日本航空(JAL)飛行機の歴史と機体デザイン
2016年5月9日 更新

日本航空(JAL)飛行機の歴史と機体デザイン

日本航空の飛行機を振り返ると、様々なデザインがされてきました、でもやっぱりJALと言えば鶴丸塗装ですよね。ここでは、JALの飛行機の歴史と機体デザインを振り返ってみましょう。コンコルド導入計画があったのは知っていましたか?

16,630 view

日本航空の歴史

第二次世界大戦が1945年(昭和20年)9月に日本の降伏で終結した後、日本の占領に当たった連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) によって、直ちに官民を問わず全ての日本国籍の航空機の運航が停止された。やがて、1950年(昭和25年)6月にGHQにより日本の航空会社による運航禁止期間が解除されることとなり、1951年(昭和26年)1月に日本航空創立準備事務所が開設された。
マーチン2-0-2(もく星号)

マーチン2-0-2(もく星号)

1951年10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便としてアメリカのノースウエスト航空から乗員とともにリースしたマーチン2-0-2型機「もく星号」で羽田空港-伊丹空港-板付空港間の定期旅客運航を開始した。
マーチン2-0-2模型

マーチン2-0-2模型

マーチン2-0-2に施された日本航空の暫定塗装、シンプルな塗装でした。
自社購入機(ダグラスDC-4型機)

自社購入機(ダグラスDC-4型機)

DC-4は自社で購入した飛行機の1号機となり、1950年代の国内線主力機で、計11機を保有していました。
初の正式塗装。赤2本と青のラインを窓の部分に配し、垂直尾翼には青のラインを5本入れ、社名表記はDC-4が漢字の「日本航空」
初の国際線(ダグラスDC-6型機)

初の国際線(ダグラスDC-6型機)

1954年(昭和29年)2月2日 - 初の国際線となる東京-ウェーキ-ホノルル-サンフランシスコ線をダグラスDC-6型機により開設。

1960年代に日本航空の主力機になったダグラスDC-8型機

DC-8型機

DC-8型機

この時代の多くのDC-8型機は、日本各地の観光名所の名前が愛称となっていました。例えば、ふじ(富士)、Nikko(日光)と言った名前が飛行機の名前(愛称)としして呼ばれていました。
60~80年代に、活躍していた代表的な 3機種としてDC-8 には、「日本各地の観光名所」コンベア880 には「草木の名前」そして、Boeing 727 には、「日本の代表的な河川名」が愛称として名付けられていました。
DC-8-55型機

DC-8-55型機

こちらは3代目のデザイン塗装ですね。この時代の機体デザインはいいですよね。
DC-8-55F型機

DC-8-55F型機

こちらは、機体にJAL CARGOのロゴが入っています。

1964年オリンピック仕様もあった

DC-6B

DC-6B

少し分かりくいが、機体に東京オリンピックのマークを描いた(1963~1964年)。アテネ-那覇間の聖火輸送特別機にも使用されました。

日本で開発された旅客機 YS-11

YS-11

YS-11

戦後初めて日本で開発された旅客機であり、郵便機として1機、旅客機として1機、計2機をそれぞれ1年間チャーターして使用した。

実はコンコルドの計画があった

1965年にはエールフランス航空やパンアメリカン航空などのライバル各社とともに、先行して開発が進んでいた超音速旅客機のBAC/シュド・アビアシオン コンコルドを3機仮契約した。両機ともに1970年代前半の就航の見込みであったが、開発が大幅に遅れた上に、超音速飛行に伴う衝撃波や離着陸時の騒音などの超音速旅客機特有の公害問題の存在が明らかになったこともあり、その後多くの航空会社と同様に両機の発注をキャンセルした。
実現していれば、歴史に残る機体となっていたでしょうね。
コンコルド型機の完成予想模型

コンコルド型機の完成予想模型

まさに当時の日本航空のデザインですね。
31 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

奥様は元スッチー♡CAと結婚した男性有名人

奥様は元スッチー♡CAと結婚した男性有名人

バブル以前の日本では海外旅行も今ほど盛んではなく、CAは高嶺の花というイメージがありました。そんなCAとの出会いと結婚。奥様は元スッチーという男性有名人を紹介します。CA「キャビンアテンダント」は、運行中の旅客機内で乗客にサービスを提供する客室乗務員です。かつての「スチュワーデスの呼称から、略して「スッチー」とも言われます。
超音速旅客機「コンコルド」について語ろう。

超音速旅客機「コンコルド」について語ろう。

旅客機の中では世界最速の翼と言われたコンコルドについて語ろう。
【ボーイング727】短い滑走路の地方空港で活躍したイケメン飛行機

【ボーイング727】短い滑走路の地方空港で活躍したイケメン飛行機

私たち世代の飛行機といえばなんといってもジャンボジェットB747ですが、制動距離が長いため、747が離着陸できない空港もありました。そのような路線に活躍した、特徴のある形をした航空機ボーイング727。新幹線網の整備により追い出されてしまいましたが、その名機を振り返ってみます。
ジバニャンLOVE | 5,552 view
ビートルズが来日し、飛行機から降りる際に着ていたJAL「ハッピーコート」が期間限定で復活!

ビートルズが来日し、飛行機から降りる際に着ていたJAL「ハッピーコート」が期間限定で復活!

日本航空(JAL)は現在、ロンドン発羽田行きの便で「ハッピーコート」の復刻版を乗客に配布するサービスを行っている。1966年に「ビートルズ」が初来日した際に、4人が着用して飛行機から姿を現したことでも有名。
世界最速を誇った旅客機「コンコルド」はなぜ廃止に追い込まれた??

世界最速を誇った旅客機「コンコルド」はなぜ廃止に追い込まれた??

「コンコルド」と聞けば、私たち世代は世界最速の旅客機と記憶しています。しかしこのコンコルド、2003年には全機が撤退してしまっていたんですよね。「世界最速の翼」としてその名を轟かせたコンコルド、懐かしい機体映像と共に、その経緯を追いましょう。また、2019年に復活と噂されている件にも触れてみます。
青春の握り拳 | 86,689 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト