出演陣や製作スタッフの超~豪華さにぶっ飛んだ映画「西部開拓史(How the West Was Won)」は私の映画概念を完全崩壊させた
2017年5月9日 更新

出演陣や製作スタッフの超~豪華さにぶっ飛んだ映画「西部開拓史(How the West Was Won)」は私の映画概念を完全崩壊させた

読者の皆様は、「西部開拓史(How the West Was Won)」という映画はご存知でしょうか?日本では東京オリンピックが開催された年の2年前、1962年に公開されたアメリカの西部劇なんですが、そん所そこらの西部劇とは訳が違がっていました。製作スタッフを初めとし、出演陣に至るまで、当時のアメリカ映画で主役を貼るような”ビッグ・スター”がこれでもかというくらいに出ていたのだ。そしてストーリーもアメリカ版大河ドラマを彷彿させるものであった。勿論、上映時間も途中休憩を含むと有に3時間を越える大作中の大作であった。

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映画「西部開拓史(How the West Was Won)」とは??

How the West Was Won - Original Theatrical Trailer

映画の予告編ですかね!!

Main Title - How the West Was Won (1962) - Alfred Newman

映画には珍しく、本編が始まる前に前奏曲と一緒にこの画面が流れていました。
初めてこの映画を見た時、この前奏曲を聴きながら、心わくわく、胸がどきどきしていたことを思い出しました。

私は後で知ったのですが、この映画の音楽責任者が、何とハリウッド黄金期を代表する映画音楽作曲家のアルフレッド・ニューマンだったのです。
アルフレッド・ニューマン

アルフレッド・ニューマン

彼は10人兄弟の長男として生まれ、家計を支える為にピアノの演奏活動を始め、やがてブロードウェイの音楽監督として活躍するようになった。1930年にハリウッドに移り、映画音楽を手掛けるようになった。最も有名なのは20世紀フォックスのスタジオ・ロゴ用ファンファーレ。同社の製作部長でもあった大プロデューサーのダリル・F・ザナックの依頼で作曲したものである。ニューマン自身、20世紀フォックスの音楽部長として長年活躍していた。
アカデミー賞の常連で、2006年にジョン・ウィリアムズが45個目のアカデミー賞候補になるまで、最多候補記録を保持していたほどの持ち主であった。
西部開拓史

西部開拓史

『西部開拓史』(せいぶかいたくし、How the West Was Won)は、1962年のアメリカ映画であり、アメリカ西部開拓時代の1839年から1889年までの50年間を、ある開拓一家三代の視点から描いた叙事詩映画である。小ストーリーが全部で5話あるが、それぞれが密接に絡み合いながら進行して行く形式になっている。
親・子・孫三代に渡る西部での生涯を描いた西部劇映画の集大成的存在でもあり、西部劇の面白さが各々の小ストーリーに散りばめられて、見る側を決して飽きさせない。また、これまで様々な西部劇映画に出演したスター級の豪華俳優陣が端役に至るまで数多くキャスティングされているのも魅力の一つである。

この映画の一つの特徴は「 シネラマ方式( 湾曲した特製大スクリーンに、3本の35mmフィルムを横に並べて3台の映写機で同時に映写する方式 ) 」を採用している代表的な商用映画であった。

総勢24名ものスター級の俳優・女優が集められ、 その出演料だけで当時のお金で220万ドルにものぼった。 61年の3月から撮影は開始され、開拓時代の雄大な自然が残るケンタッキー、サウスダコダ、コロラド、オレゴンなどで屋外ロケを敢行。 この映画のために77のセットが組まれ、5,000着もの衣装を用意されたが、 機械で縫製された衣装ではアップ撮影の際に縫い目が見えてしまいリアルさが損なわれたので、全て手作業で作り直された。 インディアンが汽車を襲撃するシーンでは2,000頭ものバッファローを駆り出して迫力あるシーンを披露。 使用された汽車はMGMが30年代後半に買い取ったもので、撮影のためにハリウッドからロケ地のサウスダコダに運び込まれた。 この映画に使われた動物は馬630頭、牛550頭、羊200頭、ロバ160頭にものぼり、動物たちの飼育係として203人の人間が雇われ、エキストラは12,617人にものぼった。 一本あたりの制作費が300万ドルの時代に1,500万ドルもの巨費をかけて映画は完成し、 スタジオ製作の映画では『風と共に去りぬ』(39)、『ベン・ハー』(59)に次ぐ3番目の記録を樹立。 映画が公開されると批評家からも観客からも絶賛され、2年間ものロングランを記録。4,500万ドルもの収益を上げて63年度のNo.1ヒット作となった。 第36回アカデミー賞では作品賞を含む8部門にノミネートされ、オリジナル脚本賞、編集賞、録音賞の3部門を獲得した。

シネラマ方式を解りやすく説明すると・・・

シネラマ方式

シネラマ方式

湾曲した特製大スクリーンに、3本の35mmフィルムを横に並べて3台の映写機で同時に映写する方式。アスペクト比は、なんと「1×2.88」!1952年に登場した『これがシネラマだ』を第1作として、約10年間使われた。仕掛けが大きすぎたため製作本数は少なく短命に終わった。

 3個のレンズで3本の35mmフィルムへ広い景観を三分して記録する専用カメラで撮影するとともに、場面内の音声を指向性の強いマイクロフォンで5つに分けて同時に収録するほか場面外の音響も別にとらえ、上映には1組3本の画面プリントを3箇所の映写室にある3台の映写機で半円形の特殊大形スクリーンへ同時に交差映写して観客を包み込むように巨大な画面を現出するのと同期して、音専用の35mm磁気フィルムにある7本以上のサウンド・トラックにより、スクリーン背後の中央と両端部と中間部の5箇所及び客席の後ろと両横に配置したスピーカ群で情景に合った位置から音声を再生する。各フィルムの画像1コマがスタンダードサイズより6割も大きいの画面も鮮明、遠近や移動の効果を伴う立体音とともに観客は、さながら場面の中にいるような実感を受ける。

 しかし、3本のフィルムに分かれている3画像の投影を横に並べるので2箇所につなぎ目が現れ、像の食い違いや色のにじみなどが出る弱点があり、また、向かい合っている人物を近距離で撮影した画面を映写すると、どの人も前を向いているような結果になるので、1961年に作られた最初の劇映画『西部開拓史』では、1本の65mm大型フィルムで撮影して3本式のプリントに直す方法をとり“スーパー・シネラマ方式”と名付けた。

下記にトリミング版TVサイズと劇場公開サイズを示す。
トリミング版TVサイズ

トリミング版TVサイズ

 (1862079)

劇場公開サイズ

日本にはテアトル東京、中日シネラマ(名古屋)、シネラマ名古屋、OS劇場(大阪)という4カ所のシネラマ専用の映画館が存在していた。

日本で初めてシネラマで映画を上映したのは、皇居前の帝国劇場だそうです。初めはスタンダードサイズの画面を3台の映写機で同時に映写して大画面にしていた様ですが、後にスーパーパナビジョン70というフィルムに圧縮させ上映時に1台の映写機で左右を伸長させる方式に変更された様です。

東京では他に、松竹セントラル(築地=1999年閉館)、渋谷パンテオン(2003年閉館、現在シネコンに建替え中)、新宿ミラノ座(現新宿ミラノ1)が暫定的にシネラマ上映を行っていた時期があるそうです。また新宿プラザ劇場(2008年閉館)がD-150方式という、やはり湾曲した巨大スクリーンを装備していた映画館でした。

「西部開拓史(How the West Was Won)」は1962年11月29日に初公開されましたが、あいにく私は小学校低学年程度で、まだ映画はテレビで見る程度だったため、映画館には行けなかった。しかし、私が中学2,3年の時に、もう一度上映された際に、初めて新宿まで友達と見に行ったことを鮮明に覚えている。(後で解ったのですが、その時見た物は、スクリーンはかなり大きかったが、正確にはシネラマ方式ではなかったそうです。泣!!)

そろそろ映画の解説をしますか!!(ネタバレを含むのでご容赦下さい)

この映画の脚本が第36回アカデミー賞で脚本賞を受賞!!

この映画の脚本は、ライフ誌に連載された絵物語にヒントを得たジェームズ・R・ウェッブが195冊の歴史書をもとに脚本を書いた。彼が書き下ろした映画作品の脚本を見ると、戦記物、西部劇などが多く存在し、また好評を得ていたようだ。
ちなみに、この「西部開拓史(How the West Was Won)」で1963年の第36回アカデミー賞で脚本賞を受賞している。

監督が3人もいる??

製作者であるバーナード・スミスは、この映画の製作に2年近くかかると考え、効率よく撮影を進めるため当時、ハリウッドの第一線で活躍する3人の監督を起用。 第1話「The Rivers (川)」、第2話「The Plains (平原)」、第5話「The Outlaws (無法者たち)」の3エピソードを『アラスカ魂』(60)のヘンリー・ハサウェイが担当。西部劇の神様ジョン・フォードが第3話「The Civil War (南北戦争)」のエピソードを担当し、第4話 「The Railroad (鉄道)」のエピソードは『砂塵』(39)のジョージ・マーシャルが担当した。

小ストーリー第1話 The Rivers(河、1830年代末)

1830年代の終わり頃、アメリカ東部の人々は、オハイオ川流域の肥沃な土地の開拓に乗り出そうとしていた。ニューイングランドの農民ゼブロン・プレスコット(カール・マルデン)も妻レベッカ(アグネス・ムーアヘッド)、長女イーブ(キャロル・ベイカー)、次女リリス(デビー・レイノルズ)、それに2人の息子の一家を連れてイリー運河を通過し、オハイオ川にいかだを組んで未開の荒野に踏みこんだ。一家が川岸にキャンプを張ったある夜、鹿皮服を着た毛皮売りのライナス(ジェームズ・スチュアート)がカヌーで近づき、プレスコット一家と夕食を供にして西部の事情を話した。野性的で親しみやすい彼をイーブは一目で恋した。翌朝ライナスが既に立ち去ったのを知っても彼女の心は変わらなかった。一家が下流に向かう間、ライナスは上流に行き、川岸の天幕の店を見つけたが、ホーキンズ大佐と名のる主人は実は河賊で、ライナスも欺されて荷物をとられ、ナイフで刺された。しかし丸太にまたがって川を下ったライナスは、プレスコット家を襲おうとしていた河賊たちを、開拓民と力を合わせてやっつけた。一家がいかだで急流を下る時、激流は両親を呑んだ。両親の亡くなった土地に農園を建てようというイーブに、ライナスは開拓生活を誓った。しかし、蒸気船の汽笛は、リリスを新しい町セントルイスに誘った。
激流がいかだを呑み込もうとする場面

激流がいかだを呑み込もうとする場面

まさにシネラマ画面で見た時の興奮が蘇ります!!
1965年時のカール・マルデン

1965年時のカール・マルデン

この映画でニューイングランドの農民ゼブロン・プレスコットを演じたカール・マルデンは、映画『欲望という名の電車』でアカデミー賞助演男優賞を受賞したほどのスター級俳優だ。

カールは鉄工所の職員と教師を経て、シカゴの演劇学校に入学。1937年に舞台デビューし、1940年代に映画『ゼイ・ニュー・ホワット・ゼイ・ワンテッド』(原題)でブレイクした。1951年に舞台でも演じてきた『欲望という名の電車』のミッチ役でオスカーを獲得。映画『波止場』でもアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたほか、映画『ベビイドール』ではイギリスアカデミー賞男優賞にノミネートされた。テレビ映画「疑惑」ではエミー賞も受賞し、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムに星を持つベテラン俳優だ。
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