2017年1月5日 更新

盧廷潤(ノ・ジュンユン)。韓国では非難を受けるも誠実な人柄が好きだった!

韓国代表として初めてJリーグでプレーしたサッカー選手である盧廷潤(ノ・ジュンユン)。がっちりとした体格と得意のスピードを活かした突破力で中盤を活性化させた。ワールドカップにも韓国代表として2大会に出場している。

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盧廷潤(ノ・ジュンユン)

1971年3月28日生まれ。仁川広域市出身。元韓国代表。
Jリーグ初期はノ・ジュンユンの読みで登録されていた。また、韓国代表として初めてJリーグでプレーしたサッカー選手。愛称はノーさん。

【個人データ】
・身長 171cm
・利き足 右足
・ポジション MF
サンフレッチェ広島で活躍した盧廷潤(ノ・ジュンユン)

サンフレッチェ広島で活躍した盧廷潤(ノ・ジュンユン)

【所属クラブ】
1993-1997年 サンフレッチェ広島
1998年 NACブレダ
1999-2001年 セレッソ大阪
2001-2002年 アビスパ福岡
2003-2004年 釜山アイコンズ
2005-2006年 蔚山現代FC
盧廷潤(ノ・ジュンユン)

盧廷潤(ノ・ジュンユン)

出典 ameblo.jp

韓国で非難を浴びながら日本へ渡り、サンフレッチェ広島の優勝に貢献!

年代別代表に選出され続け、高麗大学在籍中の1990年に韓国代表入りを果たした逸材。

大学卒業後の進路は、Kリーグドラフトで油公(現済州ユナイテッドFC)に指名されたが、以前からオファーの届いていたJリーグのサンフレッチェ広島に入団した。
韓国内で将来の中心選手として期待が高かったため、Jリーグ入りは韓国国民から強い非難を受けた。

盧廷潤(ノ・ジュンユン)がJリーグに加入した理由は、当時ジーコらビッグネームがこぞって加入していたJリーグで、そういった選手と対戦してみたかったためと言われている。
盧廷潤(ノ・ジュンユン)

盧廷潤(ノ・ジュンユン)

Jリーグ元年より日本で活躍。がっちりとした体格と得意のスピードを活かした突破力で中盤を活性化させた。不動のレギュラーとして1994年のサントリーシリーズ(1stステージ)優勝に貢献した。
なお、1994年のワールドカップアメリカ大会出場のため、チームが優勝を決めた同年6月11日のジュビロ磐田戦を含め、第1ステージ終盤の5試合はチームを離れた。
1994年サントリーシリーズ(1stステージ)優勝に輝...

1994年サントリーシリーズ(1stステージ)優勝に輝いたサンフレッチェ広島

【当時のサンフレッチェ広島の選手達】

GK・前川和也

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【サッカー列伝】サンフレッチェと日本代表で活躍したGK前川和也の特集です! - Middle Edge(ミドルエッジ)

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アジアの大砲・高木琢也

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Jリーグ初期に、日本代表としてもサンフレッチェ広島の選手としても活躍した高木琢也。恵まれた身体で、打点の高いヘッドが持ち味でした。また、ヘディングだけでなく、足元の技術もありました。そんな彼を特集します。

アメリカワールドカップ最終予選でも韓国全土でスパイ扱いされてしまう!

1994年ワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選中の参加国の合同宿舎においては、上記の軋轢から自身をスパイ扱いする韓国代表選手との接触を避ける一方、Jリーグで同僚の森保一や他の日本代表の選手にキムチや焼き肉を差し入れたり、他のチームの情報を伝えたりしていた。

最終予選で韓国が日本に敗れ、ほとんどの選手が悔しさのあまり取材すら拒否してスタジアムを後にする中、盧だけは日本のテレビカメラに向かって笑顔で「おめでとう」とコメントを残した。
この試合に敗れたことについて、金皓韓国代表監督が「廷潤が日本代表のスパイであったせいで韓国は負けたのだ」とテレビカメラの前で主張を展開。それ以降、決定的に韓国全土にスパイの汚名を着せられることとなる。同年、韓国代表メンバーとしてW杯アメリカ大会への出場を果たす。
サンフレッチェ広島で同僚だった森保 一

サンフレッチェ広島で同僚だった森保 一

1995年にはチーム最多得点を記録!

1994年、1995年は2年連続で二桁得点を達成。1994年は10得点、1995年は13得点だった。
しかし、規律を重んじるサッカースタイルで好成績を挙げていたバクスター監督が契約交渉の問題から退団。新たな監督の元でも中心選手として活躍するが、怪我もあり徐々に出場試合数を減らした。

海外志向も強かったため、1998年にオランダのNACブレダへローン移籍することになった。
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