演歌歌手・中条きよしのムード歌謡
via www.imgrum.org
1974年1月中条きよしは演歌「うそ」でデビュー。150万枚を超えるヒットとなる。
中条きよし『うそ』
悲しい嘘の つける人
冷たい嘘の つける人
優しい嘘の 上手い人
一緒になる気がない女性に、「花嫁衣装は着物が好きだよ」とか言う。
しかし女性はそれが嘘だとわかっている。
小説家でもある山口洋子の詩は奥が深い。
冷たい嘘の つける人
優しい嘘の 上手い人
一緒になる気がない女性に、「花嫁衣装は着物が好きだよ」とか言う。
しかし女性はそれが嘘だとわかっている。
小説家でもある山口洋子の詩は奥が深い。
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「嘘をついてはいけないと」教わった昭和の子の疑問
折れたタバコの吸い殻で、なぜ、あなたの嘘が分かるんでしょうか?
嘘がバレる煙草の吸殻とは?
嘘をついているから、間が持てなくてタバコを吸うが、それでも落ち着かずタバコを消すと折れてしまうのか?
それとも、女性が吸ったタバコの吸い殻が灰皿にあったのだろうか?
嘘をついているから、間が持てなくてタバコを吸うが、それでも落ち着かずタバコを消すと折れてしまうのか?
それとも、女性が吸ったタバコの吸い殻が灰皿にあったのだろうか?
うそ 中条きよし 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索
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中条きよし『うすなさけ』1974年の動画
若い頃の中条きよしのyoutube動画。
こんな柄のシャツを着ている人は、テレビ以外で見たことがない。
こんな柄のシャツを着ている人は、テレビ以外で見たことがない。
via www.youtube.com
『うすなさけ』 歌詞 中条きよし ※ Mojim.com 魔鏡歌詞網
『うすなさけ』中条きよし・作詞:なかにし礼・作曲:平尾昌晃。浮気じゃいやよ本気で惚れて、私にはいつだって恋は命がけ遊びじゃないと口では言って今日もまた来ない人あなたうすなさけ。
1974-75年中条きよし動画
1974-75年に中条きよしがフジテレビ「夜のヒットスタジオ」に出演した時のyoutube動画。
中条きよしは歌が上手い!
男女の関係と女心を歌い上げている。
中条きよしは歌が上手い!
男女の関係と女心を歌い上げている。
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1974年から1975年中条きよしの初期の7曲のうち『うそ』『理由(わけ)』『火遊び』『よる』『ラスト・デート』の5曲が作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路による楽曲。
平尾昌晃は元歌手で、オーデション番組『君こそスターだ!』の審査員をつとめていた。
山口洋子は元女優で東京・銀座でクラブ「姫」を開店。夜の世界の男女の機微を描いたを作詞やエッセイを発表している。
作詞山口洋子と作曲家平尾昌晃とのコンビは、昭和の時代を代表する数々のヒット曲を生み出した。中条きよしのムード歌謡の成功はこの二人の制作力によるところが大きい。
平尾昌晃は元歌手で、オーデション番組『君こそスターだ!』の審査員をつとめていた。
山口洋子は元女優で東京・銀座でクラブ「姫」を開店。夜の世界の男女の機微を描いたを作詞やエッセイを発表している。
作詞山口洋子と作曲家平尾昌晃とのコンビは、昭和の時代を代表する数々のヒット曲を生み出した。中条きよしのムード歌謡の成功はこの二人の制作力によるところが大きい。
若い頃の中条きよしがホストに見える!
色男や情夫という言葉が中条きよしのイメージによく合う。
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via blog.goo.ne.jp
via blog.livedoor.jp
中条きよしがホスト系歌手と言われる理由・伝説のホストの存在
中条きよしが身につけている広い衿のスーツや太いネクタイ、カフスボタン。
そして髪型やタバコを吸う仕草が伝説のホスト伏見直樹のイメージと重なる。
そして髪型やタバコを吸う仕草が伝説のホスト伏見直樹のイメージと重なる。
70年代の元祖ホスト伏見直樹
伏見直樹(ふしみ なおき)は、1955年10月16日生まれ、15歳の時に北海道から家族と上京。
17歳の時に梅宮辰夫が経営するホストクラブ「梅宮」で年中無休で働く。
その後、東京新宿の老舗ホストクラブ『クラブ愛』(現在の愛本店)に移りナンバーワンホストになる。
伏見直樹は現役ホスト時代の1970年代にブランド物で身を包み、高級外車に乗っていた。
元祖歌舞伎町のジゴロとよばれる数々の伝説がある。
17歳の時に梅宮辰夫が経営するホストクラブ「梅宮」で年中無休で働く。
その後、東京新宿の老舗ホストクラブ『クラブ愛』(現在の愛本店)に移りナンバーワンホストになる。
伏見直樹は現役ホスト時代の1970年代にブランド物で身を包み、高級外車に乗っていた。
元祖歌舞伎町のジゴロとよばれる数々の伝説がある。
via japaneseclass.jp
デビュー前は東京・赤坂でスナックを営業していた。
1968年、高波 明(たかなみ あきら)名で「帰って来た波止場」で歌手デビュー。
1971年、渥美 健(あつみ けん)名で、「心の古傷」を発売する。
1973年、27歳の時にオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場。10週勝ち抜きグランドチャンピオンになった。
審査員の作詞家の山口洋子が芸名を「中条きよし」に命名、作曲家の平尾昌晃に見出された。