1992年は「二年目のジンクス」なのか、それとも勝運に恵まれているのか、潮崎投手は防御率を前年の1.84から4.48に大きく落とすものの、「谷間」となった時は先発し、45試合に登板、10勝3敗5セーブという好成績を挙げて、チームの日本一に貢献します。
1992年日本シリーズ
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リリーフのイメージが強い潮崎投手ですが、1996年ごろから東尾監督の方針により先発として本格的に起用されはじめます。1998年、横浜ベイスターズと対戦した日本シリーズでは2連敗で迎えた第3戦に先発。緩急や高めの球をうまく使ってマシンガン打線を抑えました。
1998年日本シリーズ 西武vs横浜 第3戦
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引退・そして今
潮崎投手は1999年に投球の幅を広げようと従来のシンカーより早い「高速シンカー」を習得するのですが、その事により今まで投げていたシンカーのキレが悪くなりだします。新たな球種を覚えるというのが投手にとって必ずしもプラスに働かない事があるということですね。
2004年に、プロ通算523試合(1249.1投球回)登板、82勝55敗、55セーブという輝かしい成績を残して「消える魔球」の使い手は現役を引退しました。
2004年に、プロ通算523試合(1249.1投球回)登板、82勝55敗、55セーブという輝かしい成績を残して「消える魔球」の使い手は現役を引退しました。
潮崎哲也引退試合 対千葉ロッテ戦
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引退後潮崎氏は、一軍、二軍の投手コーチ、フロント(編成部調査担当)などを歴任。
2013年からは二軍監督として若手の育成に尽力。
2013年からは二軍監督として若手の育成に尽力。
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そして2016年から田邊監督の右腕として一軍のヘッドコーチ兼投手コーチに就く事が発表されました。西武ライオンズの再建。そして黄金時代の復活は潮崎コーチの働きにかかっていると言っても過言ではありません。