エキゾチックな雰囲気を醸し出したエヴァ・ガードナー
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貧しい農家の末娘として生まれた!!
幼少期の頃の家族写真
エヴァ・ガードナーは1922年12月24日、米国・ノースカロライナ州グラブタウン(Grabtown)で農家の7人兄弟の末っ子としてこの世に生を受けた。彼女には2人の兄、レイモンドとメルビン、そして4人の姉たち、ベアトリス、エルシー・メイ、イネス、そしてミラがいた。
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彼女の母親であるメアリー・エリザベス・モリーと父親のジョナス・ベイリー・ガードナーは、貧しくも綿花とタバコの農家を営んでいた。母親のモリーはバプティスト派のスコットランド系アイルランド人とイングランド人の混血、父親はカトリック派のアイルランド系アメリカ人とタスカローラ族・インディアンの混血だった。そしてエヴァは母親のバプテスト信仰の中で育てられたそうだ。
少女(12歳)の頃のエヴァ・ガードナー
子供たちがまだ若いうちに、家族は財産を失い、兄らは製粉所で働き、母のモリーは近くのブログデンスクールの教師のための寮で料理人兼家政婦として働らいている。エヴァが7歳になった時、家族は大都市のバージニア州ニューポート・ニュースに移り、母親のモリーが市内の多くの船乗りのための寄宿舎を管理する仕事を得た。
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ちなみに、ニューポート・ニュースでは、エヴァの父親が病気になり、彼女が15歳になった1938年に気管支炎で死んだ。まさに”負の連鎖”というところでしょうか!?。父親の死後、家族は母子家庭になってしまい、ノースカロライナ州ウィルソン近くのロックリッジに移動し、母親ひとりで家族の面倒を見なければならなくなった。
ニューヨークに出た頃のエヴァ・ガードナー
エヴァは、1941年にニューヨークの姉ベアトリスの夫を訪ねてた。ベアトリスの夫、ラリー・タール(Larry Tarr、プロの写真家)は、彼女の肖像画を撮ることを提案したからだった。
幸運というものはいつ降り注ぐのか判らないものだが、彼が撮ったエヴァの写真がきっかけで彼女が映画界入りをすることになったと、誰が予見しえただろうか??。
幸運というものはいつ降り注ぐのか判らないものだが、彼が撮ったエヴァの写真がきっかけで彼女が映画界入りをすることになったと、誰が予見しえただろうか??。
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1941年頃のエヴァ・ガードナー
話はとんとん拍子で進み、エヴァは映画デビューしたものの強い南部訛りが災いし、何年もヒット作がなく、女優としては低迷することを余儀なくされた。仕事といえばピンナップの撮影の方が多かった。
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エヴァが最初に結婚した米俳優のミッキー・ルーニー
エヴァは第二次世界大戦中の1942年に、当時、人気絶頂中の俳優ミッキー・ルーニーと結婚したことで、彼女の名前も知られるようになったが、この結婚は長続きせず、1年半で離婚してしまう。この結婚については、似ても似つかぬ、不釣合いな結婚だと揶揄され、果てにはエヴァの”売名”目的の偽装結婚では?とも報道されたらしい。芸能界は昔も今も変わらないような・・・??。彼女はその後、ミュージシャンのアーティ・ショウと結婚するも1年でまた離婚した。
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では、そろそろエヴァの出演した優秀映画の紹介!!
その1.映画『ショウボート』
ショウボート [DVD]
『ショウ・ボート』(原題・英語: Show Boat)は、1951年に製作・公開された米国の映画である。1936年に映画化されたジェローム・カーン作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞のミュージカル『ショウボート』の再映画化である。
監督 ジョージ・シドニー
脚本 ジョン・リー・メイヒン
原作 エドナ・ファーバー
製作 アーサー・フリード
出演者 キャスリン・グレイソン
エヴァ・ガードナー
ハワード・キール
エヴァが女優として、大きく飛躍したのは1951年のミュージカル『ショウ・ボート』で、強烈な存在感を残し一気にブレイクしたことだ。
監督 ジョージ・シドニー
脚本 ジョン・リー・メイヒン
原作 エドナ・ファーバー
製作 アーサー・フリード
出演者 キャスリン・グレイソン
エヴァ・ガードナー
ハワード・キール
エヴァが女優として、大きく飛躍したのは1951年のミュージカル『ショウ・ボート』で、強烈な存在感を残し一気にブレイクしたことだ。
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Show Boat - Ava Gardner 's own voice - Can't Help Lovin' That Man
J・カーンとO・ハマースタイン2世による名作ミュージカルの三回目の映画化。当初リナ・ホーンが予定されていた混血娘役は、黒人と白人のロマンスが時期尚早としてE・ガードナーにとって代わられた。そのエヴァでさえ、最初は自分の声で歌うことを目標として猛烈なレッスンを積んだのだが、結局、歌を吹き替えられてしまったそうだ。この動画は珍しくエヴァのオリジナルである。
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しかし元々、南部出身のエヴァだから、その南部美人ぶりは板について、この絢爛たるテクニカラー大作に大輪の花を添えている。ハッキリ言って、主筋のグレイソンとキールのお芝居も唄も大味でいただけず、すべて彼女に喰われてしまっていると言っても過言ではない。
フランス語のポスター
ミシシッピーの流れを行くショウボート。アンディ船長と継母パーシィ(アグネス・ムーアヘッド)に育てられたマグノリア(キャスリン・グレイソン)は、美しい娘盛りを迎えていた。彼女と仲良しのジュリー(エヴァ・ガードナー)は、ショウボートの主演女優だが、ハーフ児の身で白人俳優スティーブンと結婚していることが法に触れて、去って行かねばならなかった。入れ替わりに、粋なバクチ打ちのゲイロード(ハワード・キール)が、スティーブンの後釜として乗り込んで来た。マグノリアはたちまち彼と恋に落ち、駈け落ちしてシカゴで愛の巣を営んだ。だが幸福は1年と続かず、ゲイロードはバクチに凝って財産を失い、マグノリアが妊娠していることも知らずに、姿を隠してしまった。悲しみのマグノリアは、昔ショウボートにいたダンサー・チーム、エリーとフランク(マージ&ガワー・チャンピオン)の世話で、ナイト・クラブに歌手として職を求めた。偶然そこには、スティーブンに捨てられ酒浸りになっているジュリーがスターとしていた。
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ジュリーはマグノリアの不幸な姿を垣間見て、彼女に職を与えようと、ひそかにそこを立ち去って行った。やがてマグノリアは父と再会し、ショウボートに帰ってキムという女の子を生んだ。そして5年、ゲイロードはある船の中でジュリーと会い、キムのことを知った。彼は矢も楯もたまらずショウボートに帰って行った。今はすっかり地道に帰ったゲイロードを、マグノリアは心から迎えるのだった。
その2.映画『モガンボ』
モガンボ [DVD]
『モガンボ』(英語: Mogambo)は、1953年に製作・公開された米国映画である。
監督 ジョン・フォード
脚本 ジョン・リー・メイヒン
原作 ウィルソン・コリソン
製作 サム・ジンバリスト
出演者 クラーク・ゲーブル
エヴァ・ガードナー
グレース・ケリー
1932年の『紅塵』(ヴィクター・フレミング監督、クラーク・ゲーブル、ジーン・ハーロウ主演)のリメイクであるが、舞台は前作のフランス領インドシナからアフリカに移されている。
監督 ジョン・フォード
脚本 ジョン・リー・メイヒン
原作 ウィルソン・コリソン
製作 サム・ジンバリスト
出演者 クラーク・ゲーブル
エヴァ・ガードナー
グレース・ケリー
1932年の『紅塵』(ヴィクター・フレミング監督、クラーク・ゲーブル、ジーン・ハーロウ主演)のリメイクであるが、舞台は前作のフランス領インドシナからアフリカに移されている。
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Mogambo (1953) Official Trailer - Clark Gable, Grace Kelly Adventure Movie HD
アフリカ奥地で動物園用に野性動物を捕獲するマースウェル(クラーク・ゲーブル)はケリー(エヴァ・ガードナー)という、インドの王子に招かれこの地に来た元ショーガールと出会う。王子は急用で帰ったあとだったので、仕方なしに帰りの船便が出るまで面倒を見るうち、心憎からず思い始める彼だが、お互いに意地っ張りで何かと反発しあう。そこへ英国から動物学者ノードリーが妻のリンダ(グレース・ケリー)を伴ってやって来て、彼のガイドでゴリラの生体観察へ。リンダは逞しい彼に惹かれ、船の故障で舞い戻ったケリーと張り合うが・・・。
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本名 エヴァ・ラヴィニア・ガードナー(Ava Lavinia Gardner)
生年月日 1922年12月24日
没年月日 1990年1月25日(67歳没)
出生地 米国・ノースカロライナ州
国籍 米国
エヴァは背が高く、あごには割れ目もあり、見た目からして「女優」らしい風格を備えていた。
また、彼女の父親がアメリカインディアンのタスカローラ族の血をひいていたためか、エキゾチックな雰囲気を醸し出していた。