2016年12月30日 更新

狙ったボールは逃がさない!守備の達人!フランス代表マケレレ

小柄ながらハードなマークでボールを奪った守備的MFクロード・マケレレ。フランス代表やレアル・マドリード、チェルシーで活躍した。中盤の底のポジションは「マケレレロール(Makélélé Role)」と呼ばれた。

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クロード・マケレレ

1973年2月18日生まれ。コンゴ民主共和国(旧ザイール)キンシャサ出身。

サッカー元フランス代表。

【個人データ】
身長:170cm
体重:66kg
ポジション:MF (DH)
利き足:右足
フランス代表時代のマケレレ

フランス代表時代のマケレレ

守備的MFでプレーし、危険察知能力に長け、上質なポジショニングでチームを救った。運動量も豊富で小柄ながらボールを奪うプレーも秀逸であった。
中盤の底のポジションはマケレレのポジションとして「マケレレロール(Makélélé Role)」と呼ばれることもある。
守備の達人とされる。
ハードマークでボールを奪取!

ハードマークでボールを奪取!

【所属クラブ】
1990-1991年 :ムラン、ブレスト
1991-1992年:ナントB
1991-1997年:ナント
1997-1998年:マルセイユ
1998-2000年:セルタ
2000-2003年:レアル・マドリード
2003-2008年:チェルシー
2008-2011年:パリ・サンジェルマン
レアル・マドリード時代

レアル・マドリード時代

プレー動画

クロード・マケレレの守備集

【献身の塊】マケレレの守備集

ネット上の評価

近年を代表する守備的MFの第一人者

ボランチと言う言葉の代表格で価値のある選手、そして守備的MFの重要性を示してくれた選手ですね
底なしのスタミナ、絶妙なポジショニングとボール奪取、しつこいマーキング、そして愛嬌あふれる笑顔
マケレレのフランス代表ユニフォーム

マケレレのフランス代表ユニフォーム

体格こそ平凡ながら、人間離れした運動量と驚異的なボール奪取力で、ゲームを牛耳ったMFであったマケレレ。

クラブでの活躍

1973年にザイールにて生まれ、1977年にフランスのサヴィニー=ル=タンプルへと移る。本人へのインタビューによれば、子供の頃の憧れの選手は、元ブラジル代表のペレ。15歳の頃に、ムランのクラブであるUSムランに加入し、リリアン・テュラムらとともにプレーした。

1993年、リーグ・アンのFCナントでキャリアをスタートし、フランス国籍を獲得。身体能力の高さを活かした活躍が評価され、1995年7月22日のノルウェー戦でフランス代表デビューを果たす。また1995-96シーズンではUEFAチャンピオンズリーグベスト4進出に貢献した。さらにその年に、アトランタ五輪にフランス代表として出場するがベスト8で敗退。

その後オリンピック・マルセイユを経て、1998年にリーガ・エスパニョーラのセルタ・デ・ビーゴへ移籍。UEFAカップにおいてリヴァプールFC、ユヴェントスFCなどの強豪チームを破った試合で活躍し、評価を上昇させた。
2000年にはレアル・マドリードへ移籍し、超攻撃的サッカーを標榜するスター集団の中において、中盤の守備を担うハードワーカーとして活躍し、2001-02シーズンにはチャンピオンズリーグの制覇に貢献。当時のチームメイトから「彼こそ、俺たちのバロンドールだ」という、最大級の賛辞が送られた。

その後も攻撃的な選手陣の中で中盤の底を支えた守備で大貢献するが、2002-03シーズン終了後、給料の問題などもありレアル・マドリードを退団した。
それからのレアル・マドリードは失点が増加。それまでマケレレへの依存度が高かったことが露呈し、彼を評価できなかったペレス会長には批判が浴びせられた。
マケレレとジダン

マケレレとジダン

その後ロシアの石油王、ロマン・アブラモヴィッチが新オーナーとなったチェルシーFCへ移籍。
移籍後初シーズンはプレミアリーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではASモナコに準決勝で敗れるなど、タイトルを手にすることはできなかった。しかし2004-05シーズンにはプレミアリーグとフットボールリーグカップを獲得。

2004年より監督に就任したジョゼ・モウリーニョはマケレレをシーズンの最優秀選手と褒め称え、FIFProによる2005年のベストイレブンにもチームメイトであるフランク・ランパードやジョン・テリーらとともに選出された。
チェルシーで同僚のアレックスと

チェルシーで同僚のアレックスと

2008年7月にパリ・サンジェルマンFC(PSG)がマケレレを獲得。同時にキャプテンにも就任した。2010-11シーズン終了後に現役を引退。
パリ・サンジェルマンFC(PSG)時代

パリ・サンジェルマンFC(PSG)時代

フランス代表での活躍

フランスU-21代表に1995年から選出され、翌1996年にはA代表に選出。
2002年、フランス代表は日韓W杯に出場するが、マケレレは出場機会に恵まれず、FWの不調や大黒柱ジダンの故障も響きグループリーグで敗退。

EURO2004以降は代表から遠ざかっていたが、2006年ドイツW杯の欧州予選でフランス代表が予選で苦戦を強いられ、敗退の危機に。ドメネク監督の希望によりジダン、リリアン・テュラムとともに代表に復帰し、見事土壇場からの予選通過に貢献した。
2006年5月15日、本選出場メンバーに選ばれ決勝戦まで進んだが、PK戦の末に準優勝に終わる。
W杯終了後、地元のTV局のインタビューで、代表引退を明言。
フランス代表時代

フランス代表時代

しかし、ユーロ2008の予選でもドメネク監督に招集され、当時マケレレの所属したチェルシーFCのモウリーニョ監督を巻き込み騒動となった。
EURO2008本大会にも招集されたものの、チームはグループリーグ敗退。改めて代表引退を発表した。代表引退の記者会見の席で、フランス代表としてはメジャーなタイトルを得られなかったことについては「フランス代表のユニフォームを着ることができたことが、私のトロフィーだ」と語った。

フランス代表では70試合に出場した。
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