在籍した主な選手
via avispaflag.com
松永成立 ※画像は横浜マリノス時代
1962年8月12日生まれ。静岡県浜松市出身。
ポジションはGK。
日本代表として活躍しドーハの悲劇の際には正GKを務めていた。
横浜マリノスで不動の守護神として活躍後、鳥栖フューチャーズへ移籍。以降は、ブランメル仙台、京都パープルサンガに在籍した。
ポジションはGK。
日本代表として活躍しドーハの悲劇の際には正GKを務めていた。
横浜マリノスで不動の守護神として活躍後、鳥栖フューチャーズへ移籍。以降は、ブランメル仙台、京都パープルサンガに在籍した。
ステファン・タタウ
1963年3月31日生まれ。カメルーン出身。
ポジションはDF (右SB / CB)。
カメルーン代表のサイドバックとして1990 FIFAワールドカップ, 1994 FIFAワールドカップと2度のFIFAワールドカップに主将として出場。
1995年に訪日し、鳥栖フューチャーズに加入したが、2年間の在籍でJリーグ昇格を果たすことは出来なかった。フューチャーズの消滅に伴って設立したサガン鳥栖に残留を希望したが結局残留することなく日本を去り、そのまま引退した。
ポジションはDF (右SB / CB)。
カメルーン代表のサイドバックとして1990 FIFAワールドカップ, 1994 FIFAワールドカップと2度のFIFAワールドカップに主将として出場。
1995年に訪日し、鳥栖フューチャーズに加入したが、2年間の在籍でJリーグ昇格を果たすことは出来なかった。フューチャーズの消滅に伴って設立したサガン鳥栖に残留を希望したが結局残留することなく日本を去り、そのまま引退した。
松田悦典(右) ※左は三浦和良
1974年8月14日生まれ。埼玉県三郷市出身。
ポジションはDF。
1995年から鳥栖フューチャーズに在籍。その後のサガン鳥栖でも主力としてプレー。引退時には、ファンからの要望によりチーム初の引退セレモニーを行った。
ポジションはDF。
1995年から鳥栖フューチャーズに在籍。その後のサガン鳥栖でも主力としてプレー。引退時には、ファンからの要望によりチーム初の引退セレモニーを行った。
via cdn.azrena.com
米山隆一 ※画像は1994年頃
1969年2月18日生まれ。東京都出身。
ポジションはDF、MF。
1994年からPJMフューチャーズに在籍。1996年のシーズン終了後に鳥栖フューチャーズが経営難から解散となったときは、一旦契約を解除されるが、後継クラブとなったサガン鳥栖のセレクションに合格し、引き続き1998年まで鳥栖でプレーした。
ポジションはDF、MF。
1994年からPJMフューチャーズに在籍。1996年のシーズン終了後に鳥栖フューチャーズが経営難から解散となったときは、一旦契約を解除されるが、後継クラブとなったサガン鳥栖のセレクションに合格し、引き続き1998年まで鳥栖でプレーした。
via fom.sakura.ne.jp
90年代のJリーグでは、PJMフューチャーズ以外にも、1998年の横浜フリューゲルス解散もあった。
地域に根差した運営を図りながらも、結局は母体企業の経営に左右されてしまう”企業スポーツ”なのだなと色々考えさせられた。
地域に根差した運営を図りながらも、結局は母体企業の経営に左右されてしまう”企業スポーツ”なのだなと色々考えさせられた。
「横浜フリューゲルス消滅」合併発表後、一度も負けずに天皇杯優勝!同時に解散となりました・・・。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
「横浜フリューゲルス消滅」。1998年秋、衝撃的なニュースが日本中を駆け巡りましたね。合併発表から、天皇杯決勝までの快進撃は今も記憶に強く残っています。
ポジションはMF。
PJMフューチャーズ以降は、福岡ブルックス、アビスパ福岡、コンサドーレ札幌に在籍した。