32bitゲーム機の先駆けとなった「3DO REAL」
3DO REAL 発売前&後CM
元々、アメリカの3DO社が1993年に開発・発表した32bitマルチメディア端末の統一規格「3DO」
3DO社(The 3DO Company)は、1990年にエレクトロニック・アーツの創始者の一人トリップ・ホーキンスがゲーム機プラットホーム開発を目的に設立したアメリカ合衆国の企業である。元々はSMSG(San Mateo Software Group)という名前だった。
1993年に32bitマルチメディア端末の統一規格「3DO」を開発・発表し、北米のマスコミを通じて『マルチメディア』時代の到来を盛んに宣伝した。3DO端末は松下電器を筆頭とするライセンス供与先の電機メーカーより同年に発売された。しかし、1995年には北米および日本にて第5世代ゲーム機のSCE・プレイステーションとセガ・セガサターンが爆発的な普及を見せ、3DO社の業績は悪化。任天堂の次世代機NINTENDO64の発売を目前に控えた1995年末に3DO社は3DO規格に見切りをつけ、3DOと開発中だった64bit規格の次世代機「M2」の権利を松下電器へ売却してハード事業から撤退した。
どことなく「MSX」の匂いが漂っていました。。。
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3DO社の方針は「情報家電」「インタラクティブ・マルチプレイヤー」
80年代から熾烈な戦いを繰り広げてきた日本の家庭用ゲーム機戦線で戦うには弱すぎた
またゲームショップなどをメインに販売された競合ゲーム機に対し、3DO REALは松下が持つ家電としての販路を利用して主に販売。松下電器は地域専門店、いわゆる「ナショナルショップ」での販売も行ったので、店側が儲かる施策が必要で、競合機のような積極的な値引き販売が出来ませんでした。
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同年の11月には「セガサターン」(SS)、12月には「プレイステーション」(PS)という競合機が一気に展開
このタイミングでゲーム機としての本来のラインナップへと転換を図り、高額だった本体も設計見直しによる改良機「3DO REAL II」を廉価(44800円)で販売するなど普及戦略を仕掛けました。
が、時すでに遅し。
それ以上のヒット作が不在で、洋ゲーと国内中小のサードパーティーが開発した版権キャラクターもののタイトルで占めていた3DOはあっけなく敗北します。