非常にもっともな、視聴者のこの疑問!だが、それも本作が「吸血鬼ゴケミドロ」と同じ監督・脚本だと知れば、何となく納得がいくような気が?
しかし、もちろんそれには充分な理由があるのだ。
しかし、もちろんそれには充分な理由があるのだ。
実は本編中には、これらの画像でも明らかな様に、ロマン・ポランスキー監督の「吸血鬼」からの引用・オマージュが数箇所登場する。
不思議に思って調べた結果、この第77話の放送日が1969年9月20日、対してポランスキー監督の「吸血鬼」日本公開が1969年9月14日と判明!
そう、ポランスキー監督の映画「吸血鬼」公開から一週間後に、本作は放送されているのだ。
不思議に思って調べた結果、この第77話の放送日が1969年9月20日、対してポランスキー監督の「吸血鬼」日本公開が1969年9月14日と判明!
そう、ポランスキー監督の映画「吸血鬼」公開から一週間後に、本作は放送されているのだ。
「吸血鬼ゴケミドロ」で観客に強烈な印象を植え付けたあの恐怖演出に、ポランスキーの「吸血鬼」が見せた「笑い」の要素と、ゲスト出演の室田日出男と新井茂子の名演が加わり、本作はどこかコミカルで明るいが、恐怖シーンは異様に怖い!という、文字通り奇跡のバランスを保った傑作エピソードとなっている。
「吸血鬼ゴケミドロ」により、新たな発想と独自の映像美で日本に「吸血鬼物」を移植した、佐藤肇監督&高久進脚本コンビが、ポランスキー監督の「吸血鬼」に刺激を受けて、テレビで再び日本に「吸血鬼」を蘇らせた作品。そんな見方が出来るのが、この第77話「人喰い人間現わる」だと言えるだろう。
或いは、映画「吸血鬼」との何かしらのプロモーション絡み?などなど、その製作の裏側への勝手な想像は膨らむばかりだ。。
「吸血鬼ゴケミドロ」により、新たな発想と独自の映像美で日本に「吸血鬼物」を移植した、佐藤肇監督&高久進脚本コンビが、ポランスキー監督の「吸血鬼」に刺激を受けて、テレビで再び日本に「吸血鬼」を蘇らせた作品。そんな見方が出来るのが、この第77話「人喰い人間現わる」だと言えるだろう。
或いは、映画「吸血鬼」との何かしらのプロモーション絡み?などなど、その製作の裏側への勝手な想像は膨らむばかりだ。。
最後に
確かに本作は面白い!
だが内容的には全く意味不明であり、最後まで見ても謎だらけ・・・。更には、特定の国や宗教に対する差別的セリフが登場するため、恐らく地上波での再放送はムリかと思われる。
とにかく、何でネオナチがユニバーサル映画のモンスター達の変装をして、墓場から棺を運び入れるのか?(必要なのは女性の生き血であって、死体は必要無いはず)しかも、ドラキュラの格好で催眠術にかけ、さらに首に噛み付く意味って?(これも、後から吹雪の解説により語られるだけで、犠牲者に生えているキバも、実はニセモノ。そんな手間をかける必要あるのか?)
正直、ストーリーの辻褄はまるで合って無いし、恐ろしくトンデモな展開を見せる本作。だが、そこを楽しんで見るのが、本作の正しい鑑賞方法だと言えるかも知れない。
恐らく将来的には、全話の映像ソフト化が成されるであろう、この「キイハンター」。
この第77話の他にも、実はまだまだトンデモ無いエピソードや、再放送の際に放送されなかった「欠番回」が存在するので、今後も紹介して行きたいと思っている。
だが内容的には全く意味不明であり、最後まで見ても謎だらけ・・・。更には、特定の国や宗教に対する差別的セリフが登場するため、恐らく地上波での再放送はムリかと思われる。
とにかく、何でネオナチがユニバーサル映画のモンスター達の変装をして、墓場から棺を運び入れるのか?(必要なのは女性の生き血であって、死体は必要無いはず)しかも、ドラキュラの格好で催眠術にかけ、さらに首に噛み付く意味って?(これも、後から吹雪の解説により語られるだけで、犠牲者に生えているキバも、実はニセモノ。そんな手間をかける必要あるのか?)
正直、ストーリーの辻褄はまるで合って無いし、恐ろしくトンデモな展開を見せる本作。だが、そこを楽しんで見るのが、本作の正しい鑑賞方法だと言えるかも知れない。
恐らく将来的には、全話の映像ソフト化が成されるであろう、この「キイハンター」。
この第77話の他にも、実はまだまだトンデモ無いエピソードや、再放送の際に放送されなかった「欠番回」が存在するので、今後も紹介して行きたいと思っている。