【高校野球】KKコンビと一緒に甲子園出場!その後プロ入りした選手は!?
2023年8月31日 更新

【高校野球】KKコンビと一緒に甲子園出場!その後プロ入りした選手は!?

KKコンビが甲子園で活躍した1983〜1985年。桑田、清原が注目される一方、彼らとともに甲子園に出場し、その後プロ入りを果たした選手がいます。それも、KKコンビの先輩から同期まで、高校卒業後すぐプロ入りした選手から、大学、社会人を経験した選手まで様々。そんなKKコンビにゆかりのある選手たちを振り返ります。

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加藤正樹(近鉄)

加藤正樹は、KKコンビの2年上の先輩で、3年生の時は3番打者として、清原とともにクリーンナップの一角を担いました。1983年夏の選手権では、清原を凌ぐ2ホームランを記録。特に、決勝の横浜商業戦では、三浦将明投手から、清原とアベックホームランを放ち、優勝の立役者となりました。

PL学園卒業後は、早稲田大学に進学。野球部には、のちに近鉄、巨人等で活躍した石井浩郎がいました。通算成績は、60試合 199打数 63安打 打率.317 5本塁打 33打点。

近鉄バファローズには、ドラフト外で入団。のちに、大学を中退してプリンスホテルで活躍していた石井浩郎も入団し、チームメイトとなります。加藤は、リーグ優勝の翌年1990年がキャリアハイの活躍で、92試合に出場し、打率.285、打点24、3本塁打を記録。1995年の引退まで、近鉄一筋でした。

2022年に、追手門学院大学硬式野球部の監督に就任しています。
阪神大学野球連盟に加盟する追手門学院大(2部西リーグ)の新監督に、近鉄でプレーした加藤正樹氏(56)が就任することが30日、分かった。

1983年(昭58)に野球の名門だったPL学園時代に夏の甲子園大会で全国制覇を成し遂げた。桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」の2学年上の選手として活躍する。

早大を経て、87年に仰木彬監督だった近鉄にドラフト外指名を受けて入団。左打ちのシュアな打撃と堅実なプレーを買われ、プロ1年目の88年シーズン途中に1軍昇格を果たした。

その年の仰木監督が率いた近鉄は西武と激しい優勝争いを演じた。加藤氏はプロ野球史に伝説として語り継がれている名勝負「10・19」の修羅場も経験した。

岩田徹(阪神)

岩田徹は、KKコンビの1年上の先輩で、3年生の時は副主将で外野手でした。1984年の春の選抜、夏の選手権はいずれも決勝までコマを進め、惜しくも準優勝。KKコンビとともに、PLの黄金時代を築きました。

PL学園卒業後は、社会人野球の三菱自動車水島で活躍。通算22試合 打率.333 6本塁打 13打点を記録し、チームの躍進にも貢献したことで、プロから注目されるようになります。

1988年、ドラフト4位指名で阪神タイガースに入団。高校、社会人では外野手でしたが、プロでは強肩を買われ、捕手として指名されました。奇しくも、かつてのライバル、山口重幸(春の選抜決勝の対戦相手、岩倉高校のエース)が先に入団しており、阪神ではチームメイトとなります。

1年目の1989年は、開幕一軍を勝ち取り、開幕2戦目4月9日の広島戦に初出場。4月13日の巨人戦が初打席で、奇しくも相手投手がPLの後輩の桑田真澄でした。その桑田から、なんと初打席初安打を記録。しかし、この年の安打はこの1本だけで、その後は、山田勝彦、関川浩一らの台頭で出場機会を失い、1998年に引退しました。

2022年に大阪偕星学園の監督に就任し、同校を3年ぶりの夏の勝利に導いています。
同監督は高校時代にPL学園で春夏連続の甲子園準優勝を経験。社会人を経て入団した阪神では力を発揮できないまま引退した。それでも満員の甲子園でのプレー経験は指導に生かしている。チーム内でSNSを活用して指導者と選手の間でやりとりを密にし、何でも相談に乗る兄貴分的な存在になることでチームに自分の考えを浸透させた。

教え子たちがあげた1勝に「人として当たり前のことを口酸っぱく言い続けているのが、ちょっとずつ身についてきた。目標は大阪桐蔭と戦いたい」と岩田監督。元虎監督の新たな挑戦がはじまった。

1991読売ジャイアンツ桑田真澄VS阪神タイガース 東京ドーム 岩田徹 和田豊 宮内仁一

1991読売ジャイアンツ桑田真澄VS阪神タイガース 東京ドーム 岩田徹 和田豊 宮内仁一

内匠政博(近鉄)

内匠政博は、KKコンビの同期で、3年生の時は1番センターで活躍。恐怖の1番打者で、1985年夏の選手権では2ホームランを放ち、チームの優勝に貢献しました。

PL学園卒業後は、近畿大学に進学。同期には、日本ハムで活躍した酒井光次郎がいました。大学でも、4年生の時に大学選手権優勝を果たしています。大学卒業後は、社会人野球の日本生命へ。3年目に都市対抗野球で優勝を果たし、なんと、高校、大学、社会人のすべてで優勝という稀有な経験をしました。

1992年、ドラフト3位指名で近鉄バファローズに入団。1995年には、109試合に出場し、打率.277のキャリアハイを記録します。盗塁も、入団から3年連続で10盗塁以上を記録。2002年の引退まで、近鉄一筋でした。

現役引退後は、2006〜2007年にオリックス・バファローズの守備・走塁コーチを務め、奇しくも清原とチームメイトになっています。

松山秀明(オリックス)

松山秀明は、KKコンビの同期で、3年生の時は主将1985年夏の選手権決勝・宇部商業戦では、自身のサヨナラヒットで有終の美を飾り、KKコンビの次にインパクトのあった選手かもしれません。実は、KKコンビに匹敵する強打者で、甲子園では通算3本のホームランを放っています。内訳は、3年春の選抜で2本(うち1本は伊野商業戦唯一の得点)、3年夏の選手権で1本です。

しかし、(KKコンビではなく)自身が主将に選ばれた際は、心中穏やかでないものがあったようです。
“KKコンビ”を擁する中での主将就任…胸中は「辞退できるなら辞退したい」

 清原でも桑田でもなく、自分が選ばれた。胸中は穏やかではない。「できることなら受けたくない。辞退できるなら辞退したいですよ」。当たり前のように優勝が期待されるだけではなく、実力もプライドも群を抜いた選手たちをまとめないといけない。もちろん、受諾するしか選択肢はなかった。
PL学園卒業後は、青山学院大学に進学し、東都大学野球リーグで活躍。3年の秋季リーグでは、創部以来初のリーグ優勝を果たしました。4年秋にも優勝を果たし、高校時代同様、有終の美を飾っています。同期にはのちにオリックスでチームメイトとなる吉田直喜、一年下に西武、日本ハムで活躍した奈良原浩がいました。

1989年、ドラフト5位指名でオリックス・ブレーブスに入団。現役時代は、なかなか一軍に定着できなかったものの、1998年までオリックス一筋で9年間プレーしました。

現役引退後はコーチとして手腕を発揮しており、2023年現在も福岡ソフトバンクホークスで、一軍内野守備走塁コーチを務めています。特に、2003年には星野阪神の18年ぶりの優勝に貢献、2006〜2008年には、コーチ・選手の関係で清原とチームメイトになっています。

清原だけが知っているコレが本当のPL学園!!

清原だけが知っているコレが本当のPL学園!!

今久留主成幸(大洋・横浜→西武)

今久留主成幸は、KKコンビの同期で、3年夏の背番号は2。ただ、実質は控えの捕手で、実質の正捕手は背番号7の杉本隆雄でした。3年夏の選手権は、2試合に出場しています。

PL学園卒業後は、明治大学に進学し、東京六大学野球リーグで活躍。4年の時に主将に選ばれ、秋季リーグで捕手としてベストナインに選ばれています。同期にはのちに(横浜)大洋でチームメイトとなる東瀬耕太郎、2年下にオリックスで活躍した三輪隆がいました。

1989年、ドラフト4位指名で横浜大洋ホエールズに入団(因みに、東瀬はドラフト2位)。初ヒット・初打点が、阪神戦で抑えの切り札・田村勤から打ったサヨナラヒットと派手な活躍を見せますが、1995年途中に、西武ライオンズに移籍。結果的に、現役時代は一軍出場がほとんどなく、1999年に引退しました。

現役時代には、他球団ながら、肘の手術からの復活を目指す桑田の自主トレに同行したこともありました。引退後は、古巣・横浜のスカウトや、BCリーグ・信濃グランセローズのゼネラルマネージャーなどを務めています。
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