武道家『ブルース・リー』は本当にすごかった!彼が創り出した格闘技『ジークンドー』を知っていますか?
2017年1月23日 更新

武道家『ブルース・リー』は本当にすごかった!彼が創り出した格闘技『ジークンドー』を知っていますか?

『ジークンドー』を知っていますか?武道家ブルース・リーが創り出した格闘技です。現在の『総合格闘技』に通じる武技・防具・トレーニング方法などを、すでに40年以上も前に独自に構築し、ひとつの『道』として極めていました。

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無いものは自分で創り出す『オープンフィンガーグローブ』

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現在の総合格闘技の試合においては必須のアイテムとなっている「オープンフィンガーグローブ」という指の部分が5本に別れていてなおかつ指の先が自由に動かせる仕様の総合格闘技専用のグローブがありますが、ブルース・リーはこの「オープンフィンガーグローブ」を1960年代に既に自分で開発していました。

ブルース・リーが「オープンフィンガーグローブ」を開発した理由としては、彼が1960年代に武術家として活動をしていた時代に

「ボクシングのグローブでは相手の腕を掴みにくい。指を5本独立して動かす事が出来、指先が動かせるグローブを開発したい。」

という思いから、当時の彼の格闘技活動のパートナーであった武術家のダン・イノサントと共同制作でオープンフィンガーグローブを製作したのです。

アメリカの警察が警棒を使った訓練をする時に使用していたグローブを、ブルース・リーとダン・イノサントがお金を出し合って6組購入し、それらのグローブの指の部分を切り落として縫い合わせた、とダン・イノサント自身がかつてインタビューで答えていました。

ブルース・リーが1960年代から提唱し実践していた格闘技論やその技術は、現在の総合格闘技で行われている事のほとんど全てをやっていた事になります。
彼が1960年代に製作していた「オープンフィンガーグローブ」を世界の人達が目にする様になるのは、総合格闘技がブームになり始めた1990年代後半になってからです。
現在販売されているオープンフィンガーグローブの一例

現在販売されているオープンフィンガーグローブの一例

様々な思想や知識を勉強し、自分の技術に重ね合わせていく

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もともと、ブルース・リーはワシントン大学に入学した際、哲学を専攻していました。
読書家で、東洋哲学や武術・格闘技の本を読み漁り、それらの思想や知識と、自分の技術を重ね合わせていったのです。
宮本武蔵『五輪の書』

宮本武蔵『五輪の書』

日本のサムライが大好きで、宮本武蔵の『五輪の書』も読んでいたそうです。
武芸者が武術を磨き、自分を高めていくうちに哲学者となり、芸術性を発揮していく。
宮本武蔵と、ブルース・リーの共通性を感じますね。

ジークンドーのシンボルマークの意味

今までみてきたような、心技体それぞれを高めていく過程を、ジークンドーではシンボルマークにして表現しています。
JKDのシンボルマーク

JKDのシンボルマーク

JKDのマークは、太極拳のシンボルとしても有名な陰陽を表わす図を 中心に、それが永久に回り続ける(進化し続ける)意味の矢印、そして周囲にはJKDのエッセンスとも言うべきブルース・リー師祖の言葉が記されています。 訓読すれば「無法を以って有法と為し、無限を以って有限と為す」となり、簡単に言えば“限界や形式(固定したスタイル)は無い、捕われない、あなたは無限です”という意味の言葉です。  陰陽の図は、この世界に存在する全ての事物が、必ず「対」になる何かと相互依存しながら、存在していることを表現しています。
 天と地、昼と夜、男性と女性、など世の中にある存在は「対立」しているように見えても実際は、一方の存在がなくては成り立たない物 事をも示しています。たとえば、生き物の“天敵”とは文字通りの“敵”ですが、その存在がなければ、全ての生態系のバランスが崩れてしまいます。事物を広 い視野で見た「調和」を、この図が表しているのです。

格闘に於ける武技にもこの「陰陽」が、そして「陰」の中にも「陽」が、「陽」の中にも「陰」が存在する事が、その武技を完成へ近づける大切な要素となり、戦術に於いてもこの「調和」が大切な要素となるのです。           

修練と発展の3段階

このシンボルマークは、次の3つの段階を表現しています。
Partiality, 部分性

Partiality, 部分性

体の使い方や心の在りようを会得できておらず、すべてが部分的でバラバラな状態。
Fluidity, 流動性

Fluidity, 流動性

そこから原理原則を学び、反復練習することで基本ができあがる。
それを水の流れのように、自分自身の個性に沿って変化させ、進化させていく。
Emptiness, 空

Emptiness, 空

やがて無意識のうちに体が動き、適切な動きができる状態になる。
それが無の境地になるということ。
これが、ブルース・リーが考えたジークンドーの道のりであり、これを極めることが「道」そのものなのです。

水のように生きる

ブルース・リーは亡くなる1年くらい前に「究極の真実は自分に勝ち、心の調和をはかることだ」と述べています。
そのためには、水のように生きることが永遠のテーマだとも言っていました。

水は時に静かに流れ、時に激しく硬いものすら打ち砕きます。
あらゆる状況に合わせて形を変えながら、けれども本質は変わらない水。
ブルース・リーが求めたのは、この「水」になることだったのです。
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  • リンダまーちゃん 2019/8/2 04:00

    改めて不出世の武術家武道家そしてスーパーactorしかもあの若さで🐲生きていて欲しかった🐉日本ではまだ知られてなくその頃はBEATLESS旋風が吹き荒れていて、Johnrenonnに夢中🥰しかしBruceとrenonnは同じ1940年生まれ、2人は形は違うけれど頭を打ち抜かれた。リンダさん私も高校生の時にウエストサイド物語の華麗なtyakirisuの姿に惚れ込んでいました。Bruceとのデートの時のBruceのファッション物凄くよくわかる💕素敵な青春でしたね。しかも完結した💕

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