鮮明!ロサンゼルスオリンピック名場面を振り返る!
2016年11月25日 更新

鮮明!ロサンゼルスオリンピック名場面を振り返る!

開会式で空からジェット噴射を積んだロケットマンが降りてきたシーンが衝撃的だったロサンゼルスオリンピック。私自身も、小学生で海の家でオリンピックを見ていたのを鮮明に覚えているくらいです。日本人選手を始め、多くの感動シーンを生んだロサンゼルスオリンピックの名場面をプレイバックしてみましょう。

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具志堅幸司 体操男子つり輪、個人総合 金メダル

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上記の森末に並ぶ日本体操陣のスーパーエース。あまりにキレイなフォームはまさに芸術品だった。精神集中のために、「突破突破…」という言葉を唱えているのが当時、流行語になった。
具志堅 幸司(ぐしけん こうじ、1956年11月12日 - )は、ロサンゼルスオリンピック体操金メダリスト。

財団法人日本体操協会北京オリンピック男子強化本部長を歴任するなど、日本体操界の発展に尽力している。日本体育大学教授。神奈川県教育委員会委員長。

1984年のロサンゼルスオリンピックでは、個人総合とつり輪で金メダル、跳馬で銀メダル、団体総合と鉄棒で銅メダルを獲得。

懐かしいオリンピック 具志堅幸司 体操個人総合 金メダル(ロス五輪) - YouTube

エドウィン・モーゼス 陸上競技男子400mハードル

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選手としてピーク時と思われた前大会モスクワオリンピックをボイコットのため無念の不出場となったが、自国大会であるロサンゼルスオリンピックにて見事金メダルを獲得、最強アーチストと結果で示した。
エドウィン・モーゼス(Edwin Corley Moses, 1955年8月31日 - )は、アメリカの男子陸上競技障害種目選手。オハイオ州デイトン生まれ。1983年ジェームスサリバン賞受賞。

ボイコット問題で出場できなかったモスクワオリンピックがあったにも拘らず、続く地元ロサンゼルスオリンピックでもモーゼスは金メダルを獲得した。また、世界陸上競技選手権大会でも1983年ヘルシンキ大会、1987年ローマ大会で優勝した。同種目の決勝レースにおいて107連勝という驚異的な連勝記録を樹立したことでも有名である。オリンピック3度目の優勝を目指したソウルオリンピックでは、同じアメリカのアンドレ・フィリップスに敗れて金メダルを獲得することができなかったものの、銅メダルを獲得している。

またモーゼスはドーピングに対して反対の立場を明確にとり、ドーピング検査を導入することに尽力し、後のドーピング対策に貢献した。

The Perfect 400m Hurdler with Edwin Moses & F辿lix S叩nchez | Faster Higher Stronger - YouTube

ガブリエラ・アンデルセン 女子マラソン感動のゴール

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最後はメダリストではありませんが、記録より記憶に残るこの選手。この大会から正式種目となった女子マラソンで、明らかに熱中症になってフラフラとなったガブリエラ・アンデルセンが最後まで諦めずゴールを目指し、一歩ずつ進んでいく姿は無条件の感動を呼んだ。
ガブリエラ・アンデルセン(Gabriela Andersen-Schiess、1945年3月20日-)は、スイスの元陸上競技選手。デンマーク人の血を引く。

1984年8月5日に開催されたロサンゼルスオリンピックの女子マラソンに出場した。現在はアメリカ合衆国でスキーのインストラクターをしている。

1984年のロサンゼルスオリンピックでは女子マラソンが競技種目に新たに加わり、アメリカのジョーン・ベノイトが、2時間24分52秒の記録で金メダルを獲得。ベノイトのゴールから約20分後、競技場の観客が目にしたものは、ふらつきながらゴールに向かい歩み続けているアンデルセンの姿だった。

その様子から熱中症にかかっていることは誰の目にも明らかだったが、トラックサイドの係員に対しアンデルセンはゴールする意思表示をしていた。一方で、トラックサイドの医師はアンデルセンがまだ汗をかいていたことから、まだアンデルセンは体の恒常性が保たれていると判断し、ゴールラインを割るまで続けさせた。

アンデルセンの右足はほとんど動いておらず、右手はぶらつき夢遊病者のような中、競技場の大観衆の声援の後押しによって、競技場に入ってから5分44秒後、2時間48分42秒の37位で完走を果たした。ゴールすると同時に、係員に抱え込まれ医務室に運ばれたが、大事には至らなかった。余談だがこの競技でアンデルセンが最下位だったと思われがちだが、アンデルセンに遅れてゴールした選手が数人いるほか、増田明美など途中棄権者もいた。

レース後、アンデルセンは「他のマラソン大会なら棄権していました。でも、五輪の歴史的な大会だったので、どうしてもゴールしたかったです」、「私の事がかなり大きく報道されていたんですが、私よりも最後まできちんと走ってゴールした選手達の方をもっと取り上げるべきだと思ってます」と語っている。その後も自伝において「人生最悪のレース」とも記述している。

大会後、五輪発祥の地・ギリシャよりギリシャ旅行を贈呈されている。また翌1985年1月開催の大阪国際女子マラソンにも出場し、日本でも大きな話題となった。

アンデルセンのゴール - YouTube

いかがでしたでしょうか?あれから30年以上経っているのに、今でも鮮明に残る名場面が多い気がします。国籍や人種など関係ない無条件の感動がオリンピックにはありますよね。
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