「霊長類ヒト科最強の男」マーク・ケアーの栄枯盛衰
2020年1月7日 更新

「霊長類ヒト科最強の男」マーク・ケアーの栄枯盛衰

かつて「霊長類ヒト科最強の男」と呼ばれた男がいた。その名はマーク・ケアー。UFCとアブダビコンバットを連覇しPRIDEでも破竹の勢いで連勝した男の活躍と転落を動画中心に紹介する。

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「霊長類ヒト科最強の男」マーク・ケアー

マーク・ケアー(Mark Kerr)

マーク・ケアー(Mark Kerr)

1968年12月21日生まれ
4歳からレスリングを始め、ハイスクール時代にオハイオ州の王者になる。1992年、NCAA優勝。1993年から1994年にレスリング全米選手権連覇。

アマレス時代のマーク・ケアー

1994年、レスリングWorld Cup:100kg級

1997年、総合格闘技へ転身。

総合転身後、いきなりUFC14およびUFC15でヘビー級トーナメントを2連覇。
なかでも当時柔術全盛だった総合格闘技において、ブラジルでは五指に入る柔術家ファービオ・グージェウを総合初挑戦のUFC14にて下したことで、大きな注目を浴びることとなった。

タックルで倒して抑えつけ、パウンドと膝で攻撃するのが基本スタイル。
派手さの無いシンプルな戦い方だが、怪力のケアーにとっては最も効果的な方法であった。

マークケアー vs ファビオ・グージェウ - YouTube

World Vale Tudo Championship 3【決勝】
30分1R 終了 判定3-0でマークケアーの勝利。

マーク・ケアー VS グレッグ・ストット

1997年10月17日、UFC15一回戦。
膝蹴り一発で秒殺!

1998年、PRIDE参戦

1998年3月15日、PRIDE.2におけるブランコ・シカティック戦でPRIDEデビュー。

マーク・ケアー VS ブランコ・シカティック

ホイス・グレイシーの欠場により、「石の拳」と言われ驚異のKO率を誇ったK-1戦士シカティックとの対戦。
ケアーのタックルに倒されないようにシカティックはロープ掴みを連発し、反則負け。

マーク・ケアー VS ウゴ・デュアルチ

1998年10月11日、PRIDE.4でのウゴ・デュアルチ戦。
ケアーの強烈なタックルとパウンドにデュアルチは戦意喪失。
ブランコ・シカティック、ペドロ・オタービオ、ウゴ・デュアルチ、高田延彦とPRIDEにおいても連勝を重ね、人並外れた筋肉から繰り出される怪力で「霊長類ヒト科最強」と恐れられた。

1999年、2000年 アブダビコンバットを連覇

ADCCサブミッション・ファイティング世界選手権
(通称:アブダビコンバット)
打撃技は禁止され、関節技、絞め技のサブミッションホールドが許可された試合を行う。「寝技世界一決定戦」として知られている。

1999年2月、第2回 ADCC 99kg以上級 優勝。
2000年3月、第3回 ADCC 99kg以上級 優勝。
同大会、無差別級 優勝。

マーク・ケアー VS ジョシュ・バーネット

2000年3月、ADCC一回戦でジョシュ・バーネットと対戦。アームロックで勝利。

転落を感じさせたイゴール・ボブチャンチン戦

1999年9月12日のPRIDE.7でイゴール・ボブチャンチンにグラウンド状態での膝蹴りで失神KO負け。
試合後、反則である4点ポジションでの膝蹴りとの判断でノーコンテストと変更されたが、この頃から精彩を欠き始めた。

マーク・ケアー VS ボブチャンチン

PRIDE.7
1999年11月21日のPRIDE.8でエンセン井上と対戦予定であったが欠場、公式には内臓疾患としか発表されなかったが後のドキュメンタリーで薬物中毒だったことが明らかになっている。

2000年1月30日『PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦』でエンセン井上と対戦。
からくも判定で勝利する。

転落を決定づけた藤田和之戦。

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