レロン・リー&レオン・リー(ロッテ)
兄弟の在籍チーム | 兄弟が同じチームだった期間 |
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ロッテオリオンズ | 1978年〜1982年 |
兄・レロン・リーは、ロサンゼルス・ドジャースの選手でしたが、日本に活躍の場を求め、ロッテ・オリオンズに入団。移籍初年の1977年には、いきなり本塁打王、打点王の二冠に輝きます。翌1978年、弟・レオン・リーも、兄に誘われてロッテに入団。登録名は、兄が「リー」だったため、弟はファーストネームの「レオン」と付けられました。
兄弟がそろった初年、兄の打率はリーグ4位の.317、弟はリーグ5位の.316で、二人そろって大活躍します。極め付きが1980年。兄が打率.358で首位打者のタイトルを獲得すると、弟も.340でリーグ2位。兄弟で、パ・リーグ打撃10傑のワンツーフィニッシュを果たし、チームの前期優勝に貢献しました。
兄は、生涯打率(4000打数以上)が.320で、これは日本プロ野球の歴代1位(2022年シーズン終了時点)の記録です。兄は生涯ロッテに在籍するも、弟は、1983年に交換トレードで横浜大洋に移籍しています。因みに、元メジャーリーガーのデレク・リーは、レオン・リーの実の息子です。
兄弟がそろった初年、兄の打率はリーグ4位の.317、弟はリーグ5位の.316で、二人そろって大活躍します。極め付きが1980年。兄が打率.358で首位打者のタイトルを獲得すると、弟も.340でリーグ2位。兄弟で、パ・リーグ打撃10傑のワンツーフィニッシュを果たし、チームの前期優勝に貢献しました。
兄は、生涯打率(4000打数以上)が.320で、これは日本プロ野球の歴代1位(2022年シーズン終了時点)の記録です。兄は生涯ロッテに在籍するも、弟は、1983年に交換トレードで横浜大洋に移籍しています。因みに、元メジャーリーガーのデレク・リーは、レオン・リーの実の息子です。
松沼博久・雅之(西武)
兄弟の在籍チーム | 兄弟が同じチームだった期間 |
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西武ライオンズ | 1979年〜1989年 |
兄・松沼博久は、取手二高から東都大学リーグの東洋大学に進学。卒業後は、社会人野球の東京ガスに入社します。4歳下の弟・松沼雅之も取手二高から東洋大学へ。そして、1978年オフ、ドラフト外で西武ライオンズへ兄弟同時に入団します。入団後は、松沼兄・松沼弟の登録名(通称「アニヤン」「オトマツ」)で、共に投手として、一躍有名になりました。
松沼兄は、入団1年目からチーム最多の16勝を挙げる活躍を見せ、新人王を獲得します。1982〜1985年にも二桁勝利を挙げ、リーグ優勝に貢献。松沼弟は、2年目から活躍し、1980年から1984年まで5年連続で二桁勝利を挙げています。二人は、西武が常勝集団に生まれ変わる過程で、チームに大きく貢献した主力投手でした。
兄弟ともに西武一筋で現役生活を終え、松沼弟が1989年に引退、松沼兄は1990年に引退しています。
松沼兄は、入団1年目からチーム最多の16勝を挙げる活躍を見せ、新人王を獲得します。1982〜1985年にも二桁勝利を挙げ、リーグ優勝に貢献。松沼弟は、2年目から活躍し、1980年から1984年まで5年連続で二桁勝利を挙げています。二人は、西武が常勝集団に生まれ変わる過程で、チームに大きく貢献した主力投手でした。
兄弟ともに西武一筋で現役生活を終え、松沼弟が1989年に引退、松沼兄は1990年に引退しています。
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嶋田宗彦・章弘(阪神)
兄弟の在籍チーム | 兄弟が同じチームだった期間 |
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阪神タイガース | 1985年〜1992年 |
兄・嶋田宗彦は、箕島高から住友金属に入社し、都市対抗野球で活躍。5歳下の弟・嶋田章弘も同時期に箕島高で活躍します。そして1984年オフ、弟はドラフト1位、兄はドラフト4位で阪神タイガースへ兄弟同時に入団します。1年目の1985年は、阪神21年ぶりの優勝で沸いた年で、例年以上に注目を集めました。
兄・宗彦は、木戸の二番手キャッチャーとして1年目から活躍。8月以降は、先発マスクをかぶることもあり、優勝に貢献します。弟・章弘も8月に初先発を果たし、9月の中日戦では8回までノーヒットノーランの好投を見せます。1986年4月25日の中日戦では、兄弟とも先発出場を果たし、兄弟バッテリーが実現しました。
兄・宗彦は1992年に引退。弟・章弘は外野手に転向し、1994年に近鉄へ移籍しました。
兄・宗彦は、木戸の二番手キャッチャーとして1年目から活躍。8月以降は、先発マスクをかぶることもあり、優勝に貢献します。弟・章弘も8月に初先発を果たし、9月の中日戦では8回までノーヒットノーランの好投を見せます。1986年4月25日の中日戦では、兄弟とも先発出場を果たし、兄弟バッテリーが実現しました。
兄・宗彦は1992年に引退。弟・章弘は外野手に転向し、1994年に近鉄へ移籍しました。
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仁村薫・徹(中日)
兄弟の在籍チーム | 兄弟が同じチームだった期間 |
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中日ドラゴンズ | 1988年〜1990年 |
兄・仁村薫は、1982年に読売ジャイアンツに入団。先に中日ドラゴンズに入団したのは、2歳下の弟・仁村徹の方で1984年のことです。兄・薫が巨人を自由契約になり、1988年に中日に移籍。兄弟そろって、晴れて同じ球団の選手となりました。
兄・薫は移籍初年から、代打や守備固めを中心に活躍。弟・徹も規定打席には届かなかったものの打率.306を挙げ、兄弟でチームのリーグ優勝に大きく貢献します。兄・薫は1990年に引退。弟・徹は1995年まで在籍し、翌年千葉ロッテマリーンズに移籍しています。
兄・薫は移籍初年から、代打や守備固めを中心に活躍。弟・徹も規定打席には届かなかったものの打率.306を挙げ、兄弟でチームのリーグ優勝に大きく貢献します。兄・薫は1990年に引退。弟・徹は1995年まで在籍し、翌年千葉ロッテマリーンズに移籍しています。
入来智・祐作(巨人)
兄弟の在籍チーム | 兄弟が同じチームだった期間 |
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読売ジャイアンツ | 1999年〜2000年 |
兄・入来智は、1990年に近鉄バファローズに入団。先に読売ジャイアンツに入団したのは、5歳下の弟・入来祐作の方で1997年のことです。1999年、兄・智が交換トレードで巨人に移籍すると、兄弟そろって、晴れて同じ球団の選手となりました。
兄・智は、1999年には登板機会はあったものの、2000年は登板なし。移籍して2年後の2001年、今度はヤクルトスワローズに移籍します。弟・祐作も、1999年は1勝6敗、2000年は怪我で0勝2敗と成績は振るわず。ところが2001年、兄・智はヤクルトで10勝3敗と二桁勝利を挙げ、優勝に貢献。弟・祐作も13勝4敗1S、勝率.765で、兄弟ともにキャリア最高の成績を残しています。
兄・智は、1999年には登板機会はあったものの、2000年は登板なし。移籍して2年後の2001年、今度はヤクルトスワローズに移籍します。弟・祐作も、1999年は1勝6敗、2000年は怪我で0勝2敗と成績は振るわず。ところが2001年、兄・智はヤクルトで10勝3敗と二桁勝利を挙げ、優勝に貢献。弟・祐作も13勝4敗1S、勝率.765で、兄弟ともにキャリア最高の成績を残しています。