【震災センバツ】に出場した「兵庫県代表3校」の戦い
2016年11月25日 更新

【震災センバツ】に出場した「兵庫県代表3校」の戦い

1995年1月17日に発生した阪神大震災により、開催が危ぶまれた「第67回選抜高等学校野球大会」には兵庫県から3校の代表校が選出された。当時兵庫県に住み、彼らと同じ様に白球を追いかけていた筆者の視点から3チームの奮闘を振り返る。

6,573 view

初めに

倒壊する高速道路

倒壊する高速道路

1995年1月17日の早朝。突然、部屋の本棚が倒れ、激しい揺れで私は目が覚めました。必死に布団をかぶり、揺れが収まるのを待った、あの日の出来事は、今も忘れられない。だが、私は、後に「兵庫県南部地震」と呼ばれる未曾有の災害を「経験した」と言ってよいのだろうか…という複雑な思いが今もある。同じ兵庫県南部に住みながら、彼らとは違い、あの事があってからもそれまでと変わらず、私達は母校で練習を続けられたのですから…。そんな私が、「第67回選抜高等学校野球大会」に出場した同級生達についての記事を書かせて頂きます。

異例の3校選出

「春のセンバツ大会」はその名の通り、甲子園でプレーできるのは全国から選ばれた32チームのみ。(記念大会を除く)そのうち、近畿地方に割り当てられた出場枠は「6」。2府4県で「6」というのは他の地域に比べてかなり恵まれているのではないかという批判はさておき、春のセンバツに出る為には近畿大会でベスト4ならほぼ確定。ベスト8で敗れた4校のうち2校が・・・といった所がとりあえずの目標となります。
94年の秋に開かれた近畿大会に出場した兵庫県勢は揃って勝ち上がり、神港学園が準優勝。育英はベスト4、報徳はベスト8という好成績を残します。上記のようにベスト8なら当落選上・・・というところですが、「さすがに同一県内から3校も選ばれないだろう」というのが見方が体勢を占めていました。そして、代表校の選考を数週後に控えた1月17日にあの震災が起こるのです。
亀裂が入ったグラウンド

亀裂が入ったグラウンド

兵庫県から何校選ばれるのかという事より、もはや選抜大会を開催できるのか否か、と、いうか「野球どころではない」というのが当時の状況でした。私が通っていた高校は「兵庫県南部」にあったものの、震災の被害はほとんどなく、直後から練習は続けられたのですが・・・やはり皆どこかで練習に身が入らない感じでした。そんな「野球どころではない」状況において、選抜大会の開催が決定した時は、「思いっきり野球をしてもいいんだよ」と許されたような気がして、なぜかほっとした気分になったものです。(震災の直接被害が少なく、選抜対象とはかけ離れたところにいた私達がそう思うのは変かもしれませんが)

1995年 選抜高校野球の開催が決定

阪神大震災が発生した直後に開催される選抜大会において、甲子園の地元・兵庫県から報徳学園、育英高校、神港学園の3校が選出された「意味」は明らかでした。ですが、その「重み」がどれほどのものだったのか…それはチームの関係者・選手達しかわかりません。そうして兵庫県代表の3校は戦いの場・甲子園へと向かうのです。
健闘を祈って

健闘を祈って

67回センバツに出場した兵庫県代表の報徳学園、育英高校、神港学園の主将

1995年センバツ・育英高校

3校のうち最初に登場したのは育英高校。当時の育英高校は後に阪神、ヤクルトで活躍する藤本敦士選手が主将を務め、伝統の堅守とスキのない試合運びをするチームでした。
開催初日の第二試合で、育英高校は関東の強豪・創価高校を6対2で撃破。2回戦へと駒を進め、群馬の前橋工業と対戦します。8回終了時点で2対3と劣勢だった育英高校は粘りを見せ、土壇場で同点に追いつくのですが…。

1995年センバツ高校野球 育英高校

この試合、育英高校は決勝点になった失策を含めて6つの失策を記録。これは震災後満足な練習ができなかったことと無縁ではないはず・・・ですが動画のように言い訳することなく、選手達は甲子園を去るのでした。

1995年センバツ・神港学園

秋の近畿大会準優勝と3校の中では最も実力があるといわれていたのが、後に横浜、巨人、阪神で活躍する鶴岡一成選手が主将を務める神港学園でした。その評判どおり、神港学園は緒戦で、名門・仙台育英高校を4-3。2回戦を大府高校戦も4-3と、2戦続けて接戦を競り勝ち、準々決勝へと進出します。

第67回センバツ 神港学園-今治西

そこで対戦したのが、大会NO.1左腕と呼ばれた藤井秀悟投手(後ヤクルト-日ハム-巨人-DNA)を擁する今治西高校でした。この試合も息詰まる接戦となります。土壇場で逆転サヨナラ負けというドラマティックな形で敗退する事になりましたが、健闘した神港学園の選手達には大きな声援がおくられました。

1995年センバツ・報徳学園

27 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

高校野球史に残る名勝負 【新湊旋風】~1981年・春~

高校野球史に残る名勝負 【新湊旋風】~1981年・春~

高校野球史に残る名勝負をいくつか紹介しています。ここでは、1981年春の選抜大会での新湊高校の戦いぶりを振り返ります。大会前の低い下馬評を覆し、強豪校を次々と撃破していった同校の戦いぶりは「新湊旋風」と呼ばれました。
和尚 | 9,171 view
【高校野球】離島から甲子園出場を果たした希少な強豪校と戦績!

【高校野球】離島から甲子園出場を果たした希少な強豪校と戦績!

離島の高校は、他校との試合の際は、海を渡る長時間・長距離移動を伴うことが多く、大きなハンデとなります。そんな過酷なハンデを克服し、これまで離島(沖縄本島を除く)から8校もの高校が甲子園出場を果たしています。複数回の出場を誇る実力校から、21世紀枠などで初出場を果たしたフレッシュな高校まで、様々な強豪校をご紹介します。
izaiza347 | 146 view
【高校野球】2024年も開幕!甲子園で優勝経験のない県と最高成績!

【高校野球】2024年も開幕!甲子園で優勝経験のない県と最高成績!

かつての高校野球は、東日本より西日本、日本海側より太平洋側の都道府県の方が強い傾向にありましたが、近年は、練習環境の改善などにより、その差はなくなってきました。特に、東北地方や北陸地方の躍進が顕著です。今回は、全国制覇まであともう一歩だった12県をご紹介します。
izaiza347 | 255 view
甲子園100周年を前にマンガコラボ企画!「ドカベン」篇が公開 !カラー素材をふんだんに使用した映像でドカベンが蘇る

甲子園100周年を前にマンガコラボ企画!「ドカベン」篇が公開 !カラー素材をふんだんに使用した映像でドカベンが蘇る

2024年8月1日の開場100周年に向け、2022年8月1日から「阪神甲子園球場100周年記念事業」を始動し、その一環として、甲子園にゆかりのある名作野球マンガ9作品による夢のコラボレーションムービーを展開しており、その特別バージョンとして第五弾「ドカベン」篇が新たに公開されました。
甲子園にゆかりのある名作野球マンガ9作品が集結! 全271巻より抜粋した名シーン・名台詞で作る動画が公開中!

甲子園にゆかりのある名作野球マンガ9作品が集結! 全271巻より抜粋した名シーン・名台詞で作る動画が公開中!

阪神甲子園球場が2024年8月1日に開場100周年を迎えるにあたり、特別企画として甲子園にゆかりのある名作野球マンガ『ドカベン』『巨人の星』『ダイヤのA』『ダイヤのA actII』『タッチ』『H2』『MIX』『プレイボール』『ROOKIES』の全9作品による夢のコラボレーションムービーを展開しています。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト