「NO FEAR」で一世風靡!ワイルドを標榜する大森隆男があまりにも紳士すぎる件。
2016年11月25日 更新

「NO FEAR」で一世風靡!ワイルドを標榜する大森隆男があまりにも紳士すぎる件。

「NO FEAR」とヒールで暴れながらも、その下にジェントルマンが滲み出てしまっていた大森隆男。全日本プロレス~プロレスリング・ノア~WJ~ZERO1-MAX~フリー~全日本プロレスとプロレス界の荒波をワイルドとジェントルの両方で乗り越えてきた大森隆男選手を知ってもらいたい!!

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ノーフィアー解散の瞬間

2002年5月、試合中にタッグパートナーである高山にアックスボンバーをしかける。その後、リングにいた選手を全員アックスボンバーでなぎ倒し、「高山。あばよ。」の名言を残し、リングを去ってしまった大森隆男。そのままノーフィアーは解散となってしまった。
一説によるとPRIDEや新日本プロレスにも参戦していた高山との方向性が顕著になってきたためと言われているが、個人的には大森の海外武者修行のためだと思っている。

WJプロレス~ZERO1-MAX、そして全日本プロレス再入団

新日本プロレスを離脱した長州力によって立ち上げられた新団体「WJプロレス」に参戦することになった大森隆男。海外修行からの帰国後のいざこざによりプロレスリング・ノアを退団していた。
同じく参戦していた越中とのユニット「レイバーユニオン」を結成したが、WJプロレスは空中分解。そのユニットのまま、ZERO-ONEに乗り込むことになる。

冷静に考えてみると「レイバーユニオン」とは、「労働者連合」の意味なので、WJプロレスの内情を考えると恐ろしい。。。
ZERO-ONEでの越中・大森タッグ(レイバーユニオン)

ZERO-ONEでの越中・大森タッグ(レイバーユニオン)

その後、ZERO-ONEに継続参戦し、ZERO1-MAXの所属選手として参加。「アックス・ボンバーズ」なるユニットを結成し、若手を育成することにも注力していた時期でもある。
新日本プロレスの中西学と「ワイルドチャイルド」を結成し、IWGPタッグ王座も獲得。タッグ屋としての本領発揮であった。

2008年8月にZERO1-MAXを退団、2009年は新日本プロレスを主戦場として活躍するが、2010年に旅館業兼レスラーとして活動することを発表した。
ワイルドチャイルド(大森&中西)

ワイルドチャイルド(大森&中西)

紆余曲折あったが、2012年1月の後楽園ホールにて観客ジャッジの元、全日本プロレスに入団が決定する。征矢学と結成した「GET WILD」で世界タッグ王座を獲得するなど、WILDキャラで再浮上。

現在は、全日本プロレスの取締役としても活躍中である。
GET WILD(大森&征矢)

GET WILD(大森&征矢)

趣味は読書のインテリ派プロレスラー

2006年に発売された超”異人”伝に掲載されている「大森隆男のアックスボンバー読書録」を是非呼んで頂きたい。メガネをかけて小説について熱く語る姿は、まさに文学少年。

一番好きな作家を武者小路実篤と言い切ってしまう大森隆男。
「金閣寺」を読んで自転車で金閣寺まで行ってしまう大森隆男。

そんな読書好きな一面を知ってほしい。

プロレス・格闘技超“異人”伝―リングの外でもスゴい人々 (洋泉社MOOK) : 本 : Amazon.co.jp

アントニオ猪木の永久電機をはじめとする奇怪なビジネス、佐山聡が“強い日本”を復活させるために提唱している“日本のスパイ組織”、西村修の“東洋思想プロレス”などといった格闘家達の「奇想」を取りあげ紹介。
読書好きが高じて、本を紹介するテレビ番組にもゲスト出演。
しかも、ディレクターに紳士と大絶賛されてしまう大森隆男。やはりジェントルマン。
私が演出した『宮崎美子のすずらん本屋堂』100回SPに
出演していただいたプロレスラーの大森隆男選手が
苦節22年 
初めて全日本プロレス 伝統のチャンピオン・カーニバルを制覇しましたよ!

撮影でお世話になった時
一度は 私たちのチームが ロケに向かう途中で事故に会い
リスケジュールしていただいたにもかかわらず
とても丁寧に出迎えていただいて、真摯な態度で
取材を受けていただいて、帰りには深々と頭を下げて
送り出していただいた 本当の紳士なのです。

そんな大森隆男をもっと知りたい方は

やはり知的レスラーとして、ブログとtwitterは欠かせません。
オフィシャルブログの名前は、「質実剛健」。ヒールで「ノーフィアー!」と暴れていたとは思えません。

オススメの本なども登場するかもしれないので要チェック。
どことなく表情がぎこちない大森隆男

どことなく表情がぎこちない大森隆男

大森 隆男(おおもり たかお、1969年10月16日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都世田谷区出身。保善高等学校、城西大学卒業。

どんなに悪ぶってみても人はみな知っている。本当の彼は生真面目な読書家、そして誰よりもジェントルマンな男だということを。
優しい表情がベースです

優しい表情がベースです

ちょっと気を抜くと、すぐにジェントルな本性がばれそうな柔和な表情の大森隆男。
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