

高城氏出演のテレビCMで「3DOのソフトはねェ、年内に約100タイトルも出るんだヨ!」と宣伝し、実際、1995年には106タイトルがリリースされましたが、 3DOの売上は伸びませんでした。

理由は、やはり高額な価格設定であること、エレクトロニック・アーツ社供給のいわゆる「洋ゲー」がユーザーから広く受け入れられなかったこと、さらに、大量にソフトをリリースした割には看板タイトルをつくれなかったことなどが要因に挙げられます。結局、1996年6月28日、『井手洋介名人の新実戦麻雀』(カプコン)のリリースを最後に、3DOへのソフト供給はストップ。事実上のゲームハード市場からの「敗退」となったというわけです。

その後、3DO社はセガサターンやプレイステーション、PC用のソフト開発事業に着手しましたが、2003年5月に連邦倒産法第11章を申請し倒産してしまったそうです。

3DO REAL CM その2

(こじへい)
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