聴くだけでテンションアップ!PRIDE初期の選手入場曲
2021年2月18日 更新

聴くだけでテンションアップ!PRIDE初期の選手入場曲

1997年高田延彦 vs. ヒクソン・グレイシーと言う歴史的一線から幕を開けたPRIDE。その後、2000年に入ると全盛期となり、大晦日の風物詩にすらなっていました。そんなPRIDEと言えば、壮絶な殴り合いや巧みな関節技の妙技はもちろんの事、いわゆる「煽り」と言われる入場シーンも見せ場の一つだった。曲を聴くだけでテンションアップ間違いなしのPRIDE初期の選手入場曲を紹介します。今、聴いてもテンション上がりまくりですよ!

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聴くだけでテンションアップ!PRIDE初期の選手入場曲

1997年高田延彦 vs. ヒクソン・グレイシーと言う歴史的一線から幕を開けたPRIDE。その後、2000年に入ると全盛期となり、大晦日の風物詩にすらなっていました。そんなPRIDEと言えば、壮絶な殴り合いや巧みな関節技の妙技はもちろんの事、いわゆる「煽り」と言われる入場シーンも見せ場の一つだった。曲を聴くだけでテンションアップ間違いなしのPRIDE初期の選手入場曲を紹介します。今、聴いてもテンション上がりまくりですよ!
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PRIDE(プライド)は、日本の総合格闘技イベント。1997年から2007年までドリームステージエンターテインメントが開催していた。2007年よりPRIDE FC WORLDWIDE社がブランド及び興行権を保有している。海外でのイベント名称はPRIDE Fighting Championship(略称PRIDE FC)。

2000年代前半の総合格闘技においては名実ともに「世界最高峰の舞台」であり、日本における総合格闘技人気の火付け役となった。また、アメリカのUFC、日本のK-1に並ぶ格闘技イベントに成長した。

桜庭和志入場曲-SPEED TK RE-MIX

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PRIDEを語る上で、桜庭和志は外すわけにはいかないでしょう。グレイシー一族との死闘など、数々の名試合をして、PRIDE人気を確固たるものにした立役者の一人。
そんなIQレスラー・桜庭和志の入場曲は、「SPEED TK RE-MIX」。
小室哲哉作曲の映画「SPEED2」のメインテーマにもなった曲ですね。
TKサウンドらしい疾走感溢れるこの曲を聴くだけで、桜庭の名試合がプレイバックしてきます。

桜庭和志 入場曲 SPEED TK RE-MIX - YouTube

桜庭和志vsヴァンダレイ・シウバ 煽りVand選手入場<PRIDE13> - YouTube

1998年に高田延彦主宰の高田道場へ移籍。PRIDE.2のヴァーノン・"タイガー"・ホワイト戦でPRIDEデビューした。

1999年4月29日のPRIDE.5では前年にヴァンダレイ・シウバをKOしたばかりのビクトー・ベウフォートに判定勝利。PRIDE参戦後はアラン・ゴエス戦(PRIDE.4)での引き分けを挟んで、ヴァーノン・ホワイト(PRIDE.2)、カーロス・ニュートン(PRIDE.3)、ビクトー・ベウフォート(PRIDE.5)、エベンゼール・フォンテス・ブラガ(PRIDE.6)、アンソニー・マシアス(PRIDE.7)に5連勝を飾り、ミドル級のトップコンテンダーに登りつめた。

1999年11月21日のPRIDE.8ではメインイベントに登場し、当時不敗神話を誇っていたグレイシー一族の一人、ホイラー・グレイシーとの対戦。1Rから15kgの体重差を生かしてホイラーのタックルを切り続けた桜庭は猪木アリ状態からのローキックでダメージを与えていく。2Rも優勢は変わらず、引き込んだホイラーにハーフガードからチキンウィングアームロックを極めた。ホイラーはタップせず、セコンドのヒクソン・グレイシーもタオルを投げなかったため、島田レフェリーが試合をストップした。ホイラー陣営は猛抗議するものの裁定は覆らず、桜庭はマイクアピールで「あそこからどうやって逃げたのか知りたいです。次はお兄さん僕と勝負してください!」とヒクソンに対戦を要求した。

2000年1月、桜庭は「PRIDE GP 2000」に出場した。ガイ・メッツァーの試合放棄という幕切れで1回戦を突破すると、5月の決勝大会ではホイス・グレイシーとの対戦が決定した。ホイラー戦での裁定に不満を持つホイスはルール変更を要求[3]、桜庭も受諾し、15分無制限ラウンド・レフェリーストップおよび判定無しで行われることになった。試合は1時間を超す長丁場となったが、桜庭はホイスの道衣を脱がせようとするなどして翻弄。桜庭がホイスの左足にローを蹴り続けたダメージで7R開始直前にホリオンがタオルを投入し、桜庭の勝利で実に90分に及ぶ死闘に終止符が打たれた。その後準決勝に進出するものの消耗が激しく、イゴール・ボブチャンチン戦では中盤から劣勢を強いられた。1R終了後の判定ではドローとなったものの、桜庭陣営がレフェリーにタオルを投入し、TKO負けとなった。
2000年8月27日、PRIDE.10でヘンゾ・グレイシーと対戦、バックを捕られるもアームロックでヘンゾの左腕を脱臼させTKO勝ち。12月23日のハイアン・グレイシー戦ではハイアンが直前に怪我した為、試合時間が10分1Rに変更された。試合は桜庭が終始優位に立って判定勝ちを収めた。

ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアンらグレイシー一族相手に4連勝を果たし、「グレイシー・ハンター」の異名を取った。また、ただ勝利するだけでなくファンを喜ばせるために戦うというファイトスタイルが高く評価された。桜庭の活躍と共にPRIDEは大きく成長を遂げ、2000年の桜庭はPRIDEのエースとして全盛期を迎えていたといえる

ヒクソン・グレイシー入場曲ーGracie Family Entrance Theme

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1997年PRIDEⅠは、その後全盛期となる日本のMMA幕開けを告げる歴史的イベントだった。
そのメイン試合が「ヒクソングレイシーvs高田延彦」である。
ヒクソングレイシーと言えば、400戦無敗を誇る一族最強戦士。
鉄壁な防御力など負けない技術は凄まじかった。
そんなヒクソンの入場曲は「Gracie Family Entrance Theme」。まるでダースベイダーのテーマのような相手を威圧するような曲で、一族が一列に連なり、いわゆるグレイシートレインを形成して入場するスタイルは、ヒクソンだけでなく、グレイシー一族の定番入場シーン。

Gracie Family Entrance Theme - YouTube

高田延彦 vs ヒクソン・グレイシー 10・11 入場 - YouTube

ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie、男性、1959年11月21日 - )は、ブラジルの柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。ヒクソン・グレイシー柔術所属。グレイシー柔術八段。

グレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーの三男。息子のクロン・グレイシーも柔術家、総合格闘家である。

日本においては、総合格闘技の試合で高田延彦や船木誠勝など著名なプロレスラー、格闘家を相次いで破った。バーリ・トゥードルール、いわゆる「なんでもあり」の試合、グレイシー柔術の技術を使っていたとはいえ、相手をテイクダウンし、マウントパンチで攻撃、最後は絞め技や関節技に持っていくというスタイルを使っていた。

高田延彦入場曲-Training Montage

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今ではバラエティ番組にも数多く出演している高田延彦ですが、PRIDE創世記は、ヒクソングレイシーを始め、マークケアーやミルコクロコップなどヘビー級の外国人選手と台頭に戦える数少ない日本人エースだった。
そんな高田の入場曲は、プロレステーマ曲専門バンド「MonkeyFlip」が作る「Training Montage」
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