W杯得点王・薄毛のスキラッチ!ジュビロ時代には武田修宏を殴り前歯を折った!
2019年4月2日 更新

W杯得点王・薄毛のスキラッチ!ジュビロ時代には武田修宏を殴り前歯を折った!

1990年のイタリアW杯でイタリア代表のフォワードとして活躍し、得点王に輝いたサルヴァトーレ・スキラッチ。1994年に当時ジュビロ磐田の監督を務めていたハンス・オフトの意向により、Jリーグにやってきたスキラッチをまとめた。

6,536 view

1994年、ワールドカップ得点王がジュビロ磐田にやってきた!

1990年のイタリアW杯でイタリア代表のフォワードとして活躍し、得点王に輝いたサルヴァトーレ・スキラッチ。その大物が、極東の開幕したばかりのサッカーリーグにやってきた。

しかも、スキラッチが所属するのは、1994年にJリーグ正会員となったばかりのジュビロ磐田だった。
前年までのジュビロは「ドーハの悲劇」を経て一躍有名になった”ゴン中山”こと中山雅史が、選手として知られてはいたが、Jリーグ開幕によってミサンガをつけ、サッカーファンになった人々にはほぼ知名度のないチームであった。
ジュビロ磐田に在籍したサルヴァトーレ・スキラッチ

ジュビロ磐田に在籍したサルヴァトーレ・スキラッチ

しかし、日本代表を率いて中山と共に「ドーハの悲劇」を経験したハンス・オフトがその年ジュビロの監督に就任。
オフトの意向により、チームは当時世界最強を誇ったセリエAの、しかもビッグクラブであるインテルに所属していたスキラッチ獲得に乗り出した。

交渉人の尽力の末、Jリーグの新シーズン開幕から数週間後、ついにスキラッチがJのピッチに立った。
デビュー戦の相手は、カズやラモス、北澤、柱谷など日本代表クラスが数多く在籍し、初代Jリーグ年間王者のヴェルディ川崎だった。しかし、スキラッチはこの試合でペナルティキック1本と、アシスト1本を決めたのである。
1994年4月、初ゴールをPKで決める!左に映っている...

1994年4月、初ゴールをPKで決める!左に映っているのはヴェルディ川崎・ビスマルク

翌1995年には、日本人選手初のJリーグ得点王でミスター・レッズと呼ばれた福田正博に次ぐ31得点を挙げる活躍を見せた。
身長170センチ代前半と小柄ながら、抜群のゴールへの嗅覚と柔らかなボールタッチでゴールを量産した。

だが、1997年のシーズン早々に腰痛が悪化して帰国。そのまま磐田を退団。そして、現役を引退した。

Salvatore Schillaci in Japan (1994-1997)

紅白戦で武田修宏の前歯を折ったスキラッチ!

1996年に磐田にレンタル移籍してきた武田修宏。
開幕前の練習時、紅白戦で武田がFWのポジションに入った際に「ここはオレのポジションだ」といわんばかりに武田を殴り、前歯を折ったという。

しかし、その後武田とは和解。
引退後、地元パレルモでサッカースクールを開いたスキラッチのもとを武田は訪れている。
近年でも二人は食事会などで時間を共にし、武田が仲の良さそうな記念写真を自身のブログでアップするなど親交が続いている。

また、2008年に中田英寿が主催した特別試合「+1 FOOTBALL MATCH(プラスワンフットボールマッチ)」にスキラッチが参戦。11番FWとして試合に先発。
この試合の解説者は武田修宏であった。なお、武田はスキラッチのことをこの試合の注目選手だと述べている。
ジュビロ磐田時代の武田修宏

ジュビロ磐田時代の武田修宏

背番号「9」を巡るスキラッチとゴンの関係

磐田がJリーグに昇格した1994年から数年間はまだ固定の背番号が与えられていなかったが、9はすでに誰もが認める中山の番号だった。ところが同年、中山はシーズン途中にけがで長期離脱を余儀なくされた。代わって9番を背負ったのは、中山の離脱と入れ替わるようにチームに加入し、後に“ゴン・トト”と呼ばれた伝説の2トップを組む元イタリア代表――90年の地元でのワールドカップで得点王に輝いたFWサルバトーレ・スキラッチだった。

中山は翌95年シーズンから試合に復帰したが、アウェーで迎えたジェフユナイテッド市原(現千葉)との開幕戦でつけた背番号は、これまでの9ではなく11だった。試合内容で押していた磐田はシュートを相手の2倍近く放ったが、結局ゴールを奪えず0−1と惜敗。「勝利に貢献したい」と自身のゴールに意欲をのぞかせて試合に臨んだ中山だったが、325日ぶりの復帰戦を白星で飾ることはできなかった。

何としてもシーズン初勝利が欲しい第2節、ホーム開幕戦となるガンバ大阪戦を数日後に控えた練習後のロッカールームで、前年から9番を背負ってきたスキラッチから中山に、ある提案が伝えられた。「次の試合からお前の背番号11とオレの9を交換してくれ。やっぱり9番が一番似合うのはゴン、お前だから」。世界を知る男の提案を、中山は快く受け入れた。
“ゴン・トト”と呼ばれたスキラッチとゴン中山

“ゴン・トト”と呼ばれたスキラッチとゴン中山

「ハゲラッチ」と呼ばれた薄毛のスキラッチ!

現役時代から元々頭髪が薄く頭頂部の頭皮が透けて見えるくらいの薄毛であった(チームメイトだった中山雅史はTV番組で「ハゲラッチ」とあだ名していた)が、引退後はイベントやメディアの前で風になびく程の黒く豊かな毛髪量で登場している。

磐田のJ昇格10周年記念イベントに参加した際、磐田の松崎社長(当時)が「体型の変わった人も、髪の増えた方も…」とコメントした。
before

before

after

after

before

before

after

after

32 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

盧廷潤(ノ・ジュンユン)。韓国では非難を受けるも誠実な人柄が好きだった!

盧廷潤(ノ・ジュンユン)。韓国では非難を受けるも誠実な人柄が好きだった!

韓国代表として初めてJリーグでプレーしたサッカー選手である盧廷潤(ノ・ジュンユン)。がっちりとした体格と得意のスピードを活かした突破力で中盤を活性化させた。ワールドカップにも韓国代表として2大会に出場している。
ひで語録 | 8,687 view
あれから20年・・・1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』に至る激闘史を時間軸に沿って振り返る

あれから20年・・・1997年11月16日『ジョホールバルの歓喜』に至る激闘史を時間軸に沿って振り返る

ワールドカップ出場が夢のまた夢だった時代があった。それはついこないだのようだが、1997年11月16日の『ジョホールバルの歓喜』から20年が経つ。サッカー日本代表の1997年アジア最終予選を時間軸に沿って振り返ってみる。
ひで語録 | 2,962 view
川口、小笠原、中澤、楢崎…今シーズンで引退した主なサッカー選手を振り返る。

川口、小笠原、中澤、楢崎…今シーズンで引退した主なサッカー選手を振り返る。

1993年のJリーグ開始以来、年々人気が上昇している日本のサッカー。今シーズンもそんな日本のサッカー人気をけん引してきたベテラン選手が引退を表明しました。この記事では、今シーズンで引退した主なサッカー選手を振り返ります。
隣人速報 | 1,111 view
「ジョホールバルの歓喜」から20年!決勝ゴールの岡野氏を迎えたトークイベントが6月1日に開催!

「ジョホールバルの歓喜」から20年!決勝ゴールの岡野氏を迎えたトークイベントが6月1日に開催!

サッカー男子日本代表が、1997年に悲願のワールドカップ出場を決めてから20年という節目に合わせ、トークイベント「朝日新聞紙面でみる『炎の70日』と『ジョホールバルの歓喜』」が6月1日(木)に開催される。ゲストにはイラン代表との試合で、延長戦で決勝ゴールを決めた岡野雅行さんが招かれている。
金髪のライオン丸・バルデラマ!’90年W杯でのスルーパスは”シルクの糸”と称された!

金髪のライオン丸・バルデラマ!’90年W杯でのスルーパスは”シルクの糸”と称された!

90年代のコロンビア代表を牽引したバルデラマ。独特のヘアスタイルもあって非常に覚えやすかった。また、そのプレイスタイルはど派手な頭とは違って、繊細なパスが持ち味だった。バルデラマのワールドカップでの活躍を中心にまとめる。
ひで語録 | 10,906 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト