佐竹雅昭  生涯一空手家 永遠の空手バカ
2017年8月16日 更新

佐竹雅昭 生涯一空手家 永遠の空手バカ

あくまで最強の男を目指し、「闘志天翔」というテーマと、「1位.夢、2位.健康、3位.お金」という人生価値観を実践し続ける男。 空手を武器に総合格闘技のリングにも立った空手バカ一代男は、90年代の格闘技ブームの立役者となった。 批判されることもあるけど、ほんとうに強いし、ほんとうにナイスガイ。 間違いなく格闘技ヒーローである。

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石井和義(Kazuyoshi Ishii ) history

「おい佐竹、なんか正道館っていう空手道場みたいなんやけど」
ある日友達が一枚のチラシを持ってきた。
それには『DO!エンジョイ空手』と書いてあった。
月謝は3000円。
極真の道場は6500円。
しかも『今、入会すると、キックミットをプレゼント!』
「なにぃー!」
佐竹雅昭は見学に行った。
中に入るとBGMが流れていた。
極真の道場ではありえないことだった。
「あ、見学? 
よく来てくれたねえ。
いやあ、君、大きいねえ。
まあ座って座って」
そういって出て来たのは石井和義館長だった。
そしてしばらく稽古をみていると中山猛夫が現れた。
第9回極真空手の全日本大会準優勝者である。
中山猛夫は極真空手を離れて正道に移っていた。
また正道会館の稽古方法も新鮮だった。
白帯でも組手をやっていた。
またグローブや脛パッドなどの防具の着用は、ケガを防ぎ、練習量を増やすという点で合理的だった。
両方とも佐竹雅昭が通っていた極真空手の道場ではなかったものだった。
その直後に正道館第1回全日本大会が行われ、佐竹雅昭は観に行った。
トーナメントを圧倒的な強さで中山猛夫が優勝した。
「これや!」
佐竹雅昭は感動した。
そして正道会館に通うようになった。
中山猛夫

中山猛夫

正道会館では、中山猛夫を筆頭に、今西靖明、川地雅樹ら強い先輩の指導を受けることができた。
また道場のふんいきは明るく、ノリもよかった。
練習もキツかったが、強くなっているという実感があった。
中山猛夫は
「俺たちは拳ダコばっかり作ったって仕方ないやん」
「こんな拳にタコを作っても人は倒れん」
「俺たちは人を倒すのが仕事やろ。
だったら人で拳を鍛えればええねや。
だから組手や。
実戦経験積まなあかん」
「相手が痛がるような蹴りをするのは人で覚えろ」
「相手にタイミングよく当たる打ち方は練習でしか身に付かんで」
といい、その指導は合理的で実戦至上主義。
とにかく格闘技を強くなりたかったらスパーリング、組手。
実戦に対応するためには、道場以外で走ったり、ウェイトトレーニングするなど体力づくりをやる必要があるが、道場というのは対人練習の場。
正道会館は、そういう効率性と実戦性を重視した稽古が行われた。
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1980年代、正道会館が他流派の大会に出て判定にもつれたとき、どれだけ圧倒していても良くて引分け、悪いと判定負けという苦い経験をした。
「だったら倒せばいいんだろ?」
と「倒す空手」を目指した。
そして白蓮会館の大会で優勝した松本栄治、柳沢聡行、士道館の大会で優勝した玉城厚志など、他流派の空手の試合に乗りこんで勝ち、「進化する空手」「挑戦空手」「常勝軍団」などといわれた。
そんな正道空手で、佐竹雅昭は、関西外語大学の1年生時に正道会館の全日本大会に初出場で4位。
2年で2位、3年で2位、4年で優勝と着実にレベルアップし、正道館空手最強の男となった。
大学在学中は、アルバイトをしていたが、引っ越しのアルバイトではエレベーターを使わず階段を使い、プールの監視員のアルバイトでは、水中で走ったり、蹴りの練習をして「監視員が暴れている」と子供にチクられたりした。
やがてそこで主任に昇格すると、正道会館の後輩を雇い入れ、自分は監視台に上がらずに交代でミットを持たせて練習した。
当時のフルコンタクト空手界は、まるで戦国時代で、各流派の選手たちは戦国武将のようにライバル視した。
特に最大にして最強、そして関東の極真空手と新興勢力で最強、そして関西の正道会館の対立は、その最たるもので、佐竹雅昭も、街で極真の有名選手に出会ったら、その場でケンカをしてやろうと思っていた。

正道会館の職員

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1st Karate Real Champion Tournament 1

1st Karate Real Champion Tournament 2

1st Karate Real Champion Tournament 3

1988年、真のフルコンタクト空手日本一を決めるを決めるため、各流派のチャンピオンクラスを集めた「リアル空手トーナメント」 が行われた。
佐竹雅昭は勝ち進んだ。
そして決勝は、練習でも1度も負けたことがない後輩、柳澤聡行だった。
最初から押していき有効を2つとり、ラスト30秒で、とどめの刺そうと前に出たところにカウンターの跳び膝蹴りをアゴにもらい片膝をついて技ありをとられ逆転の判定負けをした。
その後、柳澤聡行はリング上で、UWFの前田日明への挑戦状を読み上げた。
前田日明が立ち上げたUWFは、従来のプロレスではない格闘技色の濃いプロレスで社会現象といわれるほど大きな支持を受けていた。
この敗戦でショックを受けた佐竹は、関西テレビへの就職を断りに行き、空手漬けの毎日を送るため正道会館の職員になることを決めた。
石井館長にそのことを伝えると
「ウチに来るならこれだけ出そう」
とパッと手を開き指を5本立てた。
佐竹雅昭は
(うわ、50万くれるんやあ)
っと思った。
そして最初にもらった給料袋の中身は5万円だった。
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正道会館 第7回全日本決勝 佐竹VS柳沢

数ヵ月後、正道会館の全日本大会で柳澤聡行にリベンジし優勝した。
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佐竹雅昭は、5万円の給料で、衣食住を行うために、足らない分はパチンコで稼いだ。
職員の仕事は、まず朝、道場に行き清掃。
そして事務仕事。
午後は「Bigin Sports」という正道会館の格闘技ブランドのサンドバッグやミット、グローブなど格闘技用品の梱包と発送。
夕方から空手の指導を行う。
結局、正道会館の職員は6年続け、月給も最終的に13万円まで上がった。

打倒!極真空手の夢

角田信朗(正道会館) 極真空手の大会でベスト4に入る

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