左手一本の伝説……隻腕の投手・ジム・アボットを振り返る
2020年5月31日 更新

左手一本の伝説……隻腕の投手・ジム・アボットを振り返る

90年代にエンゼルス、ヤンキースなどでプレーした隻腕の投手・ジム・アボット。生まれつき右手の手首より先がないというハンディキャップをもろともせずに、ノーヒットノーラン達成や、サイヤング賞3位入賞など華々しい実績を残したそのキャリアを振り返る。

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1988年ソウルオリンピックで金メダルを獲得したアボット

1988年に開催されたソウルオリンピック野球競技。アマチュアのみが出場を許されたこの時代、野茂英雄、古田敦也、野村謙二郎、潮崎哲也ら、後にプロ野球で活躍する逸材ぞろいのドリームチームで挑んだ日本代表は、銀メダルを獲得した。

日本を下して金メダルに輝いたのは、ベースボールの母国・アメリカ。その決勝の舞台で先発投手としてマウンドに上がり完投勝利を挙げたのが、当時、ミシガン大学でプレーしていた“隻腕投手”ジム・アボットだった。

アボットは先天性右手欠損により、生まれつき右手の手首より先がなかった。5歳で野球を始めると、8歳からリトルリーグでプレー。ハンディキャップを抱えながらも、めきめきと頭角を現し、高校時代にはエースピッチャーとして名をはせた。1985年にはトロント・ブルージェイズから36巡目でドラフト指名を受けるもこれを拒否して、ミシガン大学進学を選択する。

ミシガン大時代も、アボットの活躍は目覚ましいものだった。1987年に、南北アメリカの国々による四年に一度のスポーツ大会「パンアメリカン競技大会」でアメリカ代表に選ばれると、3回登板して防御率0.00と好投して、米国チームの銀メダル獲得に貢献する。同年には、米国で最も優れたアマチュア野球選手に贈られるゴールデンスパイク賞と、米国最高のアマチュアスポーツ選手を讃えるジェームスサリバン賞を同時に獲得した。

その後、1988年にオリンピック金メダリストの栄誉に輝き、1988年にはドラフト1巡目でカリフォルニア・エンゼルスから指名され、プロとしてのキャリアをスタートした。
ジム・アボット

ジム・アボット

左手一つで投球、捕球、送球すべてを行う「アボット・スイッチ」とは?

左腕一本でのプレーを可能にしたのは、「アボット・スイッチ」と呼ばれる独自の投球術だった。アボットは投球時に右手の手首上にグラブを置き、ボールをリリースした直後、グラブを左手に滑り込ませて守備に備える。相手バッターにバントをされれば、すぐさまグローブを放り投げてそのまま左手でボールを掴み、一塁へ送球。ピッチャーゴロを打たれれば、捕球後にボールをフワっと上に投げ、その隙にグローブから左手を抜いて白球をキャッチして、塁上のランナーを刺すという離れ業をやってのけた。その守備の水準は、ゴールドグラブ賞レベルにはないものの、1988年オリンピック米国代表のコーチを務めたマーク・マルケス氏が「平均的」と評している通り、大きな穴になるほどのものではなかったとされている。

Jim Abbott- the legend

ヤンキース時代にはノーヒットノーランも達成!

アボットは、1989年のエンゼルス入団1年目からマイナーリーグを経ずに先発ローテーション入りして、12勝12敗、防御率3.92の好成績を上げる。2年目には10勝14敗で防御率4.51、3年目にはキャリアハイとなる18勝11敗、防御率2.89をマークして、ロジャー・クレメンス、スコット・エリクソンに次ぐ、3位入賞を果たした。

アボットのプロキャリアにおけるハイライトとなったのが、1993年9月4日(現地時間)のクリーブランド・インディアンス戦だった。この年に名門・ニューヨーク・ヤンキースへ移籍したアボットは、本拠地ヤンキー・スタジアムでMLB史上通算225人目となるノーヒットノーランを達成。左手一本で成し遂げたこの快挙は世界中で報じられ、アボットは一躍、国民的英雄となったのだった。

その後、アボットのキャリアはゆるやかに下降線なたどり、1996年のエンゼルス復帰初年度、2勝18敗、防御率7.48という低調な成績を残すと、オフに引退を表明した。けれどもアボットは、1998年にホワイトソックスで現役復帰。翌1999年に移籍したミルウォーキー・ブルワーズでは、初めて打席に立ち。安打も記録している。そして、通算87勝108敗、防御率4.25という通算成績を残し、完全にユニフォームを脱いだ。

記録より記憶に残る名選手だったアボットは、以下のような数々の名言も残している。

「自分が障がい者だと思ったことなどない。子供の時に野球を教えようと僕を庭に連れ出した父こそ勇気のある人間だ」

「不可能は神が決める。しかし人間の意志は不可能を可能にする」

「第2のピート・グレイ(第二次世界大戦中に活躍した隻腕のメジャーリーガー)になろうなどとは、一度も考えませんでした。僕がいつも目指していたのは、第2のノーラン・ライアンでしたから」


同じ時代に活躍したクレメンス、マダックス、カート・シリング、ランディ・ジョンソン、マイク・ムシーナらと比べると成績的に劣るアボットだが、多くの人に勇気を与えたという意味では、これらの大投手と肩を並べる90年代のレジェンドといえるのではないだろうか。
漫画化もされたジム・アボット

漫画化もされたジム・アボット

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