祝!日本柔道復活!1984ロスオリンピック時の日本柔道はまさに最強!
2016年11月25日 更新

祝!日本柔道復活!1984ロスオリンピック時の日本柔道はまさに最強!

2012ロンドンオリンピックでは、まさかの金メダルゼロと「柔道」が「JUDO」に飲みこまれたとまで言われた男子柔道日本代表。しかし、2016リオオリンピックでは、全階級メダル獲得と完全に復活!まるで1984ロスオリンピックの時のような全盛期が再びやってきました。そこで、ここでは1984ロスオリンピック時の日本柔道をプレイバックしていきましょう。

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祝!日本柔道復活!1984ロスオリンピック時の日本柔道はまさに最強!

2012ロンドンオリンピックでは、まさかの金メダルゼロと「柔道」が「JUDO」に飲みこまれたとまで言われた男子柔道日本代表。しかし、2016リオオリンピックでは、全階級メダル獲得と完全に復活!まるで1984ロスオリンピックの時のような全盛期が再びやってきました。そこで、ここでは1984ロスオリンピック時の日本柔道をプレイバックしていきましょう。
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ボイコットのあとの1984ロスオリンピック

米ソ冷戦の真っただ中だった頃のため、1980モスクワオリンピックは、日本も欧米諸国と並んでボイコット。逆に1984ロスオリンピックはソ連を筆頭に東ドイツ、ポーランドなど東欧諸国がボイコット。世界一のアスリートを決める大会としては物足りない結果となってしまいました。
特に、柔道の山下泰裕にとっては、1980モスクワのボイコットは、無差別級で世界選手権などでも敵なしの無敵状態で金メダル確実と言われていただけに悔しいボイコットでした。
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ロスオリンピック主な金メダリスト

森末慎二(日本、体操男子鉄棒)
具志堅幸司(日本、体操男子つり輪、個人総合)
カール・ルイス(アメリカ、陸上競技男子100m、200m、4×100mリレー、走幅跳)
フランス(サッカー)
蒲池猛夫(日本、ライフル射撃男子ラピッドファイアピストル)
宮原厚次(日本、レスリンググレコローマン52kg級)
富山英明(日本、レスリングフリースタイル57kg級)

まさに最強と言うべき日本柔道

上記のような体操を筆頭にメダルを量産していた日本代表ですが、やはり何といっても最強だったのが男子柔道。
無差別級で山下泰裕、95kg級で斉藤仁、65kg以下級で松岡義之、60kg以下級で細川伸二と、なんと4階級日本勢が金メダルを独占した。特に最重量級である2階級の制覇は、まさに最強日本の象徴でした。
他にも、86kg以下級で野瀬清喜が銅メダルと、計5つのメダルを獲得しました。

山下泰裕

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山下 泰裕(やました やすひろ、1957年6月1日 - )は、日本の柔道家(八段)。

熊本県上益城郡山都町(旧矢部町)出身。東海大学卒業。同大学大学院体育学研究科修士課程修了、東海大学大学院体育学研究科博士課程修了、体育学博士。東海大学体育学部教授(1996年 -)、体育学部学部長(2009年4月 - )、副学長(2011年10月 - )。


同大学柔道部監督。柔道指導員、日本オリンピック委員会理事、全日本柔道連盟理事・副会長・強化委員長、日本オリンピアンズ協会理事。過去に、全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(1992年 - 2000年)、男子強化部長(2000年 - 2004年)、強化副委員長(2004年 - 2008年)、国際柔道連盟教育コーチング理事(2003年 - 2007年)、神奈川県体育協会会長などを歴任。

引退から逆算して203連勝(引き分け含む)、また対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録を打ち立てた。1985年6月17日引退。血液型はA型。国民栄誉賞を受賞。

山下が唯一出場した、1984年8月のロサンゼルスオリンピックでは、2回戦で西ドイツのアルトゥール・シュナーベルと対戦した際、軸足の右ふくらはぎに肉離れを起こしてしまった。山下は左に組むため、右足・軸足の肉離れで大変に不利な状況に立たされた。2回戦は送り襟絞めで勝利を収め、試合後控え室に引き返すまでの間、山下は肉離れを決して悟られまいと平然に振舞って普通に歩いたつもりが、誰にもわかってしまうほど明らかに足を引きずっており、それは映像にもはっきりと映っている。山下が控え室に戻るなり、コーチ陣に慌てた表情で問い質され、自分の肉離れが全て悟られてしまった事に気が付いた。

山下は一旦は落ち込むが、次の試合時刻が迫ってくる中開き直り、“足を引きずってもいいから相手を見据えて胸を張っていけ”と自身に言い聞かせ準決勝に臨む。準決勝の相手はフランスのデル・コロンボだった。過去の対戦から組みし易い相手と山下は考えていたが、軸足の肉離れが影響したためか、開始30秒で大外刈りによる効果を取られてしまう。直後は動揺したものの直ぐに我に返り、激しく自身を鼓舞、守りに入ったコロンボを大内刈りと横四方固めの合わせ技で逆転した。

歴史に残る決勝戦

エジプトのモハメド・ラシュワンとの決勝戦前、山下の頭には『金メダルを取り表彰台の中央で観客に満面の笑顔で応える山下』と『タオルを被って号泣してうつむく山下』の両方のイメージが交互に浮かんだ。師匠の佐藤は「投げられても一本取られなければいい、寝技に持ち込んで勝つ方法もある」と冷静にアドバイスする。一方山下も、同じ控え室で気合を入れて調整をしている試合直前のラシュワンに対し、意図してにっこり微笑みかけた。目が合い、笑顔で応じたラシュワンの緊張が解けた様を見て、山下は勝機を感じていた。

ラシュワンのコーチは「初めの一分間は我慢して攻めないように」とラシュワンに指示したが、ラシュワンはそのアドバイスを忘れたかのように強気で攻め始める。冷静な山下はラシュワンの攻めに無意識に反応、ラシュワンが体勢を崩した瞬間を捉えて押さえ込みに持っていき、横四方固め。一本を伝えるブザーが鳴った瞬間、山下は畳に両手を力強く突いて立ち上がり、涙でくしゃくしゃになった表情を隠そうともせずに喜びを表現した。この表情は繰り返し放送され、山下の決して平坦ではなかった道のりを示す名場面となっている。全て一本勝ちでの金メダルである。

表彰台の中央に上ろうとする山下に、ラシュワンは山下の足を気遣って手を差し伸べ、友情の証として世界から評価された。またラシュワンも、山下の右足を狙わなかったという主旨の発言をした事から、そのフェアプレーの精神を称えられた。後日山下は、ラシュワンが正々堂々と勝負した事は認めつつも、「ケガした右足を気遣って、右の技をかけなかったというのは事実ではない」「右払い腰を仕掛けようとした時、ラシュワンは右足に技を仕掛けている」「相手の弱い所に自分の強い所をぶつけてこそ本当の勝負師。自分も、得意技が相手が痛めた所を攻めるような技であれば、遠慮なくそこを攻める」と語っている。

【オリンピック柔道ロサンゼルス】山下泰裕、怪我を克服し、無差別級金メダル

斉藤仁

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斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - 2015年1月20日)は、青森県青森市出身の日本の元柔道選手。ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック柔道競技男子95kg超級金メダリスト。国士舘大学体育学部教授、同大学柔道部監督、全日本代表監督を務めた。段位は九段。

全日本柔道選手権大会における、山下泰裕9連覇の最後の3年間の決勝の対戦相手だった。現役時代はライバルと称されたが、ソウルオリンピックでは「先輩行ってきます」「頼んだぞ」という言葉を交わした逸話が残されており、現役時代から信頼関係はあった。また、共に指導者となった後は、さらに深い信頼を寄せる間柄となっていた。

<柔道>斎藤仁(さいとうひとし)さんを偲びます

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