現役時代に自らを酷評した広岡監督に対してその人間性を批判していましたが、監督業に就いてからは「ようやく広岡の言っていたことが理解できた。勝利のためには自分が求めているものに対する努力、集中という対価が必要だ。日本での練習、チームへの貢献を学んだ私は米国に帰って指導者となり、自分をコントロールできるようになった。日本でプレーしていなかったら、監督をやることもなかっただろう」と日本での経験が現在の自身のキャリアに大きく貢献していることを公にしています。
2003年にフィラデルフィア・フィリーズGM特別補佐に就任、その後、2005年からは監督として現場でチームの指揮を執っている。2007年は独走するニューヨーク・メッツを終盤戦に猛追。残り17試合で6ゲーム差という状況から逆転して地区優勝する。2008年には、リーグチャンピオンシップシリーズでロサンゼルス・ドジャースを破ってナショナルリーグ優勝を果たし、チームをワールドシリーズに導いた。そのワールドシリーズでもタンパベイ・レイズを破り、見事チームをワールドチャンピオンへと導いた。因みに日本球界経験者でのワールドシリーズ優勝監督は、巨人でプレーして、1986年にニューヨーク・メッツをワールドチャンピオンに導いたデーブ・ジョンソン以来となった。2013年8月12日には監督としてMLB通算1000勝を達成したが、この年チームは地区4位と低迷しており、4日後の8月16日、フィリーズより監督解任が発表された
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マニエルの来日する2年前に公開され社会現象になった「エマニエル夫人」という映画があった。ポルノ映画という触れ込みだったが映画館は若い女性でいっぱいだった。当時中学生の筆者の目にはその映画のポスター、籐の椅子に座った全裸のシルヴィア・クリステルが焼き付いていた。マニエルがホームランを打った翌日、新聞の見出しに「マニエル」という文字を目にするとなぜか興奮した。マニエルは本当に凄いバッターだった。