鈴木キサブローさんは、ものすごい数のアーティストに楽曲を提供している人です。
誰でも知っている曲では、H2Oの「想い出がいっぱい」などがあります。
この名プロデューサーにさんざん説教された後、「頑張ろう」と励まされ、徳永さんは号泣し、考えを変えたと語っていました。
しかし、続いてリリースしたシングル「夏のラジオ」、アルバム「radio」はさっぱり売れず、レコード会社から早くも「次がダメならクビ」と言われてしまいます。
誰でも知っている曲では、H2Oの「想い出がいっぱい」などがあります。
この名プロデューサーにさんざん説教された後、「頑張ろう」と励まされ、徳永さんは号泣し、考えを変えたと語っていました。
しかし、続いてリリースしたシングル「夏のラジオ」、アルバム「radio」はさっぱり売れず、レコード会社から早くも「次がダメならクビ」と言われてしまいます。
「輝きながら・・・」のリリース
背水の陣となった徳永さんの次のシングルが、あの名曲「輝きながら・・・」です。
実はこの曲を作った人は鈴木キサブローさんでした。
数々のアーティストに提供している鈴木キサブローさんですが、徳永さんに提供したのはこの曲のみです。徳永さん自身も、唯一他人の作った曲で、やりにくかったと語っています。
しかし、この曲がなければ、その後に続く輝かしい徳永さんの活躍はなかった、とご本人も認めています。
実はこの曲を作った人は鈴木キサブローさんでした。
数々のアーティストに提供している鈴木キサブローさんですが、徳永さんに提供したのはこの曲のみです。徳永さん自身も、唯一他人の作った曲で、やりにくかったと語っています。
しかし、この曲がなければ、その後に続く輝かしい徳永さんの活躍はなかった、とご本人も認めています。
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続いて、ナショナルのエアコン「エオリア」のCMタイアップ曲「風のエオリア」も大ヒット。
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この2曲が、初期の徳永さんをイメージづけたのは揺るぎない事実であると思います。
しかし、徳永さんの歌いたかった曲は、この大ヒット曲たちではなかったそうです。
本当に徳永さんが歌いたかったのは、「最後の言い訳」という曲であると語っています。
しかし、徳永さんの歌いたかった曲は、この大ヒット曲たちではなかったそうです。
本当に徳永さんが歌いたかったのは、「最後の言い訳」という曲であると語っています。
徳永英明 / 最後の言い訳
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珠玉のバラードです。
こうしてみると、徳永さんは、「輝きながら・・・」のような熱唱系ではなく、バラードを歌いたかったのかな、という気持ちがします。
こうしてみると、徳永さんは、「輝きながら・・・」のような熱唱系ではなく、バラードを歌いたかったのかな、という気持ちがします。
順調だった人生が、病に侵されることに・・・。
その後、「壊れかけのradio」が大ヒットし、順調な人生を送っていた徳永さんを、病が襲います。
この後については、記事を改めてご案内したいと思います。
この後については、記事を改めてご案内したいと思います。