日活の黄金期を代表する清純派女優の芦川いづみさんの魅力
芦川いづみ BGM フォー・コインズ 可愛いひと - YouTube
モノクロですが、芦川いづみさんのとてつもない可憐な美しさは分かります。
日活文芸路線時代、芦川いづみさんは日活の看板女優として大活躍した
1960年 映画『喧嘩太郎』深沢雪江 役:芦川いづみ
カラオケ風「喧嘩太郎ー石原裕次郎」 - YouTube
主演:石原裕次郎 ヒロイン:芦川いづみ
映画「霧笛が俺を呼んでいる」(1960年)美也子 役:芦川いづみ
赤木圭一郎さんと芦川いづみさん
(出典:Amazon.co.jp・キネマ旬報社)
赤木圭一郎 芦川いづみ / 霧笛が俺を呼んでいる - YouTube
映画「あいつと私」(1961年)浅田けい子 役:芦川いづみ
あいつと私(1961年)浅田けい子 役:芦川いづみ
とはいえ1961年という時代に製作された作品ゆえ、さすがに今日のそれとの違いは否めない。はっきりしずきる滑舌で一気にまくしたてる台詞回しや、安保闘争の風景がリアルに登場する描写などは、やはり時代の産物の域を出ない。その時代性は石坂洋次郎の原作小説が反映されたものだろうが、一方で中平康監督の演出のセンスも、今日の視点で見た場合、どうても違和感を感じてしまう。半世紀近く前に作られた作品だから、と言えばそれまでだが。
アクション映画には見られない、裕次郎の快活な魅力が前面に出た作品と言えるだろう。芦川との軽快なやりとりは爽快で、芦川のコケティッシュな魅力が、重くなりがちなテーマを持つこの作品を救っている。
(出典:© 1996-2015, Amazon.com, Inc Amazonレビュー・斉藤守彦)
東京市滝野川区田端町(現・北区田端)に生まれる。1952年法政大学潤光女子高校(現・法政大学女子高等学校)を中退し、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学する。
同期に野添ひとみ、姫ゆり子、山鳩くるみ(小林夕岐子の母とは別人)らがいた。このとき、芸名を「芦川いづみ」とする。1953年、ファッション・ショーに出演中、偶然いあわせた松竹の川島雄三監督に認められ、川島監督の『東京マダムと大阪夫人』に、月丘夢路の妹役でデビューする。
その後、1955年、日活に移った川島監督の推薦で松竹歌劇団を退団し日活に入社する。
その後、『幕末太陽傳』などの川島監督の作品をはじめ、様々な役に挑戦し、松竹から移ってきていた北原三枝とともに日活の中心的な存在となった。
また、1956年には、田坂具隆監督の『乳母車』で石原裕次郎と初共演する。裕次郎はこの作品の演技で、新しい魅力を遺憾なく発揮し代表作の一つとしたが、芦川もさわやかな演技で人気を不動のものとした。
以降、北原三枝とともに裕次郎の相手役として欠かせない存在となる。若い浅丘ルリ子にその座を譲ってからも日活を代表するトップ女優として活躍した。
一時、葉山良二とのロマンスが噂されたが、1968年に藤竜也と結婚して引退。家庭の人となった。
(出典:Wikipedia)