PL学園が廃部危機 名球会入りしたPL学園卒業の選手
2016年11月25日 更新

PL学園が廃部危機 名球会入りしたPL学園卒業の選手

最近、PL学園が廃部危機という噂やニュースを聞きますが、多くのPL学園卒業の選手がプロ野球で活躍してきました。その中でも名球会入りした6人をピックアップ。

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PL学園が廃部危機

2年連続の新入部員受け入れ停止!! 春夏通じて全国制覇7度の高校野球の名門、PL学園(大阪)が今年度に引き続き、来年度の新1年生の野球部員受け入れも停止する方向であることが26日、明らかになった。2016年度は現在の2年生12人だけで大会に出場する。17年度以降は白紙だが、教団と学校側に野球部存続への強い意思は見えず、廃部の流れが加速しそうだ。
このまま無くなってしまうのは寂しい。
清原 桑田

清原 桑田

第40回国体 硬式高校野球 試合後のPL学園・清原和博(右)と桑田真澄=1985年10月23日、鳥取県倉吉

名球会入りした選手をピックアップ

名球会

名球会

2014年現在の入会資格は以下の通りである。
○NPBの選手または元選手
○昭和生まれ以降
○日米通算(NPB、MLBの合算)で以下のいずれかを達成(ただし、NPBでの記録をスタート地点とする)
●通算200勝利以上
●通算250セーブ以上
●通算2000安打以上

加藤秀司

1966年度卒

1966年度卒

PL学園高校では、2年生の時に控え一塁手として1965年の第37回選抜高等学校野球大会に出場するが、準々決勝で高松商の小坂敏彦投手に抑えられ敗退。1年上のチームメートに福嶋久晃、得津高宏、長井繁夫がいた。翌1966年の第38回選抜高等学校野球大会にも四番打者、一塁手として連続出場するが、1回戦で、この大会に優勝した中京商に敗れた。高校同期にエースの加藤英治、内野手の野口善男がいる。

新井鐘律

1970年度卒

1970年度卒

1970年の夏、PL学園高校野球部主将として第52回全国高等学校野球選手権大会に出場し、PLにとって春夏通じて初の甲子園決勝戦で東海大相模高校に敗れ準優勝。

清原和博

1985年度卒

1985年度卒

高校は30校近いスカウトの中からPL学園高校を選ぶ。天理高校かPL学園かどちらに行くかで悩んでいたが、両校の練習を見学した際に、毎年100人前後の部員を抱える天理高では3年生が練習をし、1年生が球拾いをしているのに対し、少数精鋭をとるPL学園では学年に関係なく同じメニューの練習ができることが決め手となった。また、清原の母親が奈良県出身で地元の強豪の天理で甲子園に行ってほしいと幼少のころから言われ続けていて、本人もそのつもりでだったが、後にPL学園の在阪スカウトの方から「小学生時代から目をつけていた。ぜひPLの練習を見に来てほしい」と熱心に勧誘され、心が揺らいだとも語っている。入学当初は投手を希望していたが、同期の桑田真澄の傑出した実力を知り、「 (桑田には)絶対勝てない」と野手を選んだ(新入部員が最初に集まった際に、清原は名の通っていた桑田を探しその姿を発見すると「なんだ、こんな小さい奴か」と思ったが、実際の投球を見て驚嘆し、PL学園で投手になることを断念したと後にコメントしている)。一方桑田はこの時、清原をはじめ自分よりも一回りも二回りも体格のいい選手たちがたくさんいたことで自信をなくし、高校野球では通用しないかもしれないと思っていたという。

立浪和義

1987年度卒

1987年度卒

KKコンビに触発されただけでなく、幼稚園からの幼馴染であった橋本清が先にPL進学を決めた事で一層想いを強くしたため、(中学時代の監督の伝で決まりかけていた大阪商業大学堺高等学校への進学を断って)PL学園高等学校へ入学。この時の同期には橋本以外に片岡篤史、野村弘樹(当時は野村弘)、桑田泉らがいる。2年先輩の桑田真澄と野球部合宿所「研志寮」(現在は廃止)で相部屋となる。

宮本慎也

1988年度卒

1988年度卒

PL学園では1学年上に立浪和義や片岡篤史らがいた。体格では劣るため守備力で遊撃手のレギュラーを取ろうと考え、同じ遊撃手の中村順司監督に指導を受け、夜も一人で練習を続けた。その練習はボールの動きを想定したもので、ボールに向かって走り、捕って投げるという動作を繰り返した。優勝した1987年の第69回全国高等学校野球選手権大会にはチーム唯一の2年生として出場。決勝戦では三塁手として先発出場し安打も放った。

松井稼頭央

1993年度卒

1993年度卒

PL学園時代は1年生の投手としては唯一春の大会でベンチ入り(背番号11)。1年の秋季大会では肘を痛めていたため松井自身は投げることができなかったが、チームは勝利し、春のセンバツに出場(背番号1)。3回戦で先発に指名された。医者からは30球から50球が限度と言われていたが、痛み止めの注射を打ってマウンドに上がった。試合が始まると球が走らず、3回途中2失点でマウンドを降りた。その後チームは2年生時の夏、3年生時の春ともに甲子園出場を逃す。自身も背番号10でベンチ入りはしていたものの怪我のためほとんど投げられなかった。肩や肘がようやく治ったものの、3年生時の夏の大会直前の強化合宿でぎっくり腰になった。死ぬ思いで治療に専念し、大会に入っても腰に違和感はあったものの、試合当日何とか投げられる状態に回復した。松井は1回戦、2回戦とも9回まで投げ抜き、ある試合では16奪三振を記録。決勝戦まで勝ち進み、決勝戦では近大付高の金城龍彦との投げ合いとなった。PLは3点を先取し、松井も4回まで1安打ピッチングだったが、5回に連打で2点を取られ、7回にも金城の二塁打がらみで逆転を許す(3-5)。8回にもスクイズで1点を追加され、3-6で敗れた。試合後にはベンチ横で涙を流す一幕もあった 。

PL卒業のプロ野球選手一覧

野田征稔【阪神】
戸田善紀【中日】
愛甲徹【ロッテ】
中塚政幸【大洋】 
坪井新三郎【クラウン】
得津高宏【ロッテ】 
福嶋久晃(久)【広島】 
長井繁夫【ヤクルト】
加藤英治【近鉄】 
加藤英司(秀司)【南海】 
野口善男【大洋】
大和田正海【阪神】
川口孝秀【近鉄】
新井宏昌(鐘律)【近鉄】 
新美敏【広島】
行沢久隆【西武】
立野政治【ヤクルト】 
平山正人【阪急】
金森栄治【ヤクルト】
尾花高夫【ヤクルト】
米村明【中日】
西田真二(真次)【広島】 
木戸克彦【阪神】 
谷松浩之【ヤクルト】 
金石昭人【巨人】
小早川毅彦【ヤクルト】 
山中潔【ロッテ】 
阿部慶二【広島】 
山崎剛【阪神】
岡部明一【ロッテ】
吉村禎章【巨人】 
若井基安【ダイエー】 
西川佳明【阪神】
榎田健一郎【阪急】 
森浩之【ダイエー】
加藤正樹【近鉄】 
山中勝己【中日】
岩田徹【阪神】
清原和博【オリックス】 
桑田真澄【ピッツバーグ・パイレーツ】 
松山秀明【オリックス】 
今久留主成幸【西武】 
内匠政博【近鉄】
霜村英昭【ヤクルト】
立浪和義【中日】 
野村弘樹(弘)【横浜】 
橋本清【ダイエー】 
片岡篤史【阪神】
宮本慎也【ヤクルト】
野々垣武志【誠泰太陽】
入来祐作【横浜】
坪井智哉【ランカスター・バーンストーマーズ】
今岡誠【ロッテ】
松井稼頭央(和夫)【楽天】
サブロー【ロッテ】 
宇高伸次【横浜】
福留孝介【阪神】 
前田忠節【阪神】 
辻田摂【中日】
前川勝彦(克彦)【三重スリーアローズ】 
荒金久雄【オリックス】
小林亮寛【高陽ワンダーズ】 
前田新悟【中日】
大西宏明【ソフトバンク】 
平石洋介【楽天】
田中雅彦【ヤクルト】 
田中一徳【ヨーク・レボリューション】 
七野智秀【横浜】 
覚前昌也【近鉄】
中尾敏浩【ヤクルト】 
加藤領健【ソフトバンク】
今江敏晃【ロッテ】 
小斉祐輔【楽天】 
桜井広大【香川オリーブガイナーズ】 
朝井秀樹【巨人】
小窪哲也【広島】
前田健太【広島】 
冨田康祐【横浜】
緒方凌介【阪神】
吉川大幾【中日】 
勧野甲輝【ソフトバンク】
こんなにいっぱいいたとは....
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