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DeNA監督時代
2011年12月9日、新しくGMに就任した巨人時代の先輩の高田繁からの要請で、DeNAに買収された横浜DeNAベイスターズの監督に就任。
自身の誕生日でもある2012年1月6日に就任会見を行い、会見の中での発言、「熱いぜ!DeNA」が正式にチームのシーズンスローガンとなった。監督初就任の年齢としては日本プロ野球史上最年長となる。
しかし前年度よりさらに勝率を下げ、最下位に終わった。12月5日、妻の仁美を子宮頸がんのため亡くした。
2013年、9月24日の対阪神戦に敗れ、チームのクライマックスシリーズ進出の可能性がなくなり、試合後に監督辞任を示唆するコメントをしたが、10月3日に2014年度の続投が決定した。
2014年、2年連続5位に終わる。9月2日の阪神戦で暴力行為で退場処分、審判員への度重なる暴力行為を問題され、労組審判支部から球団へ抗議文が送られ、GM補佐の山下大輔(当時)から説明を受けた。
2015年、監督就任4年目を迎えた。球団史上、同一監督が連続して4シーズン以上指揮を執るのは1968-1972年の別当薫監督以来43年ぶり、また1978年の横浜移転後では監督15人目(大矢明彦が二期務めたため16代目)にして初めてのケースとなる。
選手として、監督として
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一塁手として1982年から1988年まで7年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。その一方で、江川卓の登板する試合に、よく守備で足を引っ張っていたので、江川から「150キロの牽制球」を投げられたこともあった。
また、中畑を三塁から一塁へコンバートした藤田監督は、後年、中畑がサード向き、原はファースト向きの性格でありながら原をサードに、中畑をファーストにしたのは最大の失敗だったと語っている。
監督就任当時、開幕前から「守れない選手は使わない」をチーム方針として、守備を重視したチーム作りを徹底して行うことを表明している。
また、機動力を使うことも明言し、盗塁、エンドラン、スクイズなどを積極的に行なっている。この機動力を使った野球は就任1年目の頃は「せこいぜ野球」と呼称されていた。
また、オーダーを固定することは少なく、好不調で選手や打順を入れ替えることが多い。
投手陣は基本的に投手コーチにほぼ一任しているが、小刻みな継投を好み、シーズンののべ登板数の日本記録を作った前任監督の尾花高夫とは異なり、先発投手はイニングを引っ張る傾向が強い。
特に三浦大輔にはかなりの信頼を置いており、2012年はリーグ最多の6完投をさせている。
試合後の監督インタビューは、勝った試合はもちろん、敗れた試合でも行っている。またチームの勝利時のヒーローインタビューはベンチでチームメンバー全員で聞く事にしている。
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