南沙織
南沙織のデビューは鮮烈でした。それは、「日本におけるアイドルの第1号」だとか、「元祖アイドル」などと言われていることからも伺えます。元祖アイドル、これに関して異論のある方がいらっしゃるかもしれませんが、まぁ、それほど彼女の登場が当時の音楽関係者、及びファンに与えた影響が大きかったというのは事実でしょう。
南沙織のキャラクターが素晴らしかったのは勿論ですが、その個性を生かした楽曲がこれまた素晴らしかった。作曲を担当したのは筒美京平。
南沙織が歌った筒美京平作品をご紹介します。
南沙織が歌った筒美京平作品をご紹介します。
1971年
筒美京平は、小室哲哉や桑田佳祐などを抑え歴代作曲家総売上ランキングで堂々の第1位となっている日本を代表する作曲家です。南沙織に楽曲を提供する前にもいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、堺正章「さらば恋人」など多くのヒット曲を既に量産していました。まさに天才。
そんな筒美京平が手掛けた南沙織のデビュー曲が「17才」です。
そんな筒美京平が手掛けた南沙織のデビュー曲が「17才」です。
via www.discogs.com
この曲で筒美京平は作・編曲だけでなくピアノも担当しています。で、その筒美京平が「何か歌える曲はある?」と聞いたところ、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」を南沙織は歌って見せたのだそうで、それに感銘を受けてできたのがこの曲「17歳」というわけです。
南沙織 17才
via www.youtube.com
歌手と同世代のファンが感情移入できる曲を歌ったことで、元祖アイドルとか新しいタイプのアイドル誕生と言われるようです。女性アイドルの在り方の基礎を築いたといっていいでしょう。「17才」は、54万枚の大ヒットとなりました。
10月1日にはセカンド・シングルとなる「潮風のメロディ」が「17才」と同じ作詞: 有馬三恵子、作曲・編曲: 筒美京平によってリリースされています。
ちなみに、同じ日には天地真理が「水色の恋」でレコード・デビューをしています。
10月1日にはセカンド・シングルとなる「潮風のメロディ」が「17才」と同じ作詞: 有馬三恵子、作曲・編曲: 筒美京平によってリリースされています。
ちなみに、同じ日には天地真理が「水色の恋」でレコード・デビューをしています。
1972年
1972年、最初のシングルは2月1日発売の「ともだち」です。オリコンで最高位、第7位。
当時のアイドルは季節ごとにシングルを発売していました。つまり年に4枚が基本。で、スゴイなと思うのは、アルバムも負けじと年に2~3枚は発売していたんですね。
南沙織も例外ではありません。1973年に発売したシングルは3枚(冬用のシングルが1月発売のため3枚で、翌年は5枚発売しています)、アルバムも3枚。
で、4枚目のシングル「純潔」ですが、作詞、作曲者共に変わりはありません。変わったのはジャケット撮影のカメラマン。ここで初めて後に結婚することになる篠山紀信が起用されています。まぁ、運命の出会いってヤツでしょうね。
南沙織も例外ではありません。1973年に発売したシングルは3枚(冬用のシングルが1月発売のため3枚で、翌年は5枚発売しています)、アルバムも3枚。
で、4枚目のシングル「純潔」ですが、作詞、作曲者共に変わりはありません。変わったのはジャケット撮影のカメラマン。ここで初めて後に結婚することになる篠山紀信が起用されています。まぁ、運命の出会いってヤツでしょうね。
う~ん、さすが篠山紀信。いい写真撮ってますよねぇ。で、曲の方も素晴らしいです。
Candies & Minami Saori "Cynthia" 純潔 - 南沙織 & キャンディーズ .mp4
via www.youtube.com
9月21日発売の5枚目のシングル「哀愁のページ」は、曲の良さから唯一南沙織がシングル・チャートを気にした曲と言われています。
via www.amazon.co.jp
「哀愁のページ」は、オリコン第3位とヒットしましたが、曲の良さもさることながら、驚かされるのはジャケット写真です。秋用のシングルとはいえ、すごく大人っぽくなっていますよね。と、戸惑いつつ1973年へ。
別名:シンシア(Cynthia 英語名)・ポーリー(Paule フィリピン人義父の姓)
生誕:1954年7月2日
出身地:沖縄県宜野湾市
学歴:上智大学卒業
活動期間:1971年~1978年、1991年~1997年