世間はゴールデンウィーク。皆様はどのような休日を過ごされておりますか?周りをみると、バーベキューなど外でのイベントを楽しまれている方々も多く、皆様楽しそうです♪
そんな中、近所のスーパーの総菜屋さんに行くと、そこにはお弁当的な総菜やおにぎりが勢ぞろい。美味しそう♪あ、いなり寿司もある。これも美味しそう~。
ということで、今回はいなり寿司について。
そんな中、近所のスーパーの総菜屋さんに行くと、そこにはお弁当的な総菜やおにぎりが勢ぞろい。美味しそう♪あ、いなり寿司もある。これも美味しそう~。
ということで、今回はいなり寿司について。
「お稲荷さん」「お稲荷」「いなり」
いなり寿司(いなりずし。稲荷寿司、稲荷鮨)についてウィキペディアには
甘辛く煮た油揚げの中に、酢飯を詰めた寿司の一種。「稲荷」「寿司」のどちらか又は両方を平仮名で表記されることもあり、「お稲荷さん」「お稲荷」「いなり」などとも呼ばれる
とあります。
円筒型の稲荷寿司も多いと思いますが、こちらは穀物(農業)の神・稲荷神にちなんで米を使用した俵型にしたという説が一般的(他の説もあります)。さらに稲荷神のお使い(眷属)である狐の好物が油揚げであるという言い伝えから「稲荷寿司」の名がついたという通説が世間に広がっている気がします。
そういえば油揚げを裏返した状態で酢飯をつめているバージョンもありますが、これは江戸末期に「おつな」さんが開発したから「おつな寿司」と呼ばれています。
円筒型の稲荷寿司も多いと思いますが、こちらは穀物(農業)の神・稲荷神にちなんで米を使用した俵型にしたという説が一般的(他の説もあります)。さらに稲荷神のお使い(眷属)である狐の好物が油揚げであるという言い伝えから「稲荷寿司」の名がついたという通説が世間に広がっている気がします。
そういえば油揚げを裏返した状態で酢飯をつめているバージョンもありますが、これは江戸末期に「おつな」さんが開発したから「おつな寿司」と呼ばれています。
江戸時代に誕生したいなり寿司
寿司の歴史を海苔の歴史を扱ったコラムで以前チラっと書かせていただきましたが、江戸時代に入ってから私たちが目にする寿司(にぎり寿司)が定着する中、いなり寿司も江戸時代に誕生したようです。
「全国すし商生活衛生同業組合連合会」さんのサイトによると、稲荷寿司については江戸時代後期の百科事典『守貞謾稿』(守貞漫稿。全35巻。喜田川守貞・著、1837年(天保8年))に記載された解説が古く、そのルーツのよりどころになっているそうです。
『守貞謾稿』には
「全国すし商生活衛生同業組合連合会」さんのサイトによると、稲荷寿司については江戸時代後期の百科事典『守貞謾稿』(守貞漫稿。全35巻。喜田川守貞・著、1837年(天保8年))に記載された解説が古く、そのルーツのよりどころになっているそうです。
『守貞謾稿』には
「天保(1830〜44年)末年、江戸にて油あげ豆腐の一方をさきて袋形にし、木耳干瓢等を刻み交へたる飯を納て鮨として売巡る。日夜売之ども、夜を専らとし、行灯に華表を画き、号て稲荷鮨、或いは篠田鮨と云、ともに狐に因ある名にて、野干(狐の異名)は油揚を好む者故に名とす。最も賎価鮨也。尾の名古屋等従来有之、江戸も天保前より店売には有之輿。蓋両国等の田舎人のみを専らとする鮨店に、従来有之輿也」
と、同サイトに紹介されております。
そんないなり寿司。その発祥は『守貞謾稿』に書かれている通り愛知県・名古屋とも同県の豊川(豊川稲荷)とも言われますが、個人的には「稲荷」であることが大事かと。いなり寿司は「稲荷信仰」の説明抜きには語れません。稲荷と狐の説明抜きには。
そんないなり寿司。その発祥は『守貞謾稿』に書かれている通り愛知県・名古屋とも同県の豊川(豊川稲荷)とも言われますが、個人的には「稲荷」であることが大事かと。いなり寿司は「稲荷信仰」の説明抜きには語れません。稲荷と狐の説明抜きには。
穀物・農業の神としても産業の神としても信仰される稲荷神
稲荷信仰とは先にも書いた稲荷神への信仰のこと。この神様は穀物・農業の神としても産業の神としても信仰されております。古事記・日本書記に登場する五穀をつかさどる神・ウカノミタマと稲荷神と同一視されてもおり、そんな稲荷神を祀る稲荷神社の総本山は京都の伏見稲荷大社。同大社を筆頭に、稲荷神社は全国に約3万社あると言われております。
ところで先にも触れましたが、稲荷神のお使い(眷族)が狐なのです。眷属ということで本当は人間の目には見えないため「白(透明)狐」と言い、白で表現しております(伏見稲荷大社サイトより)。本来、稲荷神と白狐は同一ではないのですが、稲荷信仰と言えば白狐という印象が強い気がします。
一方でこの稲荷神、神仏習合思想において仏教の女神である荼枳尼天(ダキニテン)とも習合(合体)したため、仏教寺院で祀られることもあります。このことを覚えておいていただいて、豊川稲荷さんに話を繋げます。
ところで先にも触れましたが、稲荷神のお使い(眷族)が狐なのです。眷属ということで本当は人間の目には見えないため「白(透明)狐」と言い、白で表現しております(伏見稲荷大社サイトより)。本来、稲荷神と白狐は同一ではないのですが、稲荷信仰と言えば白狐という印象が強い気がします。
一方でこの稲荷神、神仏習合思想において仏教の女神である荼枳尼天(ダキニテン)とも習合(合体)したため、仏教寺院で祀られることもあります。このことを覚えておいていただいて、豊川稲荷さんに話を繋げます。
実は曹洞宗の寺院である豊川稲荷
豊川稲荷は同じ「稲荷」でも実は曹洞宗の寺院で、円福山豊川閣妙巖寺と言います(現在は「宗教法人妙厳寺 豊川稲荷」)。また、教育にも熱心で学校も作っておられます。この学校は現在の豊川高等学校です。そんな豊川稲荷さんですが、護り神は稲荷神ではなく豐川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)。このダキニさんが稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることから、いつしか「豊川稲荷」が通称として定着したそうです。1871年(明治4年)の神仏分離令で一度は通称が使えなくなったものの、ほどなく解禁され、現在もこの通称です。
そんな豊川稲荷さんの門前でもいなり寿司が作られ売られていたことから、江戸・名古屋と並んでいなり寿司発祥の地として知られるようになった…ということです。
最後に。なぜ「イナリ」と言うのか。
伏見稲荷さんは諸説あると前置きした上で、『山城国風土記逸文伊奈利社条』に「イネが生った」ところより社名としたとしております。「稲が生(な)った」からイナリ、と。そう、お米由来なんです。
社名からも、寿司からも、日本人が昔からお米を愛してきたことがうかがえますね♪
そんな豊川稲荷さんの門前でもいなり寿司が作られ売られていたことから、江戸・名古屋と並んでいなり寿司発祥の地として知られるようになった…ということです。
最後に。なぜ「イナリ」と言うのか。
伏見稲荷さんは諸説あると前置きした上で、『山城国風土記逸文伊奈利社条』に「イネが生った」ところより社名としたとしております。「稲が生(な)った」からイナリ、と。そう、お米由来なんです。
社名からも、寿司からも、日本人が昔からお米を愛してきたことがうかがえますね♪
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