「霊長類ヒト科最強の男」マーク・ケアーの栄枯盛衰
2020年1月7日 更新

「霊長類ヒト科最強の男」マーク・ケアーの栄枯盛衰

かつて「霊長類ヒト科最強の男」と呼ばれた男がいた。その名はマーク・ケアー。UFCとアブダビコンバットを連覇しPRIDEでも破竹の勢いで連勝した男の活躍と転落を動画中心に紹介する。

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2000年に行われたPRIDE GRANDPRIX 2000 決勝トーナメントで藤田和之と対戦。

藤田和之 vs マーク・ケア

スタミナ不足を露呈し、藤田に判定負けを喫する。
藤田は当時「霊長類ヒト科最強の男」と謳われたマーク・ケアーに勝利したことで一躍最強争いに躍り出た。

マーク・ケアーvsイゴール・ボブチャンチン<PRIDE12> - YouTube

PRIDE.7での雪辱を狙いボブチャンチンと再戦するもスタミナが切れ、判定負け。
続く、2001年7月29日のヒース・ヒーリング戦ではグラウンドの膝蹴りにより1R 4:54 TKO負け。自身初のKO負けであった。

マーク・ケアー vs ヒース・ヒーリング<PRIDE15>

2001年7月29日 PRIDE.15

総合を離れプロレスへ参戦。

[ZERO-ONE]橋本真也、小川直也vsトム・ハワード、マーク・ケアー
2001年12月9日。
後にOH砲の代名詞となる技「俺ごと刈れ(STOとジャーマンの合体技)」でケアーは受け身もなにもなくリングに叩きつけられ、半失神。
自らもダメージを負い意識朦朧の橋本にスリーパーで絞めあげられKO負けとなった。
なお、このZERO-ONEへの参戦がケアーにとってのプロレス初挑戦ではなく、2000年の大晦日「INOKI BOM-BA-YE」にてマークコールマンと組み、永田裕志&飯塚高史と対戦している。

試合は12:29、コールマンが袈裟固めで永田からギブアップを奪った。

PRIDE、マット界から姿を消し、薬物中毒が明かされる。

2003年1月、ケアーの1998年から2000年までを追ったドキュメンタリー番組「The Smashing Machine」が米ケーブルテレビHBOにて放送された。
この番組の中でケアーは闘うことへの恐怖を口にし、痛みを抑えるために麻薬を鎮痛剤として常用する様子が描かれている。
ケアーは1999年11月のエンセン井上戦を前に摂取過多で心臓が一時停止し、生死をさまよっている。
その後、薬物依存を脱すべく、リハビリを行う姿が描かれた。
なお2001年5月にアルコール依存症の恋人と結婚したと語られた。
SMASHING MACHINE

SMASHING MACHINE

監督はケアーの友人ジョン・ハイアムズ、ナレーションはマーク・コールマン。
via http://www.knucklepit.com/_tmark%20kerr1_001.jpg

"SMASHING MACHINE - Ultimate Extreme Fighting" | Trailer & Kritik Review Deutsch German Doku [HD] - YouTube

2004年、PRIDEへ復帰。

かつてのパワーの源であった筋骨隆々の肉体は、薬物乱用と長期のブランクにより弛んで矮小化してしまっており、往年の姿を知る人間にとっては見るも無残な姿であった。
再起をかけた「霊長類ヒト科最強の男」の夢は、わずか40秒で幕を下ろした。
ケアーにとってこれが最後のPRIDE参戦となった。
PRIDE.27 山本宜久戦

PRIDE.27 山本宜久戦

2004年のPRIDE.27で復帰し山本宜久と対戦するも、自らタックルにいったところでリングに頭部を強打し失神するという、前代未聞の負け方を喫した。
なお、明らかにケアーの自爆と見られる結末だったが山本宜久は「僕がタックルでふんばった分ね、そういう部分でプロレス技で言うとDDTみたいな感じになってしまった。プロレスラーなんでね、DDTを使ってしまった。僕的にはそう解釈している」とコメントしていた。

2006年以降、アメリカを主戦場として総合格闘技に参戦。

2006年にアメリカの大会で復帰が決定したが、怪我で欠場。
同年11月にIFLに出場したがレフェリーストップにより敗北。
2007年2月10日、イギリスの総合格闘技大会Cage Rageでムスタファ・アルタークと対戦するも、パウンドを浴びタップアウト負け。

マーク・ケアー VS キング・モー

2009年8月28日、M-1: Breakthroughでキング・モーと対戦し、グラウンドに持ち込まれるとバックからのパンチ連打でTKO負け。
2009年のキング・モー戦の後はマットに上がっておらず、事実上の引退と見られている。
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