【ボーイング727】短い滑走路の地方空港で活躍したイケメン飛行機
2017年3月21日 更新

【ボーイング727】短い滑走路の地方空港で活躍したイケメン飛行機

私たち世代の飛行機といえばなんといってもジャンボジェットB747ですが、制動距離が長いため、747が離着陸できない空港もありました。そのような路線に活躍した、特徴のある形をした航空機ボーイング727。新幹線網の整備により追い出されてしまいましたが、その名機を振り返ってみます。

7,140 view

ボーイング727とは

全日空のボーイング727-100

全日空のボーイング727-100

ボーイング727は、日本では主に旅客機として、1964年から登場した、149人~189人乗りの、中型機です。アメリカのボーイング社で製造され、日本には合計65機が導入されました。
日本航空以外の航空会社では、はじめての「ジェット旅客機」となった機種です。
それまではプロペラ機しかなかったということですね。
今では信じられないことですが、当時は、「ジェット機を利用する場合」は、ジェット機利用の特別料金が加算されました。つまり、同じ路線にプロペラ機とジェット機が混在して運航されている路線があったということです。
ジェット機に乗るのは、「ぜいたく」なことだったのです。なのでその「ぜいたく料」を支払って乗りなさい、という時代があったのです。

最初は羽田ー札幌間に運航された

2015年のデータでは世界第3位のドル箱路線となっている羽田ー札幌線ですが(1年間に780万人が利用、1位はソウルー済州島の1050万人、2位が羽田ー福岡の830万人)、当時は世界一のドル箱路線と言われていました。
現在はLCC(格安航空会社)などたくさんの航空会社がありますが、当時は日本航空、全日本空輸、日本国内航空(のちの東亜国内航空→日本エアシステム→日本航空と合併)の3社しかなく、特に日本航空と全日空は熾烈な争いを繰り広げていました。

727の魅力は後部の独特の形状にある

現在の日本ではほとんど見られませんが、当時はDC-9、MD-81などとともに、機体の一番後ろにエンジンをつけている、独特の形をしています。
最後部の上に1つ、横に2つのエンジンを搭載しています。

最後部の上に1つ、横に2つのエンジンを搭載しています。

T字尾翼というそうです。

日本全国各地で見ることができた

現在では埋め立て地の増加などにより、長い滑走路を持つ空港が多くなりましたが、当時(1970-1980年代)は、輸送量に優れたジャンボジェット機(747:1970年に日本では就航)では輸送量が大き過ぎたり、滑走路が短すぎたりして就航できない地方路線では、この727や737などの中型機が主流でした。
ジャンボジェットは500人以上の乗客を一度に運べるので、輸送量と滑走路が整備されている、1000KM以上の距離にもなる羽田と北海道、九州方面、また特に輸送量が多い羽田ー大阪などへは大活躍しました。
筆者は当時仙台に住んでいましたが、仙台空港では当時はジャンボジェットはまったく飛んでいませんでした。
国鉄の特急はいつも満員だったので、輸送需要がないということはなかったと思いますので、おそらく当時の仙台空港の滑走路が短かったので、ジャンボジェットが離着陸できなかったのだと思います。
そのような地方都市と羽田を結ぶ、もしくは大阪(当時は関空はないので伊丹空港)と九州、沖縄などを結ぶ、ジャンボジェットを飛ばすほどの需要のない路線には、727は必ずいつ行っても、見ることができる飛行機でした。
ちなみに仙台ー大阪など、需要のさらに小さい路線には、60人乗りのプロペラ機「YS-11」が就航していました。
東京近辺ですと、羽田ー伊豆諸島(大島、八丈島など)を結ぶ路線は、ほぼYS-11でした。
YS-11についても、資料が集まりつつありますので、いずれご紹介できればと思います。
今回は727の記事ですので、省略します。

魅力的なジェット機は歌にもなった

=そこは青い空だった=橋幸夫 吉永小百合

飛行機の歌というのは、非常に珍しいと思います。
紙飛行機の歌はありますけど・・・。
それにしても、歌い出しが、「北の国から 南の国から」というフレーズで始まっているところからして、727が全国各地で活躍していたことがうかがえますね。
この歌の歌詞の中では、恋をした相手がなんと「727」である、と書いてあります。
独特の形状が、個性的で魅力を感じられたんでしょうね。
この歌のメロディ、歌詞を聞くと、当時の日本は新しい飛行機が来たということが、みんなの希望になったという、なんか未来は明るい、という雰囲気になる、古き良き時代だったんだなあ、ということが想像できます。

ボーイング727 熊本空港離着陸

熊本でも727が主流だったんですね。
36 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • Katahara 2017/11/21 20:36

    ボーイング727退役の理由が根本的に間違っている。
    ボーイング727は、コクピットに機長、副操縦士、航空機関士の3人が乗務する必要があった。
    ボーイング737以降の旅客機は航空機関士が不要の2名乗務が可能になっている。
    要は効率が悪かったってこと。

    すべてのコメントを見る (1)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

日本の航空会社に起きたハイジャック事件

日本の航空会社に起きたハイジャック事件

1960年以前から各国の航空機で多くのハイジャック事件が起こっていますが、日本も例外ではなく多くのハイジャック事件が起こっています。
イラン・イラク戦争の最中、空港に取り残された日本人をトルコの航空機が救出した感動秘話

イラン・イラク戦争の最中、空港に取り残された日本人をトルコの航空機が救出した感動秘話

皆さんは、1980年から1988年にかけてイランとイラクの間で行われた戦争を覚えていますか?この時危険な状態となったイランから、各国の人たちは早急に国外に脱出をしたのですが、救援機を手配できない日本は、遂に邦人の救援を断念。取り残された邦人215人が、命の危機に襲われたのでした。この時、自国民より優先して日本人のために救援機を派遣してくれたのがトルコだったのです。
五百井飛鳥 | 537 view
奥様は元スッチー♡CAと結婚した男性有名人

奥様は元スッチー♡CAと結婚した男性有名人

バブル以前の日本では海外旅行も今ほど盛んではなく、CAは高嶺の花というイメージがありました。そんなCAとの出会いと結婚。奥様は元スッチーという男性有名人を紹介します。CA「キャビンアテンダント」は、運行中の旅客機内で乗客にサービスを提供する客室乗務員です。かつての「スチュワーデスの呼称から、略して「スッチー」とも言われます。
日本航空(JAL)飛行機の歴史と機体デザイン

日本航空(JAL)飛行機の歴史と機体デザイン

日本航空の飛行機を振り返ると、様々なデザインがされてきました、でもやっぱりJALと言えば鶴丸塗装ですよね。ここでは、JALの飛行機の歴史と機体デザインを振り返ってみましょう。コンコルド導入計画があったのは知っていましたか?
M.E. | 22,984 view
怪獣モスラがデザインされた台紙を使う『モスラ紙ヒコーキをとばしたい会』が開始!!

怪獣モスラがデザインされた台紙を使う『モスラ紙ヒコーキをとばしたい会』が開始!!

ニジゲンノモリの人気アトラクション「ゴジラ迎撃作戦」では、小学生以下を対象としたクラフト体験と紙ヒコーキ大会が楽しめるイベント『モスラ紙ヒコーキをとばしたい会』を 9 月 16 日(土)~12 月 3 日(日)の期間限定で開催いたします。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト