ニュー・エスト・モデル
1985年、中川敬を中心に結成した日本のミクスチャー・ロック・バンド。当初はノーザン・ソウルやモッズ、ガレージなどの影響を感じさせるストレートなパンク・ロックを指向するも、次第に広汎なワールド・ミュージックを採り入れ、日本のミクスチャー・ロック・バンドのパイオニアとして活躍。
中川敬のバンド活動デビューから『ニュー・エス・モデル 』結成まで
小学6年ぐらいの時にFMラジオとか聞くようになってね。そういうところからロックと言われる音楽を聴き始めて。最初はビートルズやったかな。それから中学3年のときにローリング・ストーンズというやっかいなバンドに引っかかってしまってね(笑)。もうそこからは完全にストーンズ。
ビートルズもマニアックに聴いていたんですよ。ウィングスも聴くし、ジョン・レノンのソロも聴くし。とにかくもう聴きまくっていて。その次に何か聴きたいなって思っていたときに、ストーンズやったから。いきなり気分は大人になってしまったというかね。なんかもう、それまでのものはもう聴けない! それからは、ストーンズ・フリークといってもいいくらい。で、高校入ったらバンドやるぞ! ってそういう感じやね。
高校卒業後、1年くらいセクシャルというハードロック・バンドにギタリストとして在籍した時期があって。エアロスミスみたいなものを志向していいたから、俺とは全然あわなくてね。俺が潰したようなもんよね、1年で解散してしまったんやけど。それでJAMとかドクター・フィールグッドとかやね。エルビス・コステロ・アンド・アトラクションズとかその辺の感じがやりたくて。そこで始めたのがニューエスト・モデルやね。ちょっとモッズっぽいパンク。
最初はとりあえず、トリオでJAMみたいなことをやっていたんやけど。オルガンが欲しくて、無理矢理奥野をキーボードにしてしまった。本当は奥野もギタリストやってんけど(笑)。
バンドの特徴
最初期はノーザン・ソウルやモッズ・ミュージック、60'sガレージ・バンドの影響下にある、ザ・ジャムやストラングラーズのようなストレートなパンク・ロックを指向していたが、徐々にサイケデリック・ロック、セカンド・ライン、ザディコ、アイリッシュ・トラッド、ニュー・ソウル、ファンク、ヒップ・ホップ、カリプソ、スワンプ・ロックなど広汎な世界音楽を取り入れ、日本のミクスチャー・ロック・バンドの先駆けとして支持を受けた。
メロディーの圧倒的な疾走感、多くの問題提起と意味を含みながらもユーモアにあふれていた詩、そして何よりサビの部分も含め詩が殆どが日本語(大阪弁?)の歌詞が曲と合わさることにより、その当時聴いていた洋楽よりかっこよかったのである。
ソウルとパンクの融合を試みたインディー時代を経て、いろんなジャンルの曲を分解し、オリジナルロックとしてミクスチュアーし続けた
デビューシングル『ソウル・サバイバーの逆襲』
1989年6月21日にキング・レコードからデビューシングル『ソウルサバイバーの逆襲』を発売
THE NEWEST MODEL/ソウルサバイバーの逆襲 https://t.co/RrsxyD1wrI
— サガワトシアキ (@sgw_toshi) May 15, 2015
初めて聴いた時、「過ちが 忘れられた 都合がいいから」というラインに、ぶん殴られた気がした。曲も曲構成も詩も永遠のマスターピース。
NEWEST MODEL/ソウルサバイバーの逆襲 https://t.co/8DoqNYisnC @YouTubeさんから
— W v (@oosugisakaeroc1) August 20, 2015
おしゃべりは信じないよ 嘘のような気がする
巧みな言葉とカネ さみしいねって近づく
過ちが忘れられた 都合がいいから
魂の生き残りが 迎えに来るまで
中川敬の若い頃の写真がアップされていたせいでニューエストモデルの動画を観始めてしまった(^^;)『ソウルサバイバーの逆襲』を聴いた時は本当に衝撃的で、この曲が私を左翼にしたと言ったら過言だが、やっぱり関西人ってパワフルだよなぁ
— みっちゃん (@tsukuyomihime) April 13, 2015
メンバー
中川敬(ヴォーカル、ギター)、髙木基弘(ベース/結成 - 1987年12月)、田中“ベン”勉(ドラムス/結成 - 1992年12月)、奥野真哉(キーボード/1986年10月 - 解散)、鈴木友之(ベース/1988年4月 - 1991年8月)、河村博司(ベース/1991年10月 - 解散)、大木正博(ドラムス/1992年6月 - 解散)