【シブがき隊】フックン(布川敏和)・モックン(本木雅弘)・ヤックン(薬丸裕英)
via www.geocities.jp
1981年4月、TBS『2年B組仙八先生』に出演した3名により結成。
7年後の1988年8月7日、東京厚生年金会館で解隊宣言を発表、同年11月2日をもって“解隊”した。
7年後の1988年8月7日、東京厚生年金会館で解隊宣言を発表、同年11月2日をもって“解隊”した。
さとう宗幸主演の「2年B組仙八先生」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
さとう宗幸主演の「2年B組仙八先生」シブガキ隊や本田恭章も出演していた学園ドラマ!
「シブがき隊」命名の由来
名前の由来は「シブい“ガキ”」を意味しており、雑誌『セブンティーン』の一般公募によって『シブがきトリオ』に決定。その後まもなくして『シブがき隊』に改められた。
当時3人組は「トリオ」名が乱立しており、目立たせるため事務所の社長・ジャニー喜多川があえて「トリオ」から「隊」へ命名した。
あえて「トリオ」から「隊」とした意味を、メンバーは当時あるテレビ番組で「『たのきんトリオ』は『トリオ』だったけれど、ぼくたちは『隊』という形で(メンバーやファンなどの)みんなと連帯したい」などと答えていた。その「隊」へのこだわりは、前述のとおり“解散”という表現ではなく「『隊』がわかれるから“解隊”」とした点にも現れている。
一方で、薬丸が「メントレG」にゲスト出演した際、『トリオ』を『隊』に変えた理由として「当時、イモ欽トリオやうなずきトリオがすでに人気だったので、同一視されないように『隊』に変えた」と語っている。なお、薬丸自身は同番組で「シブがきトリオ」という名称を当初はあまり好んでいなかったことも明かしている。
「トリオ」じゃなくて「隊」にこだわっていたんですね~。
細かな音程の違いなんて吹き飛ばす、男らしさと勢いの溢れるナンバーが多かったですよね!
1982年5月、「NAI・NAI 16」で歌手デビュー。
デビュー当時のキャッチフレーズは「YMF 正面突破」(YMFとはヤックンモックンフックンの略)。
同期に「花の82年組」の小泉今日子・三田寛子・堀ちえみ・中森明菜・松本伊代・早見優・石川秀美らがいた。
デビュー当時のキャッチフレーズは「YMF 正面突破」(YMFとはヤックンモックンフックンの略)。
同期に「花の82年組」の小泉今日子・三田寛子・堀ちえみ・中森明菜・松本伊代・早見優・石川秀美らがいた。
シブがき隊のリリースしたシングルを振り返ってみましょう。
NAI・NAI 16(シックスティーン)(1982年5月5日)
シブガキ隊デビュー曲 - YouTube
細かい音程なんて関係ない!!
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100%…SOかもね!(1982年7月21日)
細かい音程の違いなんて勢いで掻き消してしまいました。
男らしい曲ばかりでしたね。
男らしい曲ばかりでしたね。
100%soかもね - YouTube
シブガキ隊
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ZIG ZAG セブンティーン(1982年10月28日)
YMF-1988 電光17歲 - YouTube
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処女的衝撃!(ヴァージンショック)(1983年2月25日)
YMF-1988 處女的衝擊-.flv - YouTube
via www.youtube.com
ZOKKON 命(LOVE)(1983年5月5日)
「ZOKKON 命(LOVE)」のイントロのフレーズにアメリカのロックバンド「ナイト・レンジャー」の代表曲「Don't Tell Me You Love Me」(当時の邦題/炎の彼方)のイントロのリフをそのまま使った事が音楽雑誌等でネタにされることがあった。
1965年8月4日、B型 フックン イエロー
本木雅弘
1965年12月21日 A型 モックン レッド
薬丸裕英
1966年2月19日 B型 ヤックン ブルー