直接的な理由は番組の差し替えだったのかもしれませんが、そこに至るまでの経緯が原因だったようですね。
番組改編期でもない1997年11月2日という時期に突然番組が惜しまれつつも放送打ち切りとなった。発端は9月下旬に放送予定だったスペシャルが、前日の土曜日にプロ野球・ヤクルトスワローズが優勝までのマジックナンバーが「1」となり、フジテレビ側は急遽、スペシャルの放送を翌週に変更し、セ・リーグ優勝決定試合に差し替え、これに松本が激怒した。このことへの事前連絡すらなかったこともあるが、それ以上に大きな理由は、このスペシャル放送の日に合わせて番組の人気キャラクター「エキセントリック少年ボウイ」のCD発売が行なわれており、番組内にもそのCDに関係させた内容が作られていたため、松本からすれば「このスペシャルはその日に放送しなければ意味がない」ものだったのだ。この関係で松本は番組出演に嫌気がさし、フジとの関係が悪化(ただし松本本人は「フジに恨みはない」としており、その後の他番組の変動はなかった)。フジテレビの出演全番組の収録ボイコットを経て、この理由から松本が身勝手なことに番組の放送をやめると決め、手打ちとして「ごっつ」の打ち切りが決定。ダウンタウン不在のまま急遽作られた2週にわたるコントの傑作選を最後に、番組は6年の歴史に終止符を打った。この番組で6年間に作ったコント本数は1304本だった。このように伝えられている。
ダウンタウン -ごっつが終わった時の話-:砂消しゴムで消せなかった物:So-netブログ
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松本人志の放送室 第17回 「『ごっつええ感じ』終了時の松本への批判」 - YouTube
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後に放送された「一人ごっつ」
【一人ごっつ】1990年代後半、ダウンタウン松本人志伝説のお笑い番組!!【IPPONグランプリのルーツ】 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1990年代後半に放送された、松本人志が一人大喜利スタイルで挑むお笑い番組「一人ごっつ」。後に『IPPONグランプリ』や『すべらない話』などに引き継がれる、いわゆる即興系のお笑いセンスを試される番組で、松本人志の芸人としての志向性が色濃く反映された番組である。当時、お笑い意外にも活動の場を広げていった浜田雅功とは対照的に、松本人志がお笑いの新ジャンルを開拓するような試みだった。
I.O 2019/12/30 18:47
ダウンタウンのごっつええ感じはよく見ていました。リアルタイムでは、毎週日曜夜8時枠で放送され、しかも裏が大河ドラマや元気が出るテレビ!!で、ごっつをオンタイムで見て、元テレを録画して見ていました。ごっつとはレギュラー化になる前に2回スペシャルで放送され、2回とも視聴率が良かった事からレギュラー化が決まりましたが、バレーボール中継の関係で年末にずれ込んでしまい、中途半端な時期にスタートしました。ところがごっつ開始7年目の10月に松本人志さんがごっつスペシャルが別特番に差し替えられた腹いせでボイコットし、ごっつは6年の歴史に幕を降ろしました。