アンディ・フグ【K-1時代~最期の戦い】 We Will Rock You 夢はあきらめるな
2018年12月2日 更新

アンディ・フグ【K-1時代~最期の戦い】 We Will Rock You 夢はあきらめるな

キックボクサーが有利なK-1で、唯一、王者になった空手家。 30歳を過ぎてK-1のリングに飛び込み、3戦目にチャンピオンだったブランコ・シカティックを撃破! K-1グランプリ 2年連続1回戦KO負けした後、空手家として初の優勝!! 白血病との最期の戦いも、ドクターストップによって終わったが、青い目のサムライはギブアップしなかった。

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正道会館 電撃移籍!

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1991年、第5回極真空手世界大会において、前大会2位(外国人初)、27歳となりキャリア的にも体力にも最高潮に思えたアンディ・フグは優勝候補だった。
そして「アンディ包囲網」と呼ばれた超大型選手に囲まれたトーナメント表を80㎏台の小さな体で勝ち上がっていった。
しかし4回戦に事件は起こった。
4回戦で、20歳のフランシスコ・フィリョが、故意ではないものの、試合が止められた後に繰り出した蹴りによってアンディ・フグが倒されてしまったのである。
フランシスコ・フィリョの反則負けかとも思われたが、審判委員長であり、アンディ・フグが世界で一番尊敬していた大山倍達は、
「たしかに試合はスポーツだが、それ以前に極真空手は実戦を想定した武道である。
武道である以上、たとえ第3者が「止め」を宣告してもスキをみせてはならない。
これは倒されているアンディの明らかな負けである」
としたことにより、アンディ・フグの負けとなった。
試合後、人生で初めて失神KO負けしたアンディ・フグは控室にこもり、妻のイロナ・フグは
「アンビリーバブル」
と泣き叫んだ。
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1991年の第5回極真空手世界大会終了後、28歳のアンディ・フグは、同棲中のイロナとの結婚や、友人と共同経営していたスポーツショップ「Sports Freaks」の業績悪化など、いろいろな問題を抱えながらプロのファイターの道を模索した。
アンディ・フグがプロのファイターになりたがっているのを知った石井和義(正道会館館長)は、1992年7月、「格闘技オリンピックⅡ」で柳澤恥行と対戦させた。
そしてアンディ・フグは踵落としで圧倒。
プロデビュー戦を勝利で飾った。
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このアンディ・フグの正道会館への参戦に大山倍達は激怒した。
正道会館に対して絶縁状を通達。
このことを記事にして正道会館のエースである佐竹雅昭と松井章圭を並べて表紙にした雑誌「格闘技通信」に対しても取材を拒否した。
格闘技通信の取材拒否は1年間で解かれたが、極真会館と正道会館の絶縁関係は大山倍達が死去するまで続いた。
松井章圭が2代目の極真会館館長となった後、極真会館と正道会館との関係が修復され、K-1のリングに極真の選手が上がった。
このことに限らず、勇気とチャレンジスピリッツが旺盛なアンディ・フグは、常にさきがけとなった。
K-1のリングに上がった極真空手家の1人、フランシスコ・フィリョは、アンディ・フグについて
「常に私の前を歩いている人だった」
と語っている。
何の分野においても、自分で自分の道を開く人は偉大である。

K-1グランプリ

theme k-1 grand prix

1993年4月30日、代々木第一体育館で新しい格闘技イベントが誕生した。
打撃系格闘技世界最強の男はいったい誰なのか?
「空手」「キックボクシング」「拳法」「カンフー」など、代表的な立ち技・打撃系格闘技の頭文字「K」
その中の世界最強、真のNo.1を決めんとする「K-1 GRAND PRIX′93 10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント」
競技、団体、階級の垣根を飛び越え世界王者同士による夢の異種格闘技ワンデイトーナメント。8オンスグローブを着用。
3分3R(ラウンド)、あるいは3分5R。
頭突き、肘撃ち、バックハンドブロー、目付き、金的、投げ技、関節技は禁止。
その他の打撃技はすべてOKという打撃系格闘技ルール。

K 1 1993 Todd Hays vs Masaaki Satuke

トーナメントには、8年間無敗のキックの帝王、モーリス・スミスがいた。
そのモーリス・スミスの無敗神話に終止符を打ったオランダの怪童、ピーター・アーツもいたし、この2人を破ったことがあるアーネスト・ホーストもいた。
佐竹雅昭は、UKFアメリカヘビー級王者、11戦11勝11KOのトド・ハリウッド・ヘイズをローキックでKO。
ブランコ・シカティックの石の拳が、タイの英雄、最強のムエタイ戦士、チャンプア・ゲッソンリットをロープまでフッ飛ばした。

BRANKO CIKATIC VS ERNESTO HOOST K-1 Grand Prix '93 Final

決勝戦ではブランコ・シカティックの石の拳がアーネスト・ホーストのテンプルを打ち抜き失神KO勝ち。
波乱万丈の展開に加え、全7試合中6試合がKO決着。
衝撃的なK-1誕生の瞬間だった。
この後、「K-1」は、空前の格闘技ブームを引き起こしていく。
大手スポンサーがつき、東京だけでなく名古屋、大阪、福岡、やがて海外でもイベントを開催。
会場は多数の芸能人が訪れ、チケットのとれない格闘技イベントとなっていく。

「来年、私はK-1グランプリのチャンピオンに、K-1ルールで挑戦します。」

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アンディ・フグは、この記念すべき第1回のK-1において、決勝戦の前のスペシャルワンマッチで角田信朗と空手ルールで対戦し圧勝した。
そして30歳になるアンディ・フグはリング上で宣言した。
「来年、私はK-1グランプリのチャンピオンに、K-1ルールで挑戦します。」

佐竹雅昭に敗れ、リング上で涙

K-1 ILLUSION '93 (Karate World Cup Finals) M. Satake vs. A. Hug part 1

1993年8月、アンディ・フグはイロナと結婚。
10月、「カラテワールドカップ」に出場。
圧倒的な強さで勝ち上がった。
その中には空手ルールが理解できず反則を繰り返してしまうムエタイチャンピオンのチャンプア・ゲッソンリットとの対戦もあった。
そして決勝で、アンディ・フグは佐竹雅昭と対戦。
空手ルールで決着がつかず、グローブマッチに突入。
アンディ・フグはグローブをつけての試合は初めてだった。
圧倒的に佐竹有利とみられたが、アンディ・フグはまったく気後れせずに攻め続け、グローブマッチも引き分けとなった。
そして勝負は試割りに持ち込まれた。
試割りは極真空手の試合では杉板が使用されるが、正道空手の試合では瓦が使用される。
アンディ・フグはグローブに引き続き、初めてとなる瓦割りに挑戦したが、1枚差で佐竹雅昭に負けた。
試合後、アンディ・フグは、リングの上でロープにもたれかかり、大粒の涙を流し、それをぬぐった。
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