原田真二
原田真二とフォーライフ・レコード、吉田拓郎との出会いからデビュー
運営危機を乗り切るために、新人の発掘しなければならないと、オーディションを行いました。
テープ選考の結果は不合格でしたが、 吉田拓郎は原田に興味をもちます。
青山学院大学に合格して上京した原田と吉田は再会します、その年の10月に原田真二はデビューします。
原田真二・若き才能-トリプル・デビュー&ヒット
1977年10月25日に「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。
1977年11月25日に原田真二の2枚目のシングル「キャンディ」がリリースされる。
1977年12月20日には、3枚目のシングル「シャドー・ボクサー」が発売されました。
原田真二は異例のトリプルデビューを果たしました。
(デビュー後1ヶ月ごとにシングルを3枚発売することを俗にトリプル・デビューといわれています。)
【TV】 原田真二 「Candy」1978 - YouTube
デビュー曲の「てぃーんずぶるーす」はチャートインしませんでした。
TEENS BLUES / SHINJI&CRISIS - YouTube
リリース 1977年10月25日
レーベル フォーライフレコード
作詞:松本隆
作曲:原田真二
PIONEERステレオ音楽館 てぃーんず ぶるーす
@gainersanga 原田真二はアルバム全部持ってるしコピーバンドもやったw 自分の中ではシャド-ボクサーがネ申曲
— TOKO。@泥酔提督(兼業P) (@toko3w) November 17, 2011
1978年・シャドーボクサー・原田真二 - YouTube
リリース 1977年12月20日
レーベル フォーライフレコード
作詞:松本隆
作曲:原田真二
編曲:後藤次利
プロデュース 吉田拓郎・原田真二
ベーシストの後藤次利が編曲家としてのデビューした曲です。
レコーディングには、キーボードで坂本龍一、コーラスで吉田拓郎が参加している。
SHADOW BOXER 1978 Live @ Budokan HARADA SHINJI
原田真二の実績-武道館公演
10代ソロ歌手の武道館単独公演は史上初めてでした。
この公演では、アイドルに見られることへの反発心があり、原曲をロック調にアレンジして歌っています。原田は曲のアレンジもうまいと定評があります。
原田真二 OUR SONG and all of you ~Live at 武道館~
原田真二ってポールマッカートニーとギルバートオサリバンのいいとこを足して2で割った感じhttps://t.co/clWrhcGOeEhttps://t.co/ZY8dNm8Mwhhttps://t.co/y3oOIU0Nfm
— 北川洋太郎 (@ktgw_0901) March 11, 2016
デビュー当時の原田真二は「テレビ出演を嫌がっていました」。プロデュサーの吉田拓郎自身もテレビに出ていなかったため、当時の妻の浅田美代子が原田を説得してテレビ出演を承諾させます。
1977年暮れには東京12チャンネルの音楽トーク番組「歌おう!原田真二と」がはじまり、ホストとして出演します。
少年、原田真二が影響を受けたポップカルチャーは、米バンド「ザ・モンキーズ」。
小学校2、3年のころ、『ザ・モンキーズ・ショー』というテレビ番組を楽しみに観ていたという。
原田のポップミュージックに向かう原点になります。